IRTフラッシング線 歴史

IRTフラッシング線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/16 15:12 UTC 版)

歴史

発祥

フラッシング線のもっとも初期の発祥は、ロングアイランド鉄道ニューヨーク・セントラル鉄道に連絡する目的で、1885年2月25日にスタインウェイ・トンネルを通るイースト・リバー・トンネル鉄道が設立された時である。この計画は検討されたものの、実際には実行に向けて何の手段も取られることなく、1887年にニューヨーク・アンド・ロングアイランド鉄道として再設立された。西は42丁目と10番街から、イースト川を渡ってヴァン・アルスト・アベニューまで走り、そこから残りの区間は私有地に建設することが計画された。計画には何度も変更が行われた。1890年にウィリアム・スタインウェイ英語版は、近所にある自身の所有地の価値が上昇することを見込んで、トンネルを電化することを会社に提案した。

1892年6月3日に、50番街とバーノン・アンド・ジャクソン・アベニューの交差点付近でトンネルに着工した。しかし湧水で土砂の搬出が妨げられるなど、いくつもの失敗や障害に見舞われて、プロジェクトは1893年2月2日に中断されることになった。1893年から1896年にかけて、何度もプロジェクトを再開しようとの呼びかけがあり、ニュージャージー州まで延長しようとの声もあったが、無駄に終わった[2]。最終的にトンネルは、1915年に地下鉄用に開通することになった[3][4][5]

「デュアルコントラクト」での建設

33丁目-ローソン・ストリート駅にて北行の7系統の列車、R36型「レッドバード」が運用を終了する以前

クイーンズボロ・プラザ駅では、BMTの60丁目トンネルからの路線とフラッシング線が出合い、またクイーンズボロ橋を渡る高架のIRT2番街線も合流していた。この駅から東側では、ニューヨーク市と結んだ「デュアルコントラクト英語版」(二重契約、IRTとBMTの双方がニューヨーク市と結んだ都市鉄道の建設・運営に関する契約)の一環としてフラッシング線とアストリア線が建設された。これらの路線は公式にはIRTの路線であり、BMTが取消不可能で平等な運行権を持っていた。BMTの車両は幅が広く、各プラットホームはIRT用に建設されていたため、通常のBMTの車両はクイーンズボロ・プラザ駅までの運行とされ、マンハッタン高架鉄道の車両を使ってアストリア-ディトマース・ブールバード駅およびフラッシング-メイン・ストリート駅まで交互に運行するシャトル列車に乗り換えとなっていた。IRT側の列車は、クイーンズボロ線およびクイーンズボロ橋からアストリア線およびフラッシング線に直通していた。ただしフラッシング線は、フラッシングまで完成するまではコロナ線あるいはウッドサイド・アンド・コロナ線と呼ばれていた。

クイーンズボロ・プラザ駅から103丁目-コロナ・プラザ駅までの区間は1917年4月21日に開通した[6]。BMT側のフラッシング線およびアストリア線でのシャトル列車は、1923年4月8日に運行を開始した[7]。ここより東側では、出典によって各区間の開通日が異なっている。ニューヨーク・タイムズの1927年5月8日の記事では、現在のメッツ-ウィレッツ・ポイント駅までの区間が5月7日に運行を開始したとし、構造物の沈下の問題で遅れが出たことについて言及している[8]。5月13日から5月15日までの一連の記事では、ウィレッツ・ポイント駅までの開通に伴う5月14日の祝賀行事について触れている[9][10]。最終的に1928年1月22日の記事では、1月21日まで列車の運行は103丁目/コロナ・プラザ駅までであったとし、延長工事は1年以上前に完成していたものの構造上の問題により強化する必要があったと触れている[11]

フラッシング-メイン・ストリート駅までは1928年1月2日に開通した。しかし、フラッシング-メイン・ストリート駅は当初から路線の終点として意図されていたわけではなかった。1913年6月の公共事業委員会では、フラッシングより先までの路線の延長について活発に検討しており、後に大規模な地下鉄網拡大計画の一環として計画されたものの、こうした延長計画が実現することはなかった。当時は、フラッシング/メイン・ストリート駅より先まで線路が伸びて列車の留置線につながっていた[12]

