イングランド銀行とは? わかりやすく解説

イングランド‐ぎんこう〔‐ギンカウ〕【イングランド銀行】

読み方:いんぐらんどぎんこう

1694年設立銀行1946年国有化され英国中央銀行として金融政策関わるほか、銀行券発行一般銀行業務を行う。BOEBank of England)。


イングランド銀行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/17 04:00 UTC 版)

イングランド銀行(イングランドぎんこう、: Bank of England、旧日本名: 英蘭銀行)は、イギリス中央銀行[注釈 1]


注釈

  1. ^ 正式名称は「Governor and Company of the Bank of England」である。本店がシティのスレッドニードル通りに所在することから、1797年にジェームズ・ギルレイの風刺漫画の中で「スレッドニードル通りの老婦人」("The Old Lady of Threadneedle Street")と呼ばれるようになり、現在でも呼称されることがある(イングランド銀行公式サイト内の解説「Who is The Old Lady of Threadneedle Street?」を参照。)。過去には「英蘭銀行」とも書かれた。この場合「英蘭」は「イングランド」の音訳であり、「イギリスとオランダ」(英蘭戦争など)を意味しない。
  2. ^ これ以降20世紀初頭までにおいて60万ほどに達したのは、1865-6年(以下8月締め)の73.4万ポンドと、1914-15年の94.9万ポンドだけである[7]
  3. ^ イタリアのジェノアは1407年にCasa di San GiorgioとBank of St.George、ベニスは1587年にBanco di Rialto、アムステルダムは1609年、ロッテルダムは1635年、ハンブルグは1619年、ストックホルムでは1656年に銀行が設立されていた[9]
  4. ^ ウィリアム・パターソンは翌年のスコットランド王国政府のスコットランド銀行設立にも関わっているが、スコットランド銀行は経済的に深刻な状況にあったスコットランド国内への投資およびスコットランド会社によるダリエン計画への投資を目的としておりその性格は異なっている。1707年、スコットランドの経済破綻に伴い連合王国が成立。
  5. ^ これは、名誉革命によって国王となったウィリアム3世治下のイングランドがオランダ財政に学んだ結果でもあった。
  6. ^ 内訳は、政府への貸付金が120万ポンド、民間から買い取った政府債務証が178万ポンド等である[9]
  7. ^ 1752年、コンソル公債が発行される。ロンドン証券取引所において国債取引の比率が5%に落ち込んだ1914年でさえ、金縁証券の筆頭たるコンソルだけは、低リスクゆえに流動性を誇り、最大の取引対象であった。
  8. ^ しかし伝統となって1973年まで続いた。
  9. ^ 1819年にロバート・ピールが議会で開いた委員会でも、金高騰・通貨下落の原因とされた。この委員会は、イングランド銀行が私利のために銀行券を過剰発行することを懸念し兌換再開を結論・勧告した(『概説イギリス経済史』, p. 22)。
  10. ^ 1816-1818年、ナポレオン銀貨を481万7000ポンド鋳造。
  11. ^ 1822年、ハプスブルク家がロスチャイルド一族全員に男爵位を授与。
  12. ^ 1822年の発行国は主に手堅く、ロシアプロシアデンマークなど。チリ債とコロンビア債は4年たつと利子の支払いがとだえた。1823年の発行国は、オーストリアポルトガルスペイン。1824年-1825年は南米から1800万ポンド。1827年で利子が払われなくなる[14]
  13. ^ 外債の洪水が600以上の会社を設立させていた[17]
  14. ^ 浜は、ネイサンが「欧州から金をかき集め」たと書いている[18]。兌換再開からの動きに照らすと、かき集めたというより、外国へ貸し出した金を回収しただけのようである。
  15. ^ クラパムは数値を挙げて金の枯渇こそ否定するも取り付けのあったことは否定せず。一方、ジュグラーの資料によると凄まじい枯渇が読み取れる。1824年1月に1350万ポンドあったのが、1825年12月には120万ポンドにまで減少。
  16. ^ 恐慌のときにやむなく1ポンド紙幣を60万枚発行していた。流通の減少を受けて1832年には銀行券偽造に対する死刑が廃止された。
  17. ^ 伝統的には植民地政府などの代理人をこなした。ユーロクリアのできた頃には80の政府と160以上の公的当局、国際組織のために活動していた。また、この頃から銀行関連業務にも従事し始めた。
  18. ^ 19世紀半ばのヴィクトリア朝時代から第一次世界大戦の終わりまでのイギリスは「世界の銀行」と呼ばれ、世界各地の政府、鉱山、工場、プランテーションなどに投資して、利子を稼いだ。統計によれば、1914年における、世界の海外投資の43パーセントをイギリスが占めた。
  19. ^ 続いて1857年オランダで、1865年ベルギーで、1867年北ドイツ連邦でも撤廃された。
  20. ^ 「実際には支払い能力はあった」[27]。経営失敗の原因は、ブエノスアイレス水道事業会社(The Buenos Ayres Water Works Company) 株の引受・保有[28]
