三省堂 大辞林 |
ええじゃないか ええぢや―
→おかげまいり
映画情報 |
ええじゃないか
| 原題: | |
| 製作国: | 日本 |
| 製作年: | 1981 |
| 配給: | 松竹 |
| スタッフ | |
| 監督: | 今村昌平 イマムラショウヘイ |
| 製作: | 小沢昭一 オザワショウイチ |
| 友田二郎 トモダジロウ | |
| 杉崎重美 | |
| 原作: | 今村昌平 イマムラショウヘイ |
| 脚本: | 今村昌平 イマムラショウヘイ |
| 宮本研 ミヤモトケン | |
| 撮影: | 姫田真佐久 ヒメダシンサク |
| 音楽: | 池辺晋一郎 イケベシンイチロウ |
| 美術: | 佐谷晃能 |
| 編集: | 浦岡敬一 ウラオカケイイチ |
| 録音: | 吉田庄太郎 ヨシダショウタロウ |
| スクリプター: | 林美一 |
| 関矢幸雄 セキヤユキオ | |
| スチール: | 赤井博且 アカイヒロカツ |
| 助監督: | 南部英夫 ナンブヒデオ |
| 照明: | 岩木保夫 イワキヤスオ |
| 制作補: | 中條宏行 |
| キャスト(役名) |
| 桃井かおり モモイカオリ (イネ) |
| 泉谷しげる イズミヤシゲル (源次) |
| 緒形拳 オガタケン (古川条理) |
| 露口茂 ツユグチシゲル (金蔵) |
| 草刈正雄 クサカリマサオ (イトマン) |
| 樋浦勉 ヒウラベン (三次) |
| 丹古母鬼馬二 タンコボキバジ (ゴン) |
| 火野正平 ヒノショウヘイ (孫七) |
| 野口雅弘 ノグチマサヒロ (卯之吉) |
| 倍賞美津子 バイショウミツコ (お甲) |
| 田中裕子 タナカユウコ (お松) |
| かわいのどか (綾若) |
| 犬塚弘 イヌヅカヒロシ (ヤモメの六) |
| 河野洋平 コウノヨウヘイ (原市之進) |
| 寺田農 テラダミノリ (使集院主馬) |
| 倉田保昭 クラタヤスアキ (月野木伴次郎) |
| 池波志乃 イケナミシノ (吉野) |
| 高松英郎 タカマツヒデオ (小出大和守) |
| 白川和子 シラカワカズコ (ヤミクモ太夫) |
| 伴淳三郎 バンジュンザブロウ (虎松) |
| 三木のり平 ミキノリヘイ (桝屋富衛門) |
| 河原崎長一郎 カワラサキチョウイチロウ (中沢一作) |
| 小沢昭一 オザワショウイチ (鵜飼作之丞) |
| 生田悦子 イクタエツコ (古川縫) |
| 小林稔侍 コバヤシネンジ (又吉) |
| 矢吹二朗 ヤブキジロウ (千松) |
| 殿山泰司 トノヤマタイジ (上州屋) |
| 亜湖 アコ (およし) |
| 深水三章 シンスイサンショウ (伝助) |
| 河西健司 (カルワザ) |
| ミスタースリムカンパニー (出演協力) |
| キグレサーカス (出演協力) |
| 横浜放送映画専門学院 (出演協力) |
| 解説 |
| 江戸時代末期に発生したええじゃないか騒動や百姓一揆など騒然とした世相を背景に江戸東両国界隈に生きた下層庶民のバイタリティ溢れる生活を描く。脚本は「復讐するは我にあり」の今村昌平と宮本研の共同執筆、監督も同作の今村昌平、撮影も同作の姫田真佐久がそれぞれ担当。 |
| ストーリー※ストーリーの結末まで記載されていますので、ご注意ください |
