その他の各国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 06:43 UTC 版)
古代オリエントでは民族の興亡が激しく、都市防備の目的で日干し煉瓦などによる城壁が盛んに作られた。城門はこれらの都市城壁に設けられたので「市門」とも呼ばれる。ヒッタイトの王都ハットゥシャは周囲約6kmの城壁に囲まれ、東南には王の門、南にはスフィンクス門、西南には獅子の門といったアーチ門が設けられていた。門扉は頑丈な木製であったと推定される。古代オリエントの市門には獅子やスフィンクスなど王城を守護する目的で聖獣の彫像が置かれることが多く、実利に偏った中国の城門とは対照的であった。 古代ローマでは都市国家時代から全長8kmの城壁が7つの丘を囲み、周辺の諸都市、他民族からの侵略に備えていた。帝政期に入ると、アウレリアヌス帝の城壁に見られるような石組み、煉瓦造りのアーチ門が発達した。これらは現在でもその遺構を目にすることができる。その後、城門には塔が増築されるなどして頑強なものとなっている。 ローマ都市の影響を受けた西ヨーロッパ社会では引き続いてローマ時代の城壁や城門が使われた。10世紀以降、封建制の発展に伴って、中小規模の封建領主が各自自らの居館として城塞を建て始めるが、こういった城塞の門もまた、都市城壁の城門に倣ったものであった。西欧には諸侯同士の戦争だけでなく、イスラム教徒侵入の恐れが常時内在しており、都市の城門はより一層壁を厚く、高くしていった。 城門は石、煉瓦を積み重ねて出来ており、開口部はアーチ門の構造を取ることが多かった。門に付属して円筒形の塔 (turret) が構築され城門への寄せ手に弓や火器による攻撃を行った。門扉の他に鉄製や木製のポートカリス(Portcullis)と呼ばれる落とし格子、門外には堀が穿たれ、跳ね橋などによって外部からの侵入を退けやすくした。城門の外側に2重の城門が造られることもあり、こういった城外の小郭や門楼をバービカン (barbican) という。 これらの堅牢な城門を破るために破城槌、攻城塔などが活用されたが、中世が終わり、近代社会の到来に伴って、火砲は大きく発達を遂げ、封建諸侯の時代は終わり、政治的には絶対主義、軍事的には星形要塞など近代城郭が西欧社会に現れることとなる。 復元されたバビロンのイシュタル門(イラク) コンスタンティノープルの第二軍の門(トルコ) シーラーズのクルアーン門(イラン) サナア城門(イエメン) アビラ城壁のアルカサル門(スペイン) ハールレムの市門(オランダ) タラスコン城城門(フランス) カルカソンヌ城のナルボンヌ門(フランス) メヘレンのブリュッセル門(ベルギー) リューベックのホルステン門(ドイツ) チャール・ミナール(ハイデラバード) アンベール城のガネーシャ門(インド)
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