  21. ^ ジョージ・ゴッシェン (初代ゴッシェン子爵)の資料によると、この頃、イングランド銀行の金準備が2400万ポンドであったのに対して、ドイツ・フランス・アメリカの3国は総計2億7700万ポンドであったという。
  22. ^ このときの公定歩合は特に低い2%であった。
  23. ^ このような巨額の起債はイングランド銀行と政府関係のブローカーが手はずを整え、モルガンが主催するニューヨークシ団とロスチャイルドの主催するロンドンシ団が大量に行った[33]
  24. ^ 金為替本位制とは、現地政府手形で通貨を保証する仕組みである。日本は、制度上の金為替本位制ではないが、日英同盟を契機として金準備の大部分をロンドンに置き、その半分以上をイギリス国債に投下するか、もしくはロンドン預金銀行に貸し付けていた[34]
  25. ^ 短期貸し出しによる収入も1904-1907年で一気に増加。以下8月を決算とした数値。単位は千ポンド。
    1893-1894年で331 1894-1895年で160 1895-1896年で158 1896-1897年で243 1897-1898年で293 1898-1899年で356 1899-1900年で410 1900-1901年で441 1901-1902年で485 1902-1903年で524 1904-1905年で301 1905-1906年で457 1906-1907年で500 1907-1908年で322 1908-1909年で200(Clapham(1970), p. 482. 付録D)
  26. ^ モルガンと連邦準備制度の協力により、イングランド銀行は国内で買い集めたUSドル大蔵証券をニューヨーク市場で売却することができた[39]
  27. ^ のちのチェコ国立銀行スロバキア国立銀行
  28. ^ 1ポンド=3.58134ドル
  29. ^ 1ポンド=2.80ドル
  30. ^ アメリカ、ドイツ、イタリア、フランス、オランダ、スイス、ベルギー
  31. ^ 1967年に1ポンド=2.40ドルまでポンド切下げ。
  32. ^ 旧固定価格は国際金融のみに利用され、金自由市場には別価格が適用される。
  33. ^ 閲覧は予約制。月から木曜日、午前10時から午後4時半まで。
  34. ^ このうち、Marcantile Credit はバークレイズに合併。Twentieth Century Banking Corporation はP&Oに合併。
  35. ^ 14行のうちスレイター・ウォーカー(Slater Walker)は、会長職にジェームズ・ゴールドスミスが就いた後、イングランド銀行がN・M・ロスチャイルド&サンズを促して役員を派遣させている。
  36. ^ 14行のうちウォレス・ブラザーズ・バンク(Wallace Brothers Bank) は、1974年にこの社名となる前、1972年3月にE.D.サッスーン・バンキング・カンパニーを買収している。WBB の大株主は1833年創業のクラウン・エージェンツで、27%を保有していた。解決策として、イングランド銀行が530万ポンドをカンパしてスタンダードチャータード銀行が子会社を通じてWBB の全株式を取得した。クラウン・エージェンツも経営危機にあったのである。
  37. ^ ジョンソン・マッセイはデグサと似て貴金属寄りの化学工業を営んでいる。世界金融危機をすぎたころ、ソルトレイクシティの金銀精錬所が水質保全法に抵触し罰金を課され、以来アメリカ合衆国環境保護庁による保護観察下におかれている。2014年12月、朝日化学工業がジョンソン・マッセイの貴金属部門を1億8600万ドルで買収した。翌年6月23日、国際協力銀行が買収に要した資金の一部を融資する貸付契約を締結した。公的機関として安易な亡命受け入れである。
  38. ^ ボスコーアン、ファーニース、ゴドフリー、ウーブロン家とレシュリエー家の家族全員、ヘスコット、スコーイン、エドワード・ラッセル (初代オーフォード伯爵)など
  39. ^ 他には、同名が2人いるダ・コスタス、フォンセカ、ヘンリークズ、メンデス、ヌーネス、ロドリゲス、サルバドール、テクセーラ・デ・マトス。 Da Costas, Fonseca, Henriques, Mendez, Nunes, Rodriguez, Salvadore, Teixcira de Mattos
  40. ^ 末裔にカイエターナ・フィツ=ハメス・ストゥアルト
  41. ^ 1760年、イギリス東インド会社の株主総数においてユグノーが14%を占めていた[66]
  42. ^ なお、イングランド銀行設立の5年前に名誉革命でオランダ総督のウィリアム3世がイングランド王に即位している。
  43. ^ 反撃としてイングランド銀行は同年に法的認可を受け17の地方支店を構えた。支店では、過度の正金需要のときは交換量に制限を設けた。銀行券には支店名が記され、金兌換は券を発行した支店でなければ行えなかった。
  44. ^ スコットランド北アイルランドの通貨発行権は各地域の民間銀行がもっているが、それらの保証準備発行額はごく限定されたもので、それを超える発券にはイングランド銀行券による100%準備が必要とされている。
  45. ^ この資産運用業界は、マーガレット・サッチャーがサープス(State Earnings-Related Pension Scheme, SERPS)を廃止・縮小して年金市場を開放したときに参入して利益をあげていた。