| 慶応二年、日本は激動期の真只中にあった。源次はそんな江戸へ六年ぶりにアメリカから帰って来た。上州の貧農の出の源次は横浜港沖で生糸の運搬作業中に難破し、アメリカ船に救けられ、そのまま彼の地に渡ったのだ。その間、妻のイネは、病身の父に売られ、現在、東両国の“それふけ小屋”(ストリップ劇場)で小紫太夫と名乗って出演している。源次はなんとかイネを発見、六年ぶりの再会に二人は抱きあった。見せ物小屋の立ち並ぶ東両国は、芸人、スリ、乞食、ポン引きなどアブレ者の吹き溜り。源次は三次、ゴン、孫七、卯之吉、旗本くずれの古川など、したたかな連中に混ってそこに居ついてしまう。そして、金蔵がここら一帯を取り仕切っている。自由の国アメリカが頭から離れない源次は、イネを誘いアメリカ渡航を計るが、結局、彼女はこの猥雑な土地を見捨てられず、彼もイネの肉体にひかれて残ってしまう。この頃、幕府と薩摩、長州連合の対立は抜きさしならないところにきており、金蔵は薩摩の伊集院などの手先となって、一揆の煽動など、天下を騒がす仕事に飛びまわっていた。「ええじゃないかええじゃないか」と〈世直し〉の幟やムシロ旗を立てた群衆は次々と豪商の倉を襲っていった。この群衆の中に、金蔵配下の源次、ゴンたちがアジテーターとしてまぎれこんでいた。更に、この騒ぎの中に、親兄弟を虐殺された琉球人のイトマンが仇の薩摩藩士の姿を求めて鋭い目を光らせていた。そして、「ええじゃないか」の勢いは止まるところを知らず、群集は、歩兵隊の制止も聞かず、大橋を渡ろうとした。「死んだって ええじゃないか」源次が仆れた。数日後、復讐をとげたイトマンの舟が琉球へとすべり出した。舟を見送るイネ。その翌年、元号は明治となるのだった。 |
ウィキペディア |
ええじゃないか
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/04 09:26 UTC 版)
ええじゃないかは、日本の江戸時代末期の慶応3年(1867年)7月から翌慶応4年(1868年)4月にかけて、東海道、畿内を中心に、江戸から四国に広がった社会現象である。天から御札(神符)が降ってくる、これは慶事の前触れだ、という話が広まるとともに、民衆が仮装するなどして囃子言葉の「ええじゃないか」等を連呼しながら集団で町々を巡って熱狂的に踊った。
目次 |
目的
その目的は定かでない。囃子言葉と共に政治情勢が歌われたことから、世直しを訴える民衆運動であったと一般的には解釈されている。これに対し、討幕派が国内を混乱させるために引き起こした陽動作戦だったという説もある[1]。江戸のバブル期後の抑圧された世相の打ち壊しを避けるために幕府が仕掛けた「ガス抜き」であったという説もある。本来の意図が何であったにせよ、卑猥な歌詞などもあったところを見ると、多くの者はただブームに乗って楽しく騒いでいただけのようでもある[2]。
歌詞
岩倉具視の岩倉公実記によると、京の都下において、神符がまかれ、ヨイジャナイカ、エイジャナイカ、エイジャーナカトと叫んだという。八月下旬に始まり十二月九日王政復古発令の日に至て止む、とあり、明治維新直前の大衆騒動だったことがわかる。また、ええじゃないか、の語源は、京の都下で叫ばれた言葉であったようだ。
歌詞は各地で作られ、例えば「今年は世直りええじゃないか」(淡路)、「日本国の世直りはええじゃないか、豊年踊はお目出たい」(阿波)といった世直しの訴えのほか、「御かげでよいじゃないか、何んでもよいじゃないか、おまこに紙張れ、へげたら又はれ、よいじゃないか」(淡路)という性の解放、「長州がのぼた、物が安うなる、えじゃないか」(西宮)、「長州さんの御登り、えじゃないか、長と醍と、えじゃないか」(備後)の政治情勢を語るもの、などがあった。
お蔭参りとの関連性
「ええじゃないか」は後に付けられた名前であり、同時代には、「おかげ」「おかげ騒動」「おかげ祭」「お下り」「御札降り」「大踊」などと呼ばれていた。呼称は地域により多様であった。