西側への延長も行われ、一部は42丁目シャトルの下に建設された。

1939年のニューヨーク万国博覧会に向けて、ウィレッツ・ポイント・ブールバード駅(メッツ-ウィレッツ・ポイント駅)は当初の位置より西側に移転し、123丁目の中央に建て替えられた。旧駅の残骸の一部は今でも見ることができる。鉄製の構造物が旧駅の外側のプラットホームの位置を示しており、また現在の駅の東側に改札口の名残がある。当初のウィレッツ・ポイント・ブールバード駅はフラッシング線の中では小さな駅で、2か所しか階段がなくプラットホームの屋根も短いものであったが、この建て替えにより今日のような大きな駅となった。2回の万国博覧会(1939年1964年)で使われた階段は現在でも使われており、テニス全米オープンなどの特別なイベントに際して供用される。万国博覧会へのフラッシング線での急行運転は1939年4月24日に開始された[15]。中央の急行線が営業運転に用いられたのはこの時が最初で、万国博覧会以前には急行線は回送や建設作業中の迂回運行にのみ用いられていた。

現在も歴史的にも、フラッシング線を運行するIRTの列車は7系統という番号を割り当てられていたが、1948年にR12型車両英語版が導入されるまで、車両には表示されていなかった。BMTの列車に対しては9系統と割り当てられていたが、地図に示されるだけで列車には表示されていなかった。

運行の縮小と若干の改良

1942年にIRT2番街線の運行が終了し、コロナ線の車両の大規模な修理はコニー・アイランド工場に移管された。これに加えて、1942年6月13日(2番街線の運行がクイーンズボロ橋の連絡を含めて終了した時点)から1955年5月12日(3番街線の運行終了時)まで、IRT3番街線との無料の乗換がグランド・セントラル駅でできるようになった。1949年秋には、BMTとIRTの合同運行協定が終了し、フラッシング線の運行はIRTが担当することになった。アストリア線はプラットホームが削られて、BMTの列車専用となった。このために、当時8本の番線があったクイーンズボロ・プラザ駅を通る経路は集約され、後に北側半分の構造物は取り壊された。取り壊されたプラットホームの痕跡は、この地域に乗り入れる線路だけでなく、駅の鋼製構造物にもなお見ることができる。

11両編成が発着可能な特に長いプラットホームも、共同運行をしていた時期の名残である。しかし、フラッシング線のこれ以外の駅は当時は9両編成のみの対応であり、1950年代に11両編成に対応するために拡張された[16]

1957年に列車識別・自動進路制御 (IDENTRA)がフラッシング線に導入され、1997年まで使われていた。1997年にB1アストリア線および緩行・急行選択ボタンを備えた進路設定装置がクイーンズボロ・プラザ駅の上層階の10両・11両編成目標位置に設置された[16][17]。IDENTRAは、取り外し可能な円形の無線アンテナ装置を使い、1948年から路線に導入されていたR12型車両英語版R14型車両英語版R15型車両英語版およびR17型車両英語版の前部に設置された小さな取付金具にスライドさせて取り付けていた。仕組みとしてはCBTCで使われている無線トランスポンダーとよく似ており、小さな箱型の進路設定スイッチで列車種別(各駅停車または急行)を設定しておくと、無線アンテナからの信号でクイーンズボロ・プラザ駅およびフラッシング-メイン・ストリート駅近くの分岐器が所定の向きに転換されるようになっていた。これにより路線上の信号扱所の数は10から2に削減された[18][16]。このシステムは、南東ペンシルベニア交通局ブロード・ストリート線英語版など多くの都市交通でなお使用中であり、取り外し可能な円形アンテナがトイレの便座に似ていることから「便座」などとあだ名をつけられている。

