鹿沼今宮神社祭の屋台行事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/30 02:36 UTC 版)
起源と変遷
戦国時代に鹿沼を支配した壬生氏の滅亡とともに、鹿沼城の鬼門の守りとして勧請された鹿沼今宮神社も荒廃した。慶長13年(1608年)3月、鹿沼宿の復興は今宮神社再建を契機として始まったとされ、この年は、日照りが続き、大旱魃となったので、氏子や近郷の人びとが今宮神社に集まり、雨乞いの祭りを三日三晩続けたところ、激しい雷雨がおこった。これより雨のあがった6月19日を宵祭り、翌20日を例祭とすることになったのが起源と伝える。屋台は当初、氏神へ踊りなどを奉納するための移動式舞台だったが、寛政の頃、付け祭りが盛んになるにつれ、囃子方も屋台の中に乗ったため、屋台をつくり替えたり、新屋台をつくる地域も出始め、それまでの踊り屋台としての機能は引き継がれたものの、芸場が狭くなり、別に「踊り台」を屋台の前に設置し、踊りや狂言を演じるようになった。同時に屋台は黒漆塗や彩色され、現屋台の祖形になったと伝えられている。一方、太平の世を謳歌した文化から文政期を過ぎて、江戸幕府の改革(天保の改革)により、祭礼を質素にし、在郷芝居が禁止されることになると人々は屋台を白木の彫刻で飾り、神社にはお囃子を奉納する形へと変化し、現在に受け継がれている[2]。
祭りのながれ
- 7月20日
- 縁故祭(かつての祭礼日旧暦6月10日にちなむ)・・・今宮神社で神事。のち当番町の引継式、上殿太々神楽の奉納が行われる。
- 7月下旬
- 当番町が引き受けのあいさつ回りをする(当番町の仕事始め)
- 8月下旬ころ
- 各町から囃子方へ参加依頼をする。
- 9月上旬の佳日
- ぶっつけ(仮屋台奉納)奉告祭…ひと月前に本祭に参加する町内が仮屋台を神社に繰り込み、参加の意思表示と繰り込み順の発表を行う。
- 10月祭り前日(金曜日)
- 各町は会所づくり、しめ縄飾り、屋台の組み立て等を行う。
- 祭り初日(土曜日)
- 早朝、各町から、今宮神社へ朝参りを行う。
- 手水・修祓の後、拝殿において例祭典を行う。
- 各町から屋台が今宮神社に向けて出発、神社参道に整列する。
- 午後、神社へ屋台の繰込みを開始する。
- 全屋台繰込み終了後、拝殿にて奉告祭を行う。
- 夕刻、屋台提灯の灯入れ
- 当番町屋台を繰り出した後、手打式を行う。
- 二番町から順に全屋台を繰り出す。
- 町内への帰路、各組・各町の申し合わせにより「ぶっつけ(囃子競演)」を行う。
- 祭り二日目(日曜日)
- 神輿への遷霊、御巡幸の開始
- 午後、市街地中央で屋台揃い曳き
- 今宮神社神楽殿にて、上殿太々神楽の奉納
- 各組・各町の申し合わせによる「ぶっつけ(囃子競演)」
- 市民パレード
- 屋台揃い曳き出発式
- 奈佐原文楽座公演 など
- 祭り終了後(月曜日)
- 各町では屋台の収納と会所などの片付け
屋台繰り込みの順番
祭に参加する氏子町のうち、その年の当番町を一番として順に番号をふっていくが、縁起をかついで四と九の番号を避けている。9月上旬の仮屋台奉納(ぶっつけ)の際、今宮神社拝殿で宮司から各町に番号札が手渡され、例祭の繰り込み順が正式に決定される。なお各町に渡された番号札は各町屋台の前柱に固定され、祭礼が終わると神社に戻される。
彫刻屋台