ここで「おかげ」とは「お蔭参り」のことを指す。お蔭参りとは、庶民が奉公先から抜け出し、伊勢参りに出かける人が急増する現象のことで、江戸時代には元和3年(1617年)、慶安年間(1648年~1652年)、宝永2年(1705年)、明和8年(1771年)、文政13年・天保元年(1830年)というように約60年周期で自然発生的に繰り返された。いずれも期間は3箇月から5箇月で終わっている。明和のお陰参りの記録では300~400万人が伊勢に殺到した。十代将軍徳川家治の時代であり、享保年間の日本の人口統計では当時の人口は約2200万人であった。文政13年のお蔭参りは3箇月で約500万人が伊勢に押し掛けたと記されている。お蔭参りに参加する者に対しては、大商人があって、店舗や屋敷の解放、弁当・草鞋の配布を行った。
天から御札が降ってくる話はお蔭参りの御札降りに由来すると考えられる。実際、ええじゃないかでは「天から伊勢神宮の御札が降ってくる」と噂された。なお、伊勢神宮では御札のことを御祓いと呼ぶ。
なお、赤福のCMでは長らく、ええじゃないかを模したと思われるアニメが放送されてきた。上記お蔭参りとの関連によるものと思われる。
研究の時系列
最も古い研究文献は山口吉一の『阿波えゝぢやないか』(徳島土俗芸術研究所 1931年(昭和6年))であり、世直しの願望について触れている。
次に、藤谷俊雄『「おかげまいり」と「ええじゃないか」』(岩波書店 1968年(昭和43年))で、慶応3年8月 尾張が指摘されている。おかげまいりとの関連を指摘する。
以下では、いくつかの文献とそこで指摘されている発生場所・日時を挙げる。
| 文献 | 出版年 | 発生日時 | 発生場所 |
|---|---|---|---|
| 藤谷俊雄『「おかげまいり」と「ええじゃないか」(岩波書店)』 | 1968年(昭和43年) | 慶応3年8月 | 尾張国 |
| 西垣晴次『ええじゃないか』(新人物往来社) | 1973年(昭和48年) | 慶応3年8月15日 | 遠江国見附宿(静岡県磐田市) |
| 『豊川市史』 | 1973年(昭和48年) | 8月4日 | 三河国御油宿(愛知県豊川市) |
| 高木俊輔『ええじゃないか』(教育社) | 1979年(昭和54年) | 慶応3年7月22日以前 | 三河国吉田宿羽田八幡宮付近(愛知県豊橋市) |
| 田村貞雄『ええじゃないか始まる』(青木書店) | 1987年(昭和62年) | 慶応3年7月14日 | 三河国吉田宿牟呂八幡宮付近(豊橋市) |
このように最新の研究ほど発生日時が早いと主張している。これらは『岩倉公実記』に見える京都・八月下旬より1か月以上早い。
また、尾張名古屋説発表以後、静岡県磐田市、愛知県豊川市、愛知県豊橋市と、近隣地域で、起源論争が始まっていることがわかる。
豊橋市説
豊橋市図書館所蔵の留記(とめき);1988年(昭和63年)発行(森田光尋著)原本:森田家文書(刊年不明)によると、慶応3年7月14日に、御祓いと記載され、この御祓いが、伊勢神宮の札という。
名古屋市説
1983年(昭和58年)に製作されたアニメ『まんが日本史』では、幕末のええじゃないか騒動発祥は名古屋になっていた。1988年(昭和63年)発行の小学館の日本国語大辞典でも名古屋が発祥となっている。
豊川市説
平凡社マイペディアでは、慶応3年8月4日(1867年9月1日)、東海道の御油宿(愛知県豊川市御油)に秋葉神社の火防の札が降下したのが最初という。
映画
参考文献
脚注
- ^ 山梨日日新聞社、YBS山梨放送 富士山ネット「ええじゃないか」
- ^ ええじゃないかの絵からも、民衆は、政治運動としてというより、踊るのが楽しいからええじゃないかに参加していたように見える(NHK『その時歴史が動いた』「実録・ええじゃないか」)
関連項目
ええじゃないか。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/10/28 02:57 UTC 版)
| ええじゃないか。 |
|
|---|---|
| ジャンル | 紀行番組 |
| 放送時間 | 毎週水曜日 19:00 - 19:55(55分) |