衰退と再生

ニューヨーク市地下鉄の他の路線と同様に、フラッシング線も1970年代から1980年代末まで荒廃していくにまかされていた。当時、ただちに注意を要するような構造上の問題点には「コードレッド」あるいは「レッドタグ」を付けられていた。フラッシング線でも「コードレッド」は数多かった。高架構造を支える一部の柱はあまりに脆弱であったため、風速が65マイル毎時(105 km/h)を超えると列車の運行が中止された。これは特にフラッシング線とBMTジャマイカ線に顕著であった。

1985年5月13日に、IRTフラッシング線をオーバーホールする4年半のプロジェクトに着工した。この期間中週末には路線の大半で単線運転となり、またプロジェクトの全期間にわたって急行運転が中止された。結果的に、メトロポリタン・トランスポーテーション・オーソリティ (MTA) はこの変更をニューヨーク・タイムズ、スタテン・アイランド・アドバンス英語版デイリーニューズニューズデイの各紙にリーフレットを差し込むことで告知した。このプロジェクトで、新しい線路に更新し、コンクリートや鋼鉄の構造物を置き換えあるいは修理し、木造の上屋をアルミニウム製のものに置き換え、照明や案内表示を改善し、新しい換気やポンプの設備を導入した。ニューヨーク・メッツが本拠地で試合を行うときや、フラッシング・メドウズ・コロナ・パークでスポーツのイベントがあるときなどには、運行が拡大されることがあった。逆説的であるが、フラッシング線の各駅停車は修理工事が開始される以前より開始されてからの方が定時性が高かった。

クイーンズ・ブールバードのコンクリート高架橋の6000万ドルをかけた修復工事は1989年8月21日に完了した。フラッシング線の急行運転が再開された際に、61丁目-ウッドサイド駅に止まらなくなった。このことは、急行の停車を再開させるように求める抗議活動を引き起こした。急行の停車が廃止になったのは、MTAでは急行と各駅停車の乗換に時間がかかりすぎると感じていたということがあった。また33丁目-ローソン・ストリート駅の後で各駅停車と急行が合流する際に遅れが出る恐れもこの運行方針の理由であった。急行の61丁目-ウッドサイド駅通過で、各駅停車が61丁目-ウッドサイド駅にラッシュ時には4分おき(1時間に15本)に停車できるようにするとされていたが、実際には利用者によれば、8分から10分に1本(1時間に6本から8本)程度でしかなかったという。地域の反対運動により再度ダイヤが変更されることになり、数か月後に61丁目-ウッドサイド駅に急行停車が復活した[19]

自動運転の導入

2012年1月にMTAは、フラッシング線を自動運転化する計画の一環として、CBTCシステムの導入をする契約を3億4300万ドルでタレスに発注した。これはBMTカナーシー線へのCBTC導入に次ぐ2番目の導入であった。総費用は信号システムやその他の地上側の設備に5億5000万ドル、CBTC対応の車両に6億1370万ドルであった[18]

フラッシング線が次のCBTC導入路線として選択されたのは、フラッシング線も現在運行中の他の地下鉄路線と直接の接続をもたない、独立した路線だからである。フラッシング線のCBTC導入用の資本予算は2010年から2014年にかけて割り当てられ、2016年または2017年に導入が完了する予定となっている[20]。CBTC対応車両として、R188型車両が発注された。CBTCの導入で、ピーク時に現状1時間27本の列車が走っているのに対して、さらに2本を増発することができるようになる。しかし、現在はCBTCなしでも1時間に33本の運転ができるように改造中である[18][21]

R188型の車両は、2013年11月9日から営業運転を開始した[22][23]。R188型の自動運転モードの試験走行は2014年末から始まることになっている[18]

CBTCの導入と独立して進められているのが下記の7系統延伸計画で、この区間もCBTCと従来の固定閉塞式信号機の双方を導入している。この延長で線路容量も増大する[18]