出典

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  41. ^ (On 4th May 1925,) two credits have been already conditionally negotiated. First, there is a credit which has been arraged with the Federal Reserve Bank of New York, who have undertaken to give the Bank of England a revolving credit of 200 million dollars for two years from the 10th May or the date of the British Government guarantee, whichever date is the latest. Then there is a second arrangement with a Syndicate headed by Messrs. J.P.Morgan. That is for a revolving credit of 100 million dollars, also for two years, to His Majesty's Government direct.
    [Extract from the speach of the Financial Secretary to the Treasury, the Rt. Hon. Walter Guinness, D.S.O., T.D., M.P., in the debate on the Gold Standard Bill (House of Commons Hansard, Vol. 183, pp.622-623.)]
    簡単な交渉を経た翌日にチャーチルは、JPモルガンから年利1.25%という破格の条件が提出されたことを報告した。
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イングランド銀行

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モンタギュー・ノーマン」の記事における「イングランド銀行」の解説

1907年にはイングランド銀行の理事となり、第一次世界大戦中には副総裁アドバイザーとなった1917年副総裁となり、1920年には総裁となったノーマン指導のもとで、イングランド銀行は大きく変革された。ニューヨーク連邦準備銀行初代総裁ベンジャミン・ストロングとは個人的な信頼関係築き第一次世界大戦後国際金融再建努力した1931年イギリス金本位制離脱し保有する外貨と金準備大蔵省移された。 ノーマンは、 アドルフ・ヒトラーナチス支持者であり、ナチス政権下ライヒスバンク総裁経済相務めたヒャルマル・シャハト親し友人であったノーマンシャハト家と親しくシャハトの孫の名付け親ともなった二人ともイギリス-ドイツ連盟英語版)および国際決済銀行一員であったチェコスロバキア国際決済銀行口座保有していた金を、ライヒスバンク動かしていた口座移動した件を承認したと言われている。10日以内に、金は他の複数口座移動した第二次世界大戦始まった2ヶ月後1939年秋にも、ノーマンチェコスロバキアの金をドイツ移動することを支持している。イギリス政府はこれを止めよう介入した1944年ノーマンはイングランド銀行から引退した

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