| 放送期間 | 2007年4月4日 - |
| 放送国 | |
| 制作局 | 三重テレビ放送 |
| プロデューサー | 山田享司(三重テレビ) 渡辺茂幸(TAKE'S) |
| 出演者 | 堀口文宏(あさりど) 多田えりか |
| オープニング | たなかつとむ「え!え?え!じゃないか」 |
| エンディング | あさりど「ゴールデンメッセージ」 |
『ええじゃないか。』とは、独立UHF局ほかで放送されている三重テレビ製作の紀行番組である。ハイビジョン制作。製作局の三重テレビでは2007年4月4日放送開始。
この番組は東名阪ネット6加盟各局でゴールデンタイム枠で放送されているほか、奈良テレビでも放送中。また、インターローカルTVやとちぎテレビなどでも放送実績がある。
アナログ放送時代は、16:9レターボックスサイズでの放送を実施していたが、4:3サイドカットで放送していた時期(2007年10月 - 2010年3月)もあった。
目次 |
番組概要
第1シリーズ(2007年度)
江戸時代の末期、「おかげ参り」を済ませ、参堂脇の茶屋で一息ついていた「弥次郎兵衛」(弥次さん)と「喜多八」(喜多さん)の2人が、時代を超えて現代の伊勢路に現れた。しかも気がつけば「ええじゃないか」と染め抜かれたのぼりを背に、三重県の魅力を全国に伝えなければならないという使命を受ける。その使命を受けた2人は、日本橋(東京都)を振り出しに旧東海道の町並みを、その土地の人々に三重県の自慢を3択問題(『三重自慢クイズ』)にて出題するなどして歴史や文化を体感しながら三重の魅力を伝える。
第2シリーズ『弥次喜多おかげ旅』(2008年度)
1年間を掛けて東海道をたどり、お伊勢参りを果たした弥次さん・喜多さんは伊勢神宮の程近くにある長屋でのんびりと暮らしていた。そこにくノ一・お敬が現れ、お敬の師匠の独断により2人は「三重の魅力普及委員会」の会長とその部下に任ぜられる。師匠の目的である三重の魅力を伝え、全国にある三重と関わりのある町を再発見するため、併せて指令を紐解きながら2人の旅が再び始まった。
同シリーズでは週替わりで旅先で見つけた逸品を、月替わりで商品券(旅行券)をそれぞれ視聴者プレゼントにしていた。
第3シリーズ『平成弥次さん出会い旅』(2009年度)
東海道中膝栗毛でおなじみの「弥次郎兵衛」(弥次さん)と「喜多八」(喜多さん)。実は、その2人の個性を受け継ぐ子孫の1人が三重のとある街にいた。彼の名は八代目・弥次郎兵衛ことカメラマン堀口文宏。彼には、ご先祖様の相方であった喜多さんの子孫を探し出し、平成の弥次喜多として再びお伊勢参りをするという夢がある。喜多さんの似顔絵に似た喜多さんの子孫と思しき人物の目撃情報を仕入れた、くノ一の子孫で堀口のカメラアシスタントでもある大西敬子とともに、平成の弥次さんによる平成の喜多さんを探す旅が始まった。
同シリーズでは毎週、商品券(旅行券)を視聴者にプレゼントしていた。
第4シリーズ『撮って出し!平成弥次さん取材旅』(2010年度 - )
第1期(2010年4月 - 2011年3月)
伊勢神宮のお膝元にある旅行雑誌社「週刊ええじゃないか。」。カメラマンと取材記者、普段からコンビで取材に出掛けている事からの様相を呈していた。そこで男性カメラマンは「弥次さん」、女性記者は「喜多子」といつしかニックネームで呼ばれるようになる。その2人が三重県や東名阪の各地を取材しながら、旅を繰り広げる。
第2期(2011年4月 - )
賑やかさの変わらない、お伊勢さん。写真コンテストの入賞を目指して、最高の一枚を求めて写真を撮り続ける、カメラマンの弥次。一方で最高のネタを探し求める、ライターの喜多子。2人はコンビを組んで、三重県や東名阪の各地へと取材旅行に向かうのだった。
前シリーズに引き続き毎週、商品券(旅行券)を視聴者にプレゼントしている。