今宮神社祭礼に曳き出される氏子町の屋台は27台ある。これらは江戸の屋台の系統を引く「踊り屋台」から発展したもので、元来芝居や踊りのための移動舞台だったものが、囃子方が中に乗って演奏するものへ変化している。いわゆる鹿沼型の屋台の最大の特徴は、日光山社寺の豪華な彫刻の影響からか、全面が豪壮な彫刻によって飾られている点である。この地域は、日光例幣使街道と日光西街道の宿場町であったことから、日光山の彫刻師が冬、仕事が無く下山した際や、日光の帰り道に宿場や村の依頼により造ったものという伝承があり、現存する屋台の一部には、日光五重塔彫物方棟梁後藤正秀や磯辺儀左衛門、磯辺儀兵衛、石塚直吉、神山政五郎、後藤音吉などの彫師の銘が残されている。また屋台は一時に製作完成させたものではなく、町内の住民による各戸割(分限割)で費用を集め、資金の整いに応じて彫刻等を追加するなど、その製作期間が長期に亘り、代々受け継がれる町内の財産とも言えるものである。
以前各町の屋台は、祭礼の度に組立、解体を行なっていたが、近年は組立てたまま収納可能な収蔵庫が建設され大幅な負担軽減が図られた。反面組立解体技術の喪失や屋台保存環境の変化も危惧されている。
鹿沼型屋台の特徴
- 唐破風の屋根に箱棟を載せた単層館型で、四輪を内車式に付けたものである[3]。
- 周囲に彫り物が嵌め込まれ、骨組み部分には筋交い等を有しない。
- 前部の芸場と後部の内室の二室で構成し、芸場側面には両面彫りの脇障子を入れる。囃子方の乗る内室には、側面に障子を入れ、高欄を側面から後ろにかけて回している。
- 標準的な大きさは巾10尺(≒3m)・奥行き12尺(≒3.6m)・高さ12尺(≒3.6m)とされる。
彫刻屋台の種類
- 現在みられる彫刻屋台は、漆塗や彩色の有無によって、概ね下記の3種類に大別される。 華美の禁止令と、演芸の背景としての屋台でなくなったことから彩色彫刻漆塗屋台が幕末以降、白木彫刻白木造屋台へと変化していったとされている[4]。このことは、彩色屋台の多くに脇障子を外側に開き、芸場の前柱2本を取り外せる機構を残したものが多く、白木屋台には彫刻自体の重量も手伝って、当初からその機構を有していないものが多い点からも推測できる。
- 彩色彫刻漆塗屋台(車体は黒漆塗、錺金具付きで、彩色された彫刻を付けた屋台)
- 白木彫刻漆塗屋台(車体は黒漆塗、錺金具付きで、白木のままの彫刻を付けた屋台)
- 白木彫刻白木造屋台(車体も彫刻も白木で造られた屋台)
- ^ “鹿沼今宮神社祭の屋台行事”. 鹿沼秋まつり公式サイト. 鹿沼秋まつり実行委員会. 2019年6月26日閲覧。
- ^ “秋祭りのあらまし”. 鹿沼観光だより 四季彩のまち かぬま. 鹿沼市観光物産協会. 2019年6月26日閲覧。
- ^ “屋台の構造”. 鹿沼観光だより 四季彩のまち かぬま. 鹿沼市観光物産協会. 2019年6月26日閲覧。
- ^ “屋台の種類”. 鹿沼観光だより 四季彩のまち かぬま. 鹿沼市観光物産協会. 2019年6月26日閲覧。
- ^ “鹿沼屋台囃子”. 鹿沼秋まつり公式サイト. 鹿沼秋まつり実行委員会. 2019年6月26日閲覧。
- ^ “「ぶっつけ」とは?”. 鹿沼秋まつり公式サイト. 鹿沼秋まつり実行委員会. 2019年6月26日閲覧。
- ^ a b c d “伝統 絶やさない 無観客で「鹿沼秋まつり」代替行事”. 下野新聞 (2021年11月21日). 2022年1月29日閲覧。
- ^ a b c “かぬまフラッシュ”. 広報かぬま2022年1月号. 2022年1月29日閲覧。
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