2004年アテネオリンピックの野球競技・日本代表
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/12 10:27 UTC 版)
2004年アテネオリンピックの野球競技・日本代表 | |
---|---|
主将を務めた宮本 | |
大会名 | 2004年アテネオリンピックの野球競技 |
日程 | 2004年8月15日 - 25日 |
成績 | 銅メダル |
監督 | 中畑清 |
< 20002008 > |
獲得メダル | ||
---|---|---|
男子 野球 | ||
日本 | ||
オリンピック | ||
銅 | 2004 | 野球 |
概要
プロ選手の参加が認められた2000年のシドニーオリンピックで、アマチュア主体のメンバーに松坂大輔らプロ8人を参加させた混成チームで出場しながら初めてメダルを逃した。そのため、日本球界が一丸となっての代表選定を目指して、監督に長嶋茂雄巨人終身名誉監督を起用し、初めて全選手をプロ選手のみで構成する代表が編成された。
代表チームはオリンピック予選を兼ねたアジア野球選手権大会を全勝してアテネ大会への出場権を得るが、長嶋は大会を前にした2004年3月4日に脳梗塞のため入院。病状によっては監督交代という事態も取り沙汰され、星野仙一(前阪神監督)や原辰徳(巨人監督)など具体的な名前も報道された。だが全日本野球会議は長嶋の早期回復を期待して、5月に長嶋体制の続行を決定する。6月25日の代表選手発表の会場には長嶋の姿は無かった。病状が回復した場合のアテネ行きも検討されたが、最終的に長嶋は医師団の判断を尊重して断念。結局代表チームの指揮はヘッドコーチの中畑清が執ることとなった。また監督としての登録を長嶋にすることもできなかったため、中畑が正式に監督となっている[1][2]。
また代表選出にあたっては、各球団の経営者側の判断によって、戦力への影響を公平にするとの目的で各球団から2名ずつに制限された。長嶋らは制限の撤廃を希望していたが、アテネ大会の開催期間中にもプロ野球の公式戦が通常通り行われることから、多くの代表候補選手を持ち、チームを優先させたい当時中日監督の落合博満や阪神監督の岡田彰布らの希望でもあった[3]。
日本代表は、野球が正式種目になって以来初めて予選リーグをトップ(6勝1敗)で通過して(銀メダルを獲得したアトランタ五輪代表は4勝3敗の予選3位)決勝トーナメントに進出した。キューバを五輪で破ったのも初めてである。しかし決勝トーナメント準決勝でオーストラリアに敗れて決勝進出を逃し、銅メダルに終わった。
代表メンバー
登録上のメンバーを上げる。いずれも選出当時。
背番号 | 氏名 | 所属球団 | 投 | 打 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|---|
監督 | 33 | 中畑清 | 打撃コーチ兼務 | |||
コーチ | 31 | 高木豊 | 守備・走塁コーチ | |||
32 | 大野豊 | 投手コーチ | ||||
投手 | 11 | 清水直行 | 千葉ロッテマリーンズ | 右 | 右 | |
13 | 岩瀬仁紀 | 中日ドラゴンズ | 左 | 左 | ||
15 | 黒田博樹 | 広島東洋カープ | 右 | 右 | ||
16 | 安藤優也 | 阪神タイガース | 右 | 右 | ||
17 | 三浦大輔 | 横浜ベイスターズ | 右 | 右 | ||
18 | 松坂大輔 | 西武ライオンズ | 右 | 右 | ||
19 | 上原浩治 | 読売ジャイアンツ | 右 | 右 | ||
20 | 岩隈久志 | 大阪近鉄バファローズ | 右 | 右 | ||
21 | 和田毅 | 福岡ダイエーホークス | 左 | 左 | ||
30 | 小林雅英 | 千葉ロッテマリーンズ | 右 | 右 | ||
61 | 石井弘寿 | ヤクルトスワローズ | 左 | 左 | ||
捕手 | 9 | 城島健司 | 福岡ダイエーホークス | 右 | 右 | |
59 | 相川亮二 | 横浜ベイスターズ | 右 | 右 | ||
内野手 | 2 | 小笠原道大 | 北海道日本ハムファイターズ | 右 | 左 | |
5 | 中村紀洋 | 大阪近鉄バファローズ | 右 | 右 | ||
6 | 宮本慎也 | ヤクルトスワローズ | 右 | 右 | ||
8 | 金子誠 | 北海道日本ハムファイターズ | 右 | 右 | ||
25 | 藤本敦士 | 阪神タイガース | 右 | 左 | ||
外野手 | 1 | 福留孝介 | 中日ドラゴンズ | 右 | 左 | |
10 | 谷佳知 | オリックス・ブルーウェーブ | 右 | 右 | ||
23 | 村松有人 | オリックス・ブルーウェーブ | 左 | 左 | ||
24 | 高橋由伸 | 読売ジャイアンツ | 右 | 左 | ||
27 | 木村拓也 | 広島東洋カープ | 右 | 両 | ||
55 | 和田一浩 | 西武ライオンズ | 右 | 右 |
壮行試合メンバー
2004年7月13日、14日に行われた日本代表壮行試合の選手として社会人野球から選出された選手は以下の通り。
坂本以外は、その後プロ野球を経験している。
アテネオリンピックの戦績
リーグ | 日時 | 対戦相手 | 結果 | 備考 |
---|---|---|---|---|
予選リーグ | 8月15日 | イタリア | 12-0 | 7回コールド |
8月16日 | オランダ | 8-3 | 第2グラウンド | |
8月17日 | キューバ | 6-3 | ||
8月18日 | オーストラリア | 4-9 | 第2グラウンド | |
8月20日 | カナダ | 9-1 | 第2グラウンド | |
8月21日 | チャイニーズタイペイ | 4x-3 | 延長13回 | |
8月22日 | ギリシャ | 6-1 | 1位通過 | |
準決勝 | 8月24日 | オーストラリア | 0-1 | |
3位決定戦 | 8月25日 | カナダ | 11-2 | 銅メダル獲得 |
- ^ http://www.la84foundation.org/6oic/OfficialReports/2004/Results/Baseball.pdf
- ^ マスコミの多くでは「監督が長嶋茂雄、ヘッド兼打撃コーチおよび監督代行が中畑」とされたが、登録上はあくまでも中畑が監督である。
- ^ 例を挙げれば予選で活躍した中日の井端弘和はこの2人枠のためチームでは福留孝介や岩瀬仁紀がいたため出場できなかった。また阪神は希望していた選手ではなくチームに影響のない安藤優也と藤本敦士を派遣した。
- ^ 朝日新聞 2004年8月25日
- ^ a b c d 朝日新聞 2004年8月26日
- ^ https://web.archive.org/web/20180921034544/https://bbcrix.com/articles/48208/original
- ^ https://www.asagei.com/excerpt/3825
- 1 2004年アテネオリンピックの野球競技・日本代表とは
- 2 2004年アテネオリンピックの野球競技・日本代表の概要
- 3 アジア地区予選兼第22回アジア野球選手権
- 4 その他
- 5 関連項目
- 2004年アテネオリンピックの野球競技・日本代表のページへのリンク