ミニコーナー
※ 放送日は三重テレビ基準
- みえじゃないか。[1] (2007年4月 - 2008年3月)
- 大西敬子と西山千代の二人が毎回三重県内の観光地(1か所)を紹介。
- (コーナー名称不明) (2010年4月 - 2011年)
- 伊勢マスターへの道 (2010年10月27日 - 2011年3月)
- 番組プロデューサーからの提言により、弥次さん(堀口)が来年度以降の出演継続をかけて、「検定お伊勢さん」に挑む様子を紹介。年度末の総集編において、合格発表が行われ、弥次さんは見事合格を果たし、出演継続が決定した。
- おかげ犬が行く (2011年4月 - )
- 現代によみがえった「おかげ犬」[2]が、三重県内の街道を犬の視点で、のんびりと巡る。
- 丸山千枚田で美味しいお米を作ろう!! (2011年4月 - )
- 番組プロデューサーからの提言により、弥次さん(堀口)の「検定お伊勢さん」合格記念として、祝賀会を催すことになった。それに必要なご馳走、即ち「ごはん(米)」を作るために、弥次さんが丸山千枚田のオーナーとなり、稲作に挑む様子を紹介。進捗状況は番組公式サイト内「丸山千枚田プロジェクト」でも随時紹介している。
キャスト
現在の出演者
- 堀口文宏[3](あさりど) - カメラマン「弥次さん」役で出演[4]。
- 多田えりか - 記者「喜多子(喜多さん)」役で出演。
- 独立UHF各局(奈良テレビ除く)の女性アナウンサー[5] - 喜多子の代役
過去の出演者
- 藤元英樹 - 弥次郎兵衛役で出演(第1・2シリーズ)。
- たなかつとむ - 喜多八役で出演(第1・2シリーズ)。
- 大西敬子 - 『みえじゃないか。』リポーター(第1シリーズ)やくノ一・お敬役(第2シリーズ)、アシスタント役(第3シリーズ)でそれぞれ出演。第1シリーズでは三重県内のリポートのみで、第2シリーズでは県外ロケの回は不参加であったが、第3シリーズでは初めて県外ロケにも登場した[6]。
- 西山千代 - 『みえじゃないか。』リポーターとして出演(2007年10月 - 2008年3月)。また、2008年12月24日放送分(三重テレビ・テレビ神奈川基準)でも再登場した。
ゲスト出演者
ナレーター
現在のナレーター
- 石原ゆきこ
過去のナレーター
- 遠松未来 - 第1シリーズでは弥次喜多パートのナレーション(2007年4月 - 2008年3月)を、第2シリーズでは全編のナレーション(2008年4月 - 2009年3月)をそれぞれ担当していた。
- 米山伸五 - 『みえじゃないか。』パートのナレーションを担当(2007年4月 - 2008年3月)。
ネット局
現在のネット局
| 放送地域 | 放送局 | 放送日時 | 放送系列 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 三重県 | 三重テレビ放送 | 水曜 19時00分 - 19時55分[8] | 独立UHF局 東名阪ネット6[9] |
番組制作局 |
| 埼玉県 | テレビ埼玉 | 水曜 20時00分 - 20時55分 | 同日放送 | |
| 奈良県 | 奈良テレビ放送 | 木曜 8時30分 - 9時25分 | 1日遅れ | |
| 千葉県 | 千葉テレビ放送 | 木曜 19時00分 - 19時55分 | ||
| 神奈川県 | テレビ神奈川 | 金曜 20時00分 - 20時55分 | 2日遅れ | |
| 兵庫県 | サンテレビジョン | |||
| 京都府 | 京都放送 | 日曜 20時00分 - 20時55分 | 4日遅れ |
過去のネット局
- テレビ愛知(2010年1月8日 - 2010年3月)[10]
- とちぎテレビ(2010年4月 - 2011年3月)
- インターローカルTV(2008年2月 - 2010年9月)
