鞍馬天狗 (小説)
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映画版
『鞍馬天狗』の映画版は、1924年(大正13年)の實川延笑主演の『女人地獄』に始まり、1965年(昭和40年)の市川雷蔵主演の『新 鞍馬天狗 五条坂の決闘』まで、延べ60本近く製作され、天狗は様々な俳優が演じてきた。特に原作からは『角兵衛獅子』、『天狗廻状』が多く映画化されている。
なかでも最も有名なのがアラカンこと嵐寛寿郎(マキノ時代は嵐長三郎名義)主演による『鞍馬天狗』シリーズであり、製作本数は46本と最多である。アラカンが打ち立てた「頭巾をかぶった覆面のヒーローが善を勧めて悪を懲らしめる」という構図は、後代の『月光仮面』や『仮面ライダー』などの「仮面ヒーロー物」の先駆けとなった。
しかし、戦前撮られた『鞍馬天狗』には紛失・焼失してしまい、現在では観られないものが多々ある。
1951年の松竹の「角兵衛獅子」では近藤勇に月形龍之介、黒姫の吉兵衛に川田晴久、その妹に嵐の前妻の萩町子、杉作に美空ひばり、天狗の命を狙う女に山田五十鈴という配役でヒットし、特に美空は嵐も「これまでの杉作とは一味ちごうた」と絶賛する演技で、続く「鞍馬の火祭」「天狗廻状」にも出演し、鞍馬天狗の人気を高めた[2]。
嵐寛寿郎と鞍馬天狗
1927年(昭和2年)、封建的な舞台の世界に愛想を尽かし、大阪の青年歌舞伎を脱退した嵐和歌大夫(嵐寛寿郎)は、京都の活動写真制作会社「マキノ・プロダクション」に映画俳優「嵐長三郎」として入社した。
長三郎はここでマキノ省三監督から「このなかからやりたい役を選べ」と雑誌『少年倶楽部』昭和2年3月号を渡される。長三郎は『角兵衛獅子』を読み、「鞍馬天狗をやりたい」と伝えたことにより、『鞍馬天狗余聞・角兵衛獅子』で映画デビューを果たすこととなって、同時にはまり役となった。
翌1928年(昭和3年)、長三郎はマキノを脱退して「嵐寛寿郎」(アラカン)と名乗り、以来、「鞍馬天狗」はアラカン自身の立ち上げた「嵐寛寿郎プロダクション」の代表的主演キャラクターとなった。寛プロ解散の後は、東亜キネマ、新興キネマ、日活、新東宝、宝塚映画、東映京都と各社を股に掛け、シリーズ主演を続行。アラカン扮する鞍馬天狗が敵を次々と斬り倒すその壮快なチャンバラ劇は長きに渡り大衆を魅了し続けた。アラカン自身によると、戦前から戦後にわたり、主演した『鞍馬天狗』映画は前後編含め総計46本にのぼるという。
アラカンはこの小説の映画化にあたって、「覆面の怪剣士」という独特のスタイルを創り上げた。この創意工夫はアラカンの自信に裏付けられたものだった。
「小説の挿絵が先やない。映画の方が元祖だ。娯楽作品と一口に大したもんやないと差別して言いますけど、人気とるのは並大抵ではおへん、努力も工夫もしてますのや。刀だけ振り回してスタアになれるものやおまへんのやで。」 — 嵐寛寿郎、『聞書アラカン一代 - 鞍馬天狗のおじさんは』「天狗、打ち止め」(竹中労、白川書院)
「チャンバラこそ時代劇映画の真髄である」と考える「剣戟スタア」のアラカンにとって、映画の「鞍馬天狗」はアラカンのオリジナルであり、自身の代表的キャラクターだった。戦前戦後にわたり、何度も経済的な苦境に立たされた際も、颯爽鞍馬天狗の登場する新作映画はその都度大当たりして、アラカンを助けてくれた。アラカンの『鞍馬天狗』映画は映画評論界からは無視され「B級品」として一段低く扱われ続けたが、常に庶民に支えられていた。
アラカンは1950年(昭和25年)にGHQの「チャンバラ禁止令」が解かれると、立て続けに松竹と新東宝でシリーズを再開。1953年(昭和28年)、新東宝の『青銅鬼』では親友の大河内傳次郎と組んで本格的なチャンバラ死闘を演じ、チャンバラ禁止令の欝憤を晴らした。「やはり立ち回りだ。天狗はそれで人気が落ちなかった」。
大佛次郎との確執
この1953年、アラカンは東映京都でも萩原遼監督で『疾走雲母坂』、『危うし!鞍馬天狗』を撮ったが、ここで日本文藝家協会から思わぬ「待った」がかかった。1953年10月20日の封切りを前に、「無断映画化である、上映を中止せよ」と抗議してきたのである。アラカンにとってこれはまさに青天の霹靂だった。
アラカンの『鞍馬天狗』は、戦前・戦後を通じて庶民の間で大人気のシリーズだった。しかし、この状況に不満を抱いていた人物がいた。他ならぬ原作者・大佛次郎である。東宝の渾大坊五郎はもと寛プロの制作部長で、アラカンとは古い付き合いだったが、この渾大坊が大佛の代理人として、強引にねじ込んできた。
大佛は「第一に著作権無視である」、「第二に原作を勝手に書き変えて題名だけ盗んでいる」、「第三に映画の鞍馬天狗は人を斬りすぎて、原作者の意図に反している」等の理由を挙げて非難し、アラカンが演じる『鞍馬天狗』の制作中止を要求。アラカンは直接談判を考えたが、映画界の裏事情を考えて会社同士の話し合いに任せた。結局、東映京都ではあと一本『逆襲!鞍馬天狗』を撮って終わり、続いて宝塚映画で二本撮ってほしいとの要求となった。宝塚映画は東宝の子会社であり、ようするに東宝は『鞍馬天狗』が欲しかったのである。
翌1954年(昭和29年)、アラカンは宝塚映画で二本『鞍馬天狗』を撮ったが、しばらく大佛の抗議でシリーズが止まってしまう。
一方、大佛は自ら「天狗ぷろだくしょん」を設立してプロデューサーに就任し、同年より東宝で『次郎長三国志』シリーズの清水次郎長役で知られる小堀明男の主演による『新鞍馬天狗』シリーズの制作を開始し、同年10月に『新鞍馬天狗 第一話 天狗出現』を封切。この作品には「アラカンの鞍馬天狗なら5本は撮れる」と言われた程の潤沢な資金が投入され、以降のシリーズ作品でもそうであったと言われる。
この『新鞍馬天狗』は原作者自ら手掛ける映画作品として、当初こそ話題にはなった。が、実際に完成した作品は、小堀の天狗姿とチャンバラシーンが常にアラカンと比較され酷評ばかりで、また大佛の人選による配役にも無理があり(例えば、30代前半の青年剣士として描かれるべき近藤勇に当時50代で老け役も演じていた志村喬を起用する、など)、さらにクライマックスでは天狗が拳銃を構え大儀を唱えるだけで敵が戦うことなく退散してしまう、といった具合に、大衆が好む時代劇の骨法や様式をまるで無視したものであった。さすがにこうした作品が成功する道理はなく、興行面で不振を極め、「日本映画史に残る大失敗作」「大佛が作家としての自身のキャリアに自ら疵を付けた」と酷評される悲惨な結果に終わった。また、巻き添えとなる形で、天狗役を演じた小堀にとっても俳優キャリアの疵となってしまった。
大佛プロデュース・小堀主演の『新鞍馬天狗』シリーズの興行成績は惨憺たるもので、作を重ねる毎に映画館サイドからの大佛に対する不満の声だけが増えていった。結局「大駄作」という評を覆す事には程遠く、全10作を予定するも、1955年(昭和30年)6月公開の第3作『新鞍馬天狗 夕立の武士』を最後に打ち切りとなる。
この『新鞍馬天狗』で3度も煮え湯を飲まされる格好になった映画館サイドは、その「損失補填」を理由に大佛にアラカンの鞍馬天狗の復活を強硬に要求した。自らプロデュースした作品で与えた損失が原因であるだけにさすがの大佛もこれは呑まざるを得なかった。
1956年(昭和31年)、これを受けて宝塚映画での、アラカン版『鞍馬天狗』が再開。しかし、『御用盗異変』、『疾風!鞍馬天狗』を並木鏡太郎監督で撮ったところで、ついにシリーズ打ち止めとなってしまった。
「はいな、大佛先生が許さんと「天狗プロダクション」つくらはって御自分で製作する。寛寿郎のものやない、「正統の鞍馬天狗」だと。ワテは泣きました。ほんまに泣きましたで。これが大佛先生の真意かと疑いました。そら原作者の眼から見たら随分と不満もあるやろ、せやけど天狗ワテが創った。これをゆうたらあかん、しかし小説が売れた理由の一つはワテや、ワテの立ち回りや。あの覆面かて工夫をしたのはワテや。昭和2年のデビューから、天狗三十年、それをものともいわせずとりあげよるんだ。はいな、役者虫けらや。これ胸に溜まっていたことでおます、言わせてほしい。故人になった方を中傷するのやおへん、渾大坊五郎はんも先日(インタビュー時から)亡くならはった。せやけどはっきりさせておきたい。これが日本の映画界や。銭儲けのためやったら役者一匹モノの数やない。大佛先生、乗せられたんやと思います。三年間に十本撮る契約を東宝と結んだ。主演が小堀明男、ゆうたら悪いがアラカンの比やおまへん。とどのつまり、十本の予定が三本撮って後が続かない。それでまたぞろワテにお鉢が回ってきた。へえ、31年に撮ったのはその穴埋めだ。
松島トモ子の杉作役で『御用盗異変』、『疾風!鞍馬天狗』。客は来ましたが評判良くなかった。「話の筋立てが雑で、これでは少年ファンも拍子抜けがする」と書かれた。あとのほうに、大河内はんがつきあって、天狗初めて負けます。この立ち回りは大変な話題になりました。だがもうあかん、「代打」やったらもう演らんほうがええ。オシマイやとワテは諦めました。」 — 嵐寛寿郎、『聞書アラカン一代 - 鞍馬天狗のおじさんは』「天狗、打ち止め」(竹中労、白川書院)
ただでさえ反骨漢のアラカンは、「天狗も歳をとりました」という名言を残してさっさと天狗役を降りてしまい、アラカンの鞍馬天狗は打ち止めとなった。
その後、宝塚映画で鞍馬天狗の映画は制作されることなく、東映京都『鞍馬天狗』で東千代之介、大映京都『新・鞍馬天狗』で市川雷蔵が天狗を演じたものの、千代之介は4作、雷蔵も2作で終了といずれも長続きしなかった。
鞍馬天狗を演じた映画俳優
- 實川延笑(1924年)
- 尾上松之助(1925年)
- 嵐長三郎→嵐寛寿郎(1927年-1956年)
- 市川百々之助(1930年)
- 坂東好太郎(1932年)
- 斯波快輔(1933年)
- 榎本健一(1939年)
- 杉山昌三九(1941年)
- 酒井猛(1944年)
- 島田正吾(1953年)
- 小堀明男(1954年-1955年)
- 東千代之介(1956年-1959年)
- 市川雷蔵(1965年)
作品一覧(映画)
映画 | 公開日 | 製作/配給 | 監督 | 鞍馬天狗 |
---|---|---|---|---|
女人地獄 | 1924年(大正13年)12月25日 | 帝国キネマ(小阪撮影所) | 長尾史録 | 実川延笑 |
鞍馬天狗 前篇(第一篇) | 1925年(大正14年)8月31日 | 日活(京都撮影所第一部) | 高橋康寿 | 尾上松之助 |
鞍馬天狗 中篇(第二篇) | 1925年(大正14年)9月10日 | 日活(大将軍撮影所) | 高橋康寿[9] | 尾上松之助 |
鞍馬天狗 後篇(第三篇) | 1925年(大正14年)9月17日 | 日活(大将軍撮影所) | 高橋康寿[9] | 尾上松之助 |
鞍馬天狗 第四篇 | 1925年(大正14年)12月18日 | 日活(大将軍撮影所) | 波多野安正 | 尾上松之助 |
鞍馬天狗 第五篇 | 1925年(大正14年)12月25日 | 日活(大将軍撮影所) | 高橋寿康 | 尾上松之助 |
鞍馬天狗異聞 角兵衛獅子 | 1927年(昭和2年)4月29日 | マキノ・プロダクション(御室撮影所) | 曽根純三 | 嵐長三郎(嵐寛寿郎) |
鞍馬天狗異聞 続・角兵衛獅子 | 1927年(昭和2年)8月12日 | マキノ・プロダクション(御室撮影所) | 曽根純三 | 嵐長三郎(嵐寛寿郎) |
鞍馬天狗異聞 角兵衛獅子功名帖 | 1928年(昭和3年)2月10日 | マキノ・プロダクション(御室撮影所) | 曽根純三 | 嵐長三郎(嵐寛寿郎) |
鞍馬天狗 | 1928年(昭和3年)7月12日 | 嵐寛寿郎プロダクション/聨明映画 | 山口哲平 | 嵐寛寿郎 |
鞍馬天狗 恐怖時代 | 1928年(昭和3年)11月30日 | 嵐寛寿郎プロダクション/マキノ・プロ | 山口哲平 | 嵐寛寿郎 |
鞍馬天狗 (鞍馬天狗 山嶽党奇談) |
1929年(昭和4年)7月13日 | 東亜キネマ(京都撮影所) | 橋本松男 | 嵐寛寿郎 |
続・鞍馬天狗 電光篇 | 1930年(昭和5年)7月13日 | 東亜キネマ(京都撮影所) | 後藤岱山 | 嵐寛寿郎 |
鞍馬天狗 山嶽党奇譚 | 1930年(昭和5年) | 帝国キネマ | 森本登良男 | 市川百々之助 |
鞍馬天狗 解決篇 | 1931年(昭和6年)9月1日 | 嵐寛寿郎プロダクション/新興キネマ | 山口哲平 | 嵐寛寿郎 |
鞍馬天狗 颱風の巻 | 1932年(昭和7年)6月24日 | 松竹キネマ(京都撮影所) | 二川文太郎 | 坂東好太郎 |
天狗廻状 前篇 | 1932年(昭和7年)11月17日 | 嵐寛寿郎プロダクション/新興キネマ | 山中貞雄 | 嵐寛寿郎 |
天狗廻状 後篇 | 1932年(昭和7年)12月15日 | 嵐寛寿郎プロダクション/新興キネマ | 並木鏡太郎 | 嵐寛寿郎 |
鞍馬天狗 地獄の門 | 1934年(昭和9年)1月14日 | 嵐寛寿郎プロダクション/新興キネマ | 吉田信三 | 嵐寛寿郎 |
鞍馬天狗 第一篇 絨り首暗躍篇 | 1934年(昭和9年)12月31日 | 嵐寛寿郎プロダクション/新興キネマ | 曾根千晴 | 嵐寛寿郎 |
鞍馬天狗 第二篇 丁字屋敷活殺篇 | 1935年(昭和10年)1月5日 | 嵐寛寿郎プロダクション/新興キネマ | 曾根千晴 | 嵐寛寿郎 |
鞍馬天狗 第三篇 影義隊乱刃篇 | 1935年(昭和10年)1月15日 | 嵐寛寿郎プロダクション/新興キネマ | 曾根千晴 | 嵐寛寿郎 |
鞍馬天狗 江戸日記 前篇 | 1935年(昭和10年)10月3日 | 嵐寛寿郎プロダクション/新興キネマ | 山本松男 | 嵐寛寿郎 |
御存知鞍馬天狗 宗十郎頭巾 | 1936年(昭和11年)10月1日 | 嵐寛寿郎プロダクション/新興キネマ | 仁科熊彦 | 嵐寛寿郎 |
御存知鞍馬天狗 千両小判 | 1937年(昭和12年)7月29日 | 嵐寛寿郎プロダクション/新興キネマ | 仁科熊彦 | 嵐寛寿郎 |
鞍馬天狗 (鞍馬天狗 角兵衛獅子の巻) |
1938年(昭和13年)3月15日 | 日活(京都撮影所) | マキノ正博 松田定次 |
嵐寛寿郎 |
鞍馬天狗 龍攘虎搏の巻 | 1938年(昭和13年)11月1日 | 日活(京都撮影所) | 松田定次 | 嵐寛寿郎 |
エノケンの鞍馬天狗 | 1939年(昭和14年)5月21日 | 東宝映画(東京撮影所) | 近藤勝彦 | 榎本健一 |
鞍馬天狗 江戸日記 | 1939年(昭和14年)7月1日 | 日活(京都撮影所) | 松田定次 | 嵐寛寿郎 |
鞍馬天狗 恐怖篇 (鞍馬天狗 復讐篇) |
1939年(昭和14年)8月3日 | 日活(京都撮影所) | 松田定次 | 嵐寛寿郎 |
天狗廻状 (天狗廻状 魔刃の巻) |
1939年(昭和14年)12月29日 | 日活(京都撮影所 | 田崎浩一 | 嵐寛寿郎 |
続天狗廻状 (続天狗廻状 刃影の巻) |
1940年(昭和15年)2月1日 | 日活(京都撮影所) | 田崎浩一 | 嵐寛寿郎 |
鞍馬天狗捕はる | 1940年(昭和15年)6月30日 | 日活(京都撮影所) | 丸根賛太郎 | 嵐寛寿郎 |
鞍馬天狗 第一話 雨中の騎士 | 1941年(昭和16年)5月15日 | 大都映画 | 白井戦太郎 | 杉山昌三九 |
鞍馬天狗 第二話 銀河の美女 | 1941年(昭和16年)5月29日 | 大都映画 | 山口哲平 | 杉山昌三九 |
鞍馬天狗 薩摩の密使 | 1941年(昭和16年)7月14日 | 日活(京都撮影所) | 菅沼完二 | 嵐寛寿郎 |
鞍馬天狗 (鞍馬天狗横浜に現る) (横浜に現はれた鞍馬天狗) (鞍馬天狗 黄金地獄) |
1942年(昭和18年)10月29日 | 大映(京都第一撮影所) | 伊藤大輔 | 嵐寛寿郎 |
天狗倒し | 1944年(昭和19年)2月10日 | 松竹(太奏撮影所) | 井上金太郎 | 酒井猛 |
鞍馬天狗 大江戸異変 (角兵衛少年と天狗騒動) |
1950年(昭和25年)8月13日 | 綜芸プロダクション/新東宝 | 並木鏡太郎 | 嵐寛寿郎 |
鞍馬天狗 角兵衛獅子 | 1951年(昭和26年)7月12日 | 松竹(京都撮影所) | 大曾根辰夫 | 嵐寛寿郎 |
鞍馬天狗 鞍馬の火祭 | 1951年(昭和26年)10月12日 | 松竹(京都撮影所) | 大曾根辰夫 | 嵐寛寿郎 |
鞍馬天狗 天狗廻状 | 1952年(昭和27年)3月27日 | 松竹(京都撮影所) | 大曾根辰夫 | 嵐寛寿郎 |
鞍馬天狗 一騎討ち | 1952年(昭和27年)9月25日 | 東映(京都撮影所) | 萩原遼 | 嵐寛寿郎 |
鞍馬天狗 青銅鬼 | 1952年(昭和27年)12月29日 | 新東宝=綜芸プロダクション/新東宝 | 並木鏡太郎 | 嵐寛寿郎 |
鞍馬天狗 疾風雲母坂 | 1953年(昭和28年)2月12日 | 東映(京都撮影所) | 萩原遼 | 嵐寛寿郎 |
鞍馬天狗と勝海舟 | 1953年(昭和28年)8月5日 | 新東宝 | 池田富保 | 嵐寛寿郎 |
鞍馬天狗 青面夜叉 | 1953年(昭和28年)9月22日 | 松竹(京都撮影所) | 野村芳太郎 | 島田正吾 |
危うし!鞍馬天狗 | 1953年(昭和28年)10月20日 | 東映(京都撮影所) | 萩原遼 | 嵐寛寿郎 |
逆襲!鞍馬天狗 | 1953年(昭和28年)12月15日 | 東映(京都撮影所) | 萩原遼 | 嵐寛寿郎 |
鞍馬天狗斬り込む | 1953年(昭和28年)12月29日 | 宝塚映画/東宝 | 安達伸生 | 嵐寛寿郎 |
鞍馬天狗 疾風八百八町 | 1954年(昭和29年)7月21日 | 宝塚映画/東宝 | 志村敏夫 | 嵐寛寿郎 |
新鞍馬天狗 第一話 天狗出現 | 1954年(昭和29年)10月6日 | 東宝 | 青柳信雄 | 小堀明男 |
新鞍馬天狗 第二話 東寺の決闘 | 1954年(昭和29年)11月10日 | 東宝 | 青柳信雄 | 小堀明男 |
新鞍馬天狗 夕立の武士 | 1955年(昭和30年)6月14日 | 東宝 | 杉江敏男 | 小堀明男 |
鞍馬天狗 御用盗異変 | 1956年(昭和31年)3月13日 | 宝塚映画/東宝 | 並木鏡太郎 | 嵐寛寿郎 |
疾風!鞍馬天狗 | 1956年(昭和31年)6月8日 | 宝塚映画/東宝 | 並木鏡太郎 | 嵐寛寿郎 |
鞍馬天狗 第一話 白馬の密使 | 1956年(昭和31年)11月14日 | 東映(京都撮影所) | 内出好吉 | 東千代之介 |
鞍馬天狗 角兵衛獅子 | 1957年(昭和32年)4月23日 | 東映(京都撮影所) | 河野寿一 | 東千代之介 |
鞍馬天狗 御用盗異聞 | 1957年(昭和32年)5月12日 | 東映(京都撮影所) | 河野寿一 | 東千代之介 |
鞍馬天狗 | 1959年(昭和34年)2月4日 | 東映(京都撮影所) | マキノ雅弘 | 東千代之介 |
新鞍馬天狗 | 1965年(昭和40年)9月18日 | 大映(京都撮影所) | 安田公義 | 市川雷蔵 |
新・鞍馬天狗 五条坂の決闘 | 1965年(昭和40年)11月27日 | 大映(京都撮影所) | 黒田義之 | 市川雷蔵 |
- ^ ジョージ・ウーリー・ゴフ(Gough)は、1869年生まれとだけ残されている、イギリスの一時的に人気のあった流行作家で、『夜の恐怖(Terrer by Night)』は大佛次郎(安里礼二郎名)が「金扇」「黄ろい胴着」「緋色の女車」の3作を翻訳した。ウォルポール首相の時代に、フランスとの戦争を控えての国際的陰謀を舞台に「夜の恐怖」と名乗る謎の俠賊が活躍する物語。各編のエピソードは鞍馬天狗シリーズでも随所に使われている。(『時代小説英雄列伝 鞍馬天狗』)
- ^ a b 『鞍馬天狗のおじさんは 聞書アラカン一代』
- ^ a b 村上光彦『大佛次郎-その精神の冒険』朝日選書 1977年
- ^ 福島行一『大佛次郎』
- ^ a b 鶴見俊輔「「鞍馬天狗」おぼえがき(2)-コスモポリタン鞍馬天狗」(『鞍馬天狗2 地獄の門・宗十郎頭巾』小学館文庫 2000年)
- ^ 『鞍馬天狗読本』
- ^ 石井富士弥『失われた原型を求めて』しみず書房 1976年
- ^ 鶴見俊輔「「鞍馬天狗」おぼえがき」(『鞍馬天狗1 角兵衛獅子』小学館文庫 2000年)
- ^ a b 日活のデータベースによる。波多野安正と記載されている資料もあり。
- ^ 花柳芳次郎(5代目)『舞の道 花柳芳次郎自伝』阪急コミュニケーションズ、2007年。ISBN 978-4-484-07208-1
- ^ 河村常雄 『河村常雄の家元探訪 』読売新聞、2007年11月5日。
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