「定説」への異議とは? わかりやすく解説

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「定説」への異議

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/01 23:50 UTC 版)

赤い靴」の記事における「「定説」への異議」の解説

この「定説」には「捏造」が含まれているという説が作家阿井渉介によって提唱された。阿井は、1986年昭和61年)、静岡日本平に「母子像」が建立された際、地元テレビ静岡放送制作した記念番組流離の詩・赤い靴はいてた女の子』の構成台本依頼され執筆したが、このとき菊地本や、『ドキュメント赤い靴はいてた女の子』に示された「定説」の事実関係不審抱き、のちに「定説」の矛盾点追究する至ったという。そして、著書『捏像 はいてなかった赤い靴』(徳間書店 2007年12月 ISBN 4-19-862458-5)において、「定説」には根拠がないとする批判明らかにした。 阿井による説は以下の通りである。 きみの実父佐野だとする菊地本に根拠がない。きみが戸籍上、佐野養女になっているのは、私生児祖父戸籍入れ措置準じて考えるべき。 菊地本で養親比定されている宣教師の名前は、正しくはヒューエット。ただしヒューエット夫妻と、きみの間には全く接点がない。「きみが宣教師養女となった」という話は佐野がかよを安心させるためについた嘘であり、実は佐野2歳のきみを東京孤児院預けて、きみはそこで一生過ごしている。この時期北海道布教行なっていたヒューエット夫妻が、北海道渡ってもいないきみを養女とすることはありえない菊地本は「宣教師養女になったきみのことを、かよから聞いた情が詩にした」とするが、かよが情夫妻と言葉をかわす機会はそう多くなかったはずで、自分結婚前私生児産んだ進んで告白するとも思えない野口家鈴木家との親交は、夫同士仕事上のつきあい限られたものとおぼしい情の『赤い靴』は社会主義的ユートピア運動空想的社会主義)の挫折隠喩解すべきで、社会主義者伝道行商象徴する赤い箱車』と結びつけて考えるべきである。 阿井は、菊地自分取材不足を想像埋めたとして「捏造」と論難しているが、これに対して菊地自説骨子には誤りはないと主張している。 また阿井は、野口雨情の実息である野口存彌による研究をもとに「童謡赤い靴』を含む情の童謡特定の個人謳ったものはない」と主張している。一方菊地は、『赤い靴』以外にも特定個人謳った童謡存在するとしている。『シャボン玉』の詩にある「生まれてすぐにこわれてきえた」という一節に、情は夭折した長女への哀悼をこめたとしており、詩の解釈論でも両者対立している。 なお、「きみは宣教師養女となって渡米したものと、かよは生涯信じきっていた」という「かよの観点からの真実」については両者争いはない。その宣教師が「実在するヒュエット師」(菊地説)であるか、「佐野でっちあげた架空の存在」(阿井説)であるかで、両者およびその支持者対立しており、阿井は「きみと会ったともない、全く無関係のヒューエット夫妻の名誉を、菊地テレビ番組制作のための作り話で傷つけている」としている。 また、阿井は、情の『赤い靴』は「きみを謳ったものではない」と作家論からの立証試みと共に、「宣教師養女になったきみのことを、かよから聞いた情が詩にした」という話は、「かよの思いこみによる自慢話を、娘そのや菊地が更に粉飾したもの」と批判している。ただし「情さんがきみのことを詩にしてくれた」と、かよがそのに語った事実は「あった」としている。そのため、「かよによる『赤い靴』の詩歌解釈そのもの否定しきれていない。この点では「情の作家論」と「かよによる詩歌受容」と「菊地追跡取材プロセスの是非」を、両派ともに整理できず混交して論じているため、議論噛み合っていない。 なお、「かよが情夫妻にきみのことを話した」とする、岡そのの証言および菊地本への反駁として、阿井は「かよが情夫妻と言葉をかわす機会はそう多くなく、打ち明け話をするほど親しくはなっていない」ことについて綿密な検証行なっている。だが、その一方で鈴木情にきみのことを話した」か、あるいは「情のほうから鈴木家族のことを取材した可能性有無については両派とも論じていないため、「きみのことを情が知る機会あったか否か」についての検証はいまだ不充分である。 2009年平成21年8月北海道函館市に「定説」に基づいて『きみちゃん像』が建てられたが、それを伝え新聞記事中には、『赤い靴』をめぐって諸説あることを指摘するものがあった。毎日新聞は「平民農場開拓指導した幸徳秋水らによる社会主義ユートピア運動の挫折」を歌ったものとする指摘もあり、野口親族らからは「実在のモデルはなかった」との主張もされている」と報じている。 なお、情の童謡特定の個人謳ったものがあるかないかについては、親族間でも意見分かれている。情の孫で野口雨情記念館代表の野口不二子は、『シャボン玉』に情は夭折した長女への哀悼をこめたと講演語っている。「定説」に対すスタンスも、野口存彌野口不二子では対照的で、野口存彌は「定説に対して一貫して否定的だが、野口不二子函館の『きみちゃん像』建立向けて祝賀会記念講演行なっている。 ただし野口存彌も、童謡ではない初期の詩作については、片山潜社会主義論に傾倒していた野口茂吉情の一つ年下のいとこ、1905年明治38年)に横浜から渡米して1954年昭和29年)にロサンゼルス客死)の影響大きかったとしている。情を研究している長久保片雲は、「社会主義信じ、自由の天地アメリカ横浜から渡っていった、情の従兄たちの面影が『赤い靴』には投影されている」としており、この意見には阿井半ば賛意示しつつも、『赤い箱車』のイメージのほうを優先している。 野口不二子近著郷愁童心詩人 野口雨情伝』(講談社 2012年11月 ISBN 978-4-06-217924-9)の中で、『赤い靴』の4番は、茂吉を「ベースにして書いたとも思われる」としている。また「定説」については、「確証はない」としながらも、『赤い靴』について「何か下地になるような」体験にあったことは十分考えられるとしている。阿井説には全く触れていない。

※この「「定説」への異議」の解説は、「赤い靴」の解説の一部です。
「「定説」への異議」を含む「赤い靴」の記事については、「赤い靴」の概要を参照ください。

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