「第一章」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/07 09:37 UTC 版)
第一章では、『時事新報』で社説を執筆した人々について記されている。まず、『時事新報』創刊号に掲載された「社説」は、「本紙発兌之趣旨」という題名で、論説が執筆されるシステムを次のように説明している: 其名を時事新報と命じたるは、專ら近時(○)の文明を記して、此文明に進む所以の方略事(○)項を論じ、日新(○)の風潮に後れずして、之を世上に報(○)道せんとするの旨なり。即ち我同志の主義にして、其論説の如きは社員の筆硯に乏しからずと雖ども、特に福澤小幡兩氏の立案を乞ひ、又其檢閲を煩はすことなれば、大方の君子も此新聞を見て、果して我輩の持論如何を明知して、時としては高評を賜はることもあらん。 すなわち、論説の大部分は社員が執筆するが、福澤諭吉と小幡篤次郎とが立案して記者が執筆するものもある、というシステムである。この社説記者の名前と、その編集部在籍期間は以下の通りである: 中上川彦次郎 - 1882年(明治15年)3月〜1887年(明治20年)4月 波多野承五郎 - 1882年(明治15年)3月〜1884年(明治17年)7月 渡辺治 - 1882年(明治15年)5月〜1889年(明治22年)1月 高橋義雄 - 1882年(明治15年)5月〜1887年(明治20年)7月 石河幹明 - 1885年(明治18年)4月〜1922年(大正11年)5月 菊池武徳 - 1887年(明治20年)4月〜1894年(明治27年)12月 北川礼弼 - 1894年(明治27年)4月頃〜1899年(明治32年)?月 堀江帰一 - 1897年(明治30年)3月〜1899年(明治32年)7月 この中で、石河以外は政界、財界、学会に転出したため在籍期間は短い。石河は『時事新報』に残ったため在籍期間が特に長くなっている。
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