西への延伸

7系統延伸工事

フラッシング線はマンハッタンで西へ、そして南へ延長され、2015年9月13日に開通した[24]。この区間にはハドソン・ヤードにつながる、34丁目・11番街に1駅のみ開設された[25]が、かつては41丁目・10番街の位置にももう1つの駅が提案されていた[26]。資金が調達され、建設は2007年末に始まった[27]。延長区間の開通は何度かに渡って延期された[28][29][30]


  1. ^ フラッシング方面行の各駅停車のプラットホームだけ車いす対応、このプラットホームを使う列車はニューヨーク・メッツの試合やその他の特別な行事の時のみである[33]
  1. ^ MTA. “Average weekday subway ridership”. 2014年4月2日閲覧。
  2. ^ Feinman, Mark S.. “IRT Flushing Line”. www.nycsubway.org. www.nycsubway.org. 2013年4月21日閲覧。
  3. ^ a b c “Queensboro Tunnel Officially Opened”. The New York Times: p. 22. (1915年6月23日). http://query.nytimes.com/gst/abstract.html?res=980DE4DC1038E633A25750C2A9609C946496D6CF 2011年10月2日閲覧。 
  4. ^ a b “Subway Extension Open”. The New York Times: p. 22. (1916年2月16日). http://query.nytimes.com/gst/abstract.html?res=9505E3DD1F38E633A25755C1A9649C946796D6CF 2011年10月2日閲覧。 
  5. ^ a b c “New Subway Link”. The New York Times: p. XX4. (1916年11月5日). http://query.nytimes.com/gst/abstract.html?res=9D05E5D81439E233A25756C0A9679D946796D6CF 2011年10月2日閲覧。 
  6. ^ a b c d e f g h i j k l “Transit Service on Corona Extension of Dual Subway System Opened to the Public”. The New York Times: p. RE1. (1917年4月22日). http://query.nytimes.com/gst/abstract.html?res=9804E0D9153AE433A25751C2A9629C946696D6CF 2011年10月2日閲覧。 
  7. ^ “Additional Subway Service to Borough of Queens”. The New York Times: p. RE1. (1923年4月8日) 
  8. ^ “Corona Subway Extended”. The New York Times: p. 26. (1927年5月8日). http://select.nytimes.com/gst/abstract.html?res=F20F13F8395B157A93CAA9178ED85F438285F9 2011年10月2日閲覧。 
  9. ^ “Flushing to Celebrate”. The New York Times: p. 8. (1927年5月13日). http://select.nytimes.com/gst/abstract.html?res=F40911FE345414728DDDAA0994DD405B878EF1D3 2011年10月2日閲覧。 
  10. ^ “Dual Queens Celebration”. The New York Times: p. 3. (1927年5月15日). http://select.nytimes.com/gst/abstract.html?res=F30D10F6395B157A93C7A8178ED85F438285F9 2011年10月2日閲覧。 
  11. ^ “Flushing Rejoices as Subway Opens”. The New York Times: p. 28. (1928年1月22日). http://select.nytimes.com/gst/abstract.html?res=FB0711FC3F5C177A93C0AB178AD85F4C8285F9 2011年10月2日閲覧。 
  12. ^ nycsubway.org – IRT Flushing Line: Main Street/Flushing
  13. ^ a b “Fifth Av. Station of Subway Opened”. The New York Times: p. 29. (1926年3月23日). http://select.nytimes.com/gst/abstract.html?res=FA0A15F93B591B7A93C1AB1788D85F428285F9 2011年10月2日閲覧。 
  14. ^ a b “New Queens Subway Opened to Times Sq.”. The New York Times: p. 1. (1927年3月15日). http://select.nytimes.com/gst/abstract.html?res=FA0A14F73E5B157A93C7A81788D85F438285F9 2011年10月2日閲覧。 
  15. ^ “Fast Subway Service to Fair Is Opened”. The New York Times: p. 1. (1939年4月25日). http://select.nytimes.com/gst/abstract.html?res=F10712FC3A58127A93C7AB178FD85F4D8385F9 2011年10月2日閲覧。 
  16. ^ a b c "SUBWAY SIGNALS", thejoekorner.com
  17. ^ Conningham, Joseph J. (2009年4月1日). “Roots of an evolution: fifty years of automated train control in New York.(TRANSIT TRAIN CONTROL)”. Railway Age. 2016年2月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月15日閲覧。 “The latter included an installation on the IRT Flushing (7) line of the US&S IDENTRA (Identification of Trains and Routing Automatically) system in which a passive coil on the lead car actuated wayside readers to set routes and station signs.”(要購読契約)