スタッフ
- 構成 - 梅澤ヒロシ、福島弘子、三輪のり子
- 撮影 - 浅井伸英
- 音声 - 仙田浩司
- MA - 河野剛(アーバンライフスタジオ)
- 編集 - 岩月由和、大矢貴久
- テーマ曲 - 『え!え?え!じゃないか』(たなかつとむ)
- エンディング曲 - 『ゴールデンメッセージ』(あさりど)[11]
- 協力 - 三重県、近鉄、JR東海、伊勢市、鳥羽市、志摩市、南伊勢町、伊勢志摩観光コンベンション機構、三重県観光連盟
- 広報 - 長谷川さやか(三重テレビ)
- デスク - 松崎貴洋(三重テレビ)
- AD - 服部英一、山田悠介
- ディレクター - 菅井正人、布目裕貴、本田裕昭、ミツクデケンジ
- AP - 伊藤良介(三重テレビ)
- プロデューサー - 山田享司(三重テレビ)、渡辺茂幸(TAKE'S)
- 製作協力 - TAKE'S
- 製作・著作 - 三重テレビ放送
備考
- 三重テレビの2006年の年越しローカル番組に、この番組の出演者の藤元とたなかが旅の衣装のまま出演した。
- 2007年2月27日に、この番組のパイロット版が三重テレビローカルで放送された。
- 第1回目が放送された2007年4月4日、三重テレビではこの回に限り85分編成の特別編が放送された(通常は55分番組)。この特別編では日本橋のほか、東海道の終着地である三条大橋のある京都をお笑いコンビのアジアンが紹介した。なお、その他の放送局ではパイロット版を再編集したものが放送された。
- 三重テレビ以外の放送局では、プロ野球中継などの特別番組が組まれる場合は原則としてその回の放送は休止となる。また、一部放送局では特別番組の編成により、1か月以上も休止になることがある。
脚注
- ^ コーナー名は2007年10月放送分より設定。
- ^ 登場する犬はIPCわんわん動物園で飼育されているもので、コーナーオープニングにも協力会社としてクレジットされている。
- ^ 過去に『キンさばっ!! 〜近所の裁き〜』にも出演していた。
- ^ 第3シリーズでは8代目弥次郎兵衛役で出演。
- ^ 2011年6月15日放送分(三重テレビ基準)では、初めて男性アナウンサー(中久木大力)が同行した。
- ^ すべての県外の回に登場するわけではなく、参加しない場合は代役に地元各局の女性アナウンサーが同行した。
- ^ 『みえじゃないか。』で出演。
- ^ 『三重テレビナイター』が放送される日には22時15分からの放送。
- ^ 奈良テレビ放送を除く。
- ^ 独立局・CS放送以外では初のネットであり、また、初の深夜帯での放送だった。
- ^ スタッフロール内ではなく、エンディング冒頭にクレジットされる。
外部リンク
| 三重テレビ 水曜20:00 - 20:55枠 | ||
|---|---|---|
| 前番組 | 番組名 | 次番組 |
|
所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!
(20:00 - 20:55) |
ええじゃないか。
(2007年4月 - 2008年3月) |
たけしの誰でもピカソ
(20:00 - 20:55) |
| 三重テレビ 水曜22:15 - 23:10枠 | ||
|
たけしの誰でもピカソ
(22:15 - 23:10) |
ええじゃないか。
(2008年4月 - 2009年3月) |
ドキュメンタリー特選
(22:15 - 23:10) |
| 三重テレビ 水曜19:00 - 19:55枠 | ||
|
ペット大集合!ポチたま
(19:00 - 19:55) |
ええじゃないか。
(2009年4月 - 現在) |
-
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