「第三の男」の存在
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 11:59 UTC 版)
「富山・長野連続女性誘拐殺人事件」の記事における「「第三の男」の存在」の解説
第14回公判では、2月24日20時30分ごろにMが被害者Aとともに立ち寄り、翌25日にも再び立ち寄った細入村の「キャニオン」の経営者が証人として出廷。検察官による主尋問に対しては、「24日11時過ぎにMが現れ、30分後に北野らしい男と落ち合った」と証言した一方、弁護人の反対尋問に対しては以下のように証言した(以下、漢数字はアラビア数字に置き換えている)。 「25日午前8時30分ごろ、北野とは違う男が、裾を折り曲げたジーパンをはいた娘と現れた。(中略)間もなくMらしい女が現れ、娘が沈んだ様子だったので、男が声をかけた。“大丈夫だから、すぐ慣れるから”。これを聞いて、バーテンがホステスを勧誘していると思った」 — 証人はその男について、「30歳ぐらいでスポーツ刈り、身長160 cm前後」と証言した一方、北野の身長は175 cmであった。この証言を受け、検察官は「Mと北野が接触している」と主張した一方、弁護人は「第三の男が介在している」と主張。1983年3月22日には北野の弁護団が、「両事件ともMの単独犯で、北野は利用されただけだ」とする冒頭陳述書を提出し、第36回公判(同年7月)で以下のように陳述した。 (Mは)借金の返済を迫られるうちに、 (19) 80年1月ごろ、「身代金目的誘拐なら女でもできる」と思い立った。北野に対しては、『大宮の仲間と作った詐欺会社で大金を作る、金沢でも土地代金が入る』と話しておいた。2月23日、Mは「土地の話で金沢へ行きカネを受取ってくる」と北野に言った。富山駅へ行きAを誘い、アルバイトの話を持ちかけ、「北陸企画」に泊めた。24日午前11時ごろ、Aを紹介するため“某男性”に連絡を取った。そして30分後に、細入村の「キャニオン」で落ち合い、3人でアルバイトの話をした。夜になって、MとAと“某男性”の3人は、岐阜県古川町の「大樹」で、ラーメンを食べた。 25日の午前8時30分すぎ、3人は「キャニオン」で会った。このとき“某男性”が、Aに「すぐ慣れるよ」と言った。25日夜、フェアレディZにAを乗せ、Mは岐阜県高山市の方向へ連れ出した。途中でMは、4回にわたって“某男性”に電話をかけたが、不在でつながらない。午後8時すぎ、数河峠の「エコー」に入った。このときMは、Aがトイレに立った隙に、睡眠薬ネルボン1錠を、飲み物の中に入れた。 その後ようやく、“某男性”と電話が通じた。100円玉を2回も両替えする長話で、店を出て車に乗ったら、睡眠薬が効いてAが寝たので、用意のヒモで絞殺した。 — 弁護団は、この“某男性”を「北野以外の複数の男性」と主張した。また、第38回公判で被告人Mは、北野弁護団からの質問に対し、「富山事件後、(後述の)タイヤ業者から『警察で調べを受けた』と言われ、『2月24日夜、フェアレディZに女の子を乗せて「北陸企画」へ帰ったのを目撃した人がいる。その子はあなたの知り合いの女の子だと警察で証言してほしい』と頼み、引き受けてもらった」と証言した。 1983年1月の第54回公判で、その“某男性”のうち1人(Mと結婚相談所で知り合い、金を貸していた富山市内のタイヤ業者)が出廷した。彼は、富山事件で逮捕される前のMと交際しており、捜査段階でも強い嫌疑を掛けられていたが、2月25日夜に自宅にいたアリバイが証明されていた。彼は法廷で、「2月24日 - 25日ごろは、M以外の女性とは会っていない」と証言したが、「3月10日ごろ、Mから口裏合わせを頼まれたか?」という質問に対しては「『女の子を北日本新聞社の前から北陸企画へ送れ』と私が指示したことにしてくれと(Mから)頼まれ、引き受けた」と証言した。同年8月2日以降、長野事件の尋問が開始される。
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