1992年のパリ-モスクワ-北京ラリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/03 07:54 UTC 版)
成績
19カ国から161台がエントリーし、うち153台(四輪93台、トラック22台、二輪15台、アシスタントトラック23台)が出走[17]。完走は57台だった[13]。
四輪・トラック部門の優勝争いは「シトロエン対三菱」というパリダカでもしのぎを削るワークス同士の対決となった。シトロエン・ZXラリーレイドには前半戦にトラブルが相次ぎ、5台中1台が炎上し3台が後退。生き残ったピエール・ラルティーグがラリーをリードし、三菱・パジェロ勢3台が続く展開となった。パジェロ勢先頭の篠塚建次郎はラルティーグを30分差で追い続けたが、終盤戦にオルタネーター故障のため4位へ後退。ラルティーグが逃げ切って総合優勝を果たした。シトロエンは1931年〜1932年に地中海から黄海へとユーラシア大陸を横断したシトロエン中央アジア探検隊(通称:黄色の巡行艦隊(Croisière jaune))[18]から60周年のラリーを勝利で飾った。
トラック最上位は総合17位のペルリーニ (Perlini) 。カマズ勢は地の利を活かしきれなかった。
二輪部門はジャン=クロード・オリビエ率いるヤマハ・モーター・フランスのYZE850Tスーパーテネレ2台がランデブー走行で圧勝。1位のステファン・ペテランセルと2位のマニャルディの差は5分以内という超接戦となった。ペテランセルはパリダカとパリ-モスクワ-北京という2大マラソンラリーを制覇した。完走した7台中6台がヤマハ製だった。
日本からは四輪18台、トラック2台、二輪3台が参加した[19]。おもな参加者では、ナビゲーターとして参加した浅賀明(トヨタ・ランドクルーザー)が総合15位(T1クラス3位)。親子で挑戦した浅賀敏則/達志(ランドクルーザー)が総合20位(T1クラス4位)。パリダカの常連コンビ久保田勝/横田紀一郎(ランドクルーザー)が総合42位(T2クラス11位)。女優の岡本佳織は時間外失格、「バロン古我」こと元レーサーの古我信生と自動車評論家の三本和彦はリタイアとなった。また、軽自動車のスバル・ヴィヴィオで出場した石原孝仁は時間外失格となったものの、パリで行われたプロローグではワークスの篠塚を上回る日本人トップタイムを記録し、フランスの観衆の注目を集めた[17]。二輪では元GP500ライダーの松本憲明を含め、3名全員がリタイアとなった。トラック部門の菅原義正/羽村勝美(日野・レンジャー)は、日野がダカールのワークス撤退直後にプライベーター「チーム子連れ狼」として参戦。一人だけ来たメカニックの支援はスタートだけで、ラリー期間中は2人だけでメンテナンスをしながら戦った。途中水を給油されるトラブルもあったが[20]、完走して総合30位(T4クラス6位)となった。
四輪部門順位
総合順位 | ドライバー/ナビゲーター | 車両 | クラス順位 | タイム |
---|---|---|---|---|
1 | P.ラルティーグ / M.ペラン | シトロエン・ZXラリーレイド | T3-1 | 34時間49分14秒 |
2 | E.ウェーバー / M.ヒーマー | 三菱・パジェロ | T3-2 | 35時間57分58秒 |
3 | B.サビー / D.セリエス | 三菱・パジェロ | T3-3 | 36時間14分03秒 |
4 | 篠塚建次郎 / H.マーニュ | 三菱・パジェロ | T3-4 | 36時間32分27秒 |
5 | H.オリオール / P.モネ | シトロエン・ZXラリーレイド | T3-5 | 39時間19分00秒 |
6 | B.ワルデガルド / F.ギャラガー | シトロエン・ZXラリーレイド | T3-6 | 42時間59分22秒 |
7 | A.アンブロジーノ / A.グーエネック | シトロエン・ZXラリーレイド | T3-7 | 44時間56分17秒 |
8 | G.サラザン / トルゥブル | トヨタ・ランドクルーザー | T2-1 | 55時間09分06秒 |
9 | M.ラカーズ / A.フィヨー | トヨタ・ランドクルーザー | T2-2 | 55時間30分55秒 |
10 | J.ブーシュ / J.レラン | 日産・テラノ | T1-1 | 57時間05分39秒 |
ソース[13] |
- 車両区分はT1(市販車無改造)、T2(市販車改造)、T3(改造車)、T4(トラック)。
- タイムはターゲットタイムを超過したペナルティの累積時間。
二輪部門順位
総合順位 | ライダー | 車両 | タイム |
---|---|---|---|
1 | S.ペテランセル | ヤマハ・YZE850Tスーパーテネレ | 101時間40分05秒 |
2 | T.マニャルディ | ヤマハ・XTZ850 | 101時間45分03秒 |
3 | P.ベルムード | ヤマハ・660 | 149時間32分49秒 |
4 | D.ペシュール | ヤマハ・600 | 164時間02分12秒 |
5 | P.ランデロー | ヤマハ・660 | 170時間45分27秒 |
6 | E.ペシュール | ヤマハ・MTTE | 175時間57分33秒 |
7 | R.ロワズー | BMW | 189時間28分48秒 |
ソース[21] |
- ^ 『幻のラリー 復活への1000日』、74頁。
- ^ 『幻のラリー 復活への1000日』、16頁。
- ^ 「読売新聞」1992年9月1日朝刊14面、読売新聞社。
- ^ 『幻のラリー 復活への1000日』、22頁。
- ^ 『幻のラリー 復活への1000日』、25・29頁。
- ^ 『幻のラリー 復活への1000日』、60頁。
- ^ “Paris-Moscow-Peking Rally: Metge's vision becomes a rally - Jeremy Hart reports from Paris on the daunting task facing drivers in a race inspired by an Italian aristocrat”. INDEPENDENT. (1992年8月31日) 2018年3月15日閲覧。
- ^ 『幻のラリー 復活への1000日』、214頁。
- ^ フランス、ベルギー、西ドイツ、東ドイツ、ポーランド、ソ連、中国。
- ^ フランス、ベルギー、ドイツ、ポーランド、ベラルーシ、ロシア、カザフスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、キルギスタン、中国。
- ^ “企業法務シンポジウム” (PDF). 専門職大学院. 文部科学省. p. 25 (2010-05 -30). 2018年3月21日閲覧。
- ^ “ラリーアートジャーナル No.62”. ラリーアート. p. 3 (1995年11月1日). 2018年3月21日閲覧。
- ^ a b c 『カーグラフィック 1992年12月号』、333頁。
- ^ 参加車両が1台ずつタイムアタックを行い、SS1の出走順を決める予選会。
- ^ 『Racing On No.131 1992年11月15日号』、ニューズ出版、1992年、p. 158。
- ^ ラリーアートジャーナル No.44 - ウェイバックマシン(2013年10月24日アーカイブ分)
- ^ a b 『カーグラフィック』1992年11月号、二玄社、1992年、302頁。
- ^ “第7回 シトロエン-アールト中央アジア探検隊出発!”. そうだったのか!『ナショナル ジオグラフィック』. 日経ナショナル ジオグラフィック社 (2012年3月13日). 2018年3月22日閲覧。
- ^ 「朝日新聞」1992年9月2日朝刊11面、朝日新聞社。
- ^ 『78歳ラリードライバー : ギネス・ホルダー菅原義正の挑戦』(2019年12月/新紀元社)P151〜154
- ^ “YAMAHA MOTOR NEW 1992 No.6 page.4” (PDF). デジタルライブラリー. ヤマハ発動機. 2018年3月19日閲覧。
- ^ “林哲司 / パリ・モスクワ・北京〜夢追人たちのメロディ [廃盤]”. CD Journal. 音楽出版社. 2018年3月21日閲覧。
- ^ “彼方へ… 杏子”. ORICON NEWS. oricon ME. 2018年3月21日閲覧。
- ^ “Kyoko / 彼方へ… [廃盤]”. CDジャーナル. 音楽出版社. 2022年10月16日閲覧。
- ^ 『幻のラリー 復活への1000日』、203頁。
- ^ “ザ・キング・オブ・ラリー パリ〜モスクワ〜ペキン”. ファミ通.com. 2018年3月21日閲覧。
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