久保田勝とは? わかりやすく解説

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久保田勝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/28 23:51 UTC 版)

久保田 勝(くぼた まさる、1943年1月3日 - )は、日本のラリーレーサーカメラマン冒険家広島県芦品郡新市町(現・福山市)出身。

経歴・人物

中学卒業後にTBSテレビNHKのテレビクルーを経た後、1979年に横田紀一郎を中心としてパリ・ダカールラリーに出場するために結成された「TeamACP」にメカニック兼ドライバーとして参加[1]し、 1981年の第3回大会から1992年の第14回大会までオート部門において11年連続で参戦する。特に2度目の出場となった1982年の第4回大会では、内田正洋と共にトヨタ・カリーナ1500で参戦し、総合34位のみならず、市販車無改造・2輪駆動・バギー・マラソンの4部門において優勝という快挙を成し遂げた。また、故障した車両をその場で修理し完走へ導いた姿をティエリー・サビーヌからは「スーパーメカニック」と称された。

パリ・ダカールラリーの他にも多数のオフロードラリーレースに出場し、精力的に活動をしていたが、ラリーレースがハイスピード化し始めた事に伴い、1992年に「TeamACP」がレース活動を終了。それと共に自身も第一線から退いた。

中学時代の1学年上にはのちに広島カープに投手として入団した森川卓郎がいる。

主な戦績

  • 1981年 第3回大会/スターレット1300/時間外完走56位
  • 1982年 第4回大会/カリーナ1500/総合34位(マラソン部門優勝/2WD・バギー・市販車無改造部門総合優勝)
  • 1983年 第5回大会/カリーナ1800/リタイア(クラッシュ)
  • 1984年 第6回大会/カローラレビン/リタイア
  • 1985年 第7回大会/カローラレビン/リタイア
  • 1986年 第8回大会/カローラレビン/リタイア(タイムアウト)
  • 1987年 第9回大会/ランドクルーザーBJ71V/総合44位(2/2部門3位)
  • 1988年 第10回大会/ランドクルーザーBJ74V/総合34位(マラソン・ディーゼル部門3位)
  • 1989年 第11回大会/ランドクルーザー/総合32位
  • 1990年 第12回大会/ランドクルーザーBJ74V/リタイア
  • 1991年 第13回大会/レンジャー4WD/リタイア
  • 1992年 第14回大会/ランドクルーザーHZJ73/総合39位

その他の大会

メディア出演

映画

  • PARIS-DAKAR 15,000 栄光への挑戦(1986年5月17日公開、松竹富士[2]

テレビ番組

注釈

  1. ^ ACPは「Adventurous Creative Persons」の略。
  2. ^ TeamACPを追ったドキュメンタリー映画。
  3. ^ 当番組がTeamACPのランドクルーザー2台をスポンサードした事でレースの模様を3回にわたって放送されることとなった。

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