  18. ^ a b c d e RPA CBTC plan
  19. ^ www.nycsubway.org”. www.nycsubway.org. 2016年1月2日閲覧。
  20. ^ Pages 11–12”. 2012年3月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年1月2日閲覧。
  21. ^ Rail Transit Capacity. Books.google.com. https://books.google.co.jp/books?id=NbYqQSQcE2MC&lpg=PA141&ots=majE0kDsX_&dq=moscow+40+trains+per+hour&pg=PA141&redir_esc=y&hl=ja#v=onepage&q&f=false 2014年5月20日閲覧。 
  22. ^ Mann, Ted. “MTA Tests New Subway Trains on Flushing Line”. The Wall Street Journal. 2013年11月19日閲覧。
  23. ^ MTA - news - New Subway Cars Being Put to the Test”. mta.info. 2014年5月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年1月2日閲覧。
  24. ^ Tangel, Andrew (2015年9月13日). “New Subway Station Opens on NYC’s Far West Side”. WSJ. 2015年9月13日閲覧。
  25. ^ Staff writer(s). “7 Line Extension”. Metropolitan Transportation Authority. 2013年7月3日閲覧。
  26. ^ “Transit Board Approves Funding For 7 Line Extension”. NY1. (2007年10月25日). オリジナルの2008年3月25日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20080325054207/http://www.ny1.com/ny1/content/index.jsp?stid=5&aid=74957 2010年2月28日閲覧。 
  27. ^ Construction Update — November 2008”. Metropolitan Transportation Authority. 2009年10月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年8月27日閲覧。
  28. ^ “MTA's 7 Line Extension Project Pushed Back Six Months”. NY1. (2012年6月5日). オリジナルの2012年7月11日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120711160459/http://www.ny1.com/content/news_beats/transit/162481/mta-s-7-line-extension-project-pushed-back-six-months 2012年6月5日閲覧。 
  29. ^ Cuozzo, Steve (2012年6月5日). “No. 7 train 6 mos. late”. New York Post. http://www.nypost.com/p/news/business/realestate/commercial/no_train_mos_late_BEjKsCL51LL06ZSZ58ZOiI 2012年6月5日閲覧。 
  30. ^ Emma G. Fitzsimmons (2015年3月24日). “More Delays for No. 7 Subway Line Extension”. New York Times. 2015年3月29日閲覧。
  31. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t MTA/New York City Transit Subway Line Information”. mta.info. Metropolitan Transportation Authority. 2013年4月21日閲覧。
  32. ^ a b c “Flushing Line Opens Jan. 21”. The New York Times: p. 12. (1928年1月12日). http://select.nytimes.com/gst/abstract.html?res=F70C15F73C5C177A93C0A8178AD85F4C8285F9 2011年10月2日閲覧。 
  33. ^ Mets - Willets Point Station: Accessibility on game days and special events only”. New York Metropolitan Transportation Authority. 2009年4月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年5月15日閲覧。
  34. ^ 7 Line Extension”. mta.info. Metropolitan Transportation Authority. 2016年1月2日閲覧。
  35. ^ Fitzsimmons, Emma G. (2015年9月10日). “Subway Station for 7 Line Opens on Far West Side”. The New York Times. 2015年9月13日閲覧。





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「IRTフラッシング線」の関連用語

IRTフラッシング線のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



IRTフラッシング線のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのIRTフラッシング線 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS