雍正帝 后妃子女

雍正帝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/25 16:52 UTC 版)

后妃子女

正室

継室

側室

  • 敦粛皇貴妃年氏年羹堯の妹。
    • 娘:皇四女。夭逝。
    • 子・福宜:夭逝。
    • 子・福恵:懐親王。夭逝。
    • 子・福沛:夭逝。
  • 純懿皇貴妃耿氏
    • 子・弘昼:皇五子。和親王。
  • 斉妃李氏
    • 娘:皇二女。和碩懐恪公主。
    • 子・弘昐:夭逝。
    • 子・弘昀:皇二子。夭逝。
    • 子・弘時:皇三子。雍正帝の怒りを買って允禩の養子にされ、宗籍抹消、後に乾隆帝により宗籍恢復。
  • 謙妃劉氏
    • 子・弘曕:皇六子。子がなかった允礼の養嗣子となり果郡王を承襲。
  • 寧妃武氏
  • 懋嬪宋氏
    • 娘:皇長女。夭逝。
    • 娘:皇三女。夭逝。
  • 貴人郭氏
  • 貴人海氏
  • 貴人張氏
  • 貴人李氏
  • 貴人安氏
  • 貴人老氏
  • 常在那氏
  • 常在李氏
  • 常在馬氏
  • 常在高氏
  • 常在常氏
  • 春常在
  • 吉常在
  • 答応蘇氏
  • 答応汪氏
  • 雲答応
  • 蘭答応
  • 格格蘇氏[注釈 3]
  • 格格張氏[注釈 3]
  • 格格伊氏[注釈 3]
  • 格格張氏[注釈 3]

猶女

  • 和碩淑慎公主:理親王・胤礽の娘。
  • 和碩和恵公主:怡親王・胤祥の娘。
  • 和碩端柔公主 - 荘親王・胤禄の娘。

逸話

  • 雲貴総督時代の高其倬よりも「雍正帝の治世、雲南貴州総督の高其倬が密奏を上(たてまつ)り、国境に近い都龍(ドロン)の地には金鉱があるため、明代から越南に侵占されているので、これを恢復したい」との上奏に対して、雍正帝は「遠きを柔らぐるの道は、隣に睦むを以って美となす。都龍、南丹等の処は、明季にありて巳に安南(越南)の有する所たり。是れ侵占は我朝において始まるに非ず。安南は累世恭順なり。其の地、果たして利あらんか、即ち天朝は小邦と利を争うべけんや。若し利なからんか、即ちまた何ぞ必ずしもこれと争わん」とし上奏を退けている[10]
  • 清皇室離宮の円明園は、雍正帝が親王時代に康熙帝から拝領した庭園をもとに造営されたものである。
  • 民衆の手本として自ら倹約に努めている。書き物をする時に重要なものでなければ紙を裏返して使い、地方官が手紙を皇帝に送るときに綾絹を用いると「なぜこんな無駄なことをするのか」と言って紙を使わせた。政治の最高機関である軍機処の建物も、みすぼらしいバラックのようなものであった。
  • 日本に対しては好意的だった。
  • 単なる恐怖政治家ではなく、史上まれに見る勤勉な皇帝であった。毎日夜遅くまで政務に当たり、大量の上奏文にいちいち目を通し、全て自分で硃批中国語版(皇帝自身による朱墨による諾否、その他の書き込み)を満洲語で書かれた上奏文なら満洲語で、漢文で書かれた上奏文なら漢文で書き込み、一日の睡眠時間は4時間に満たなかったという。密偵も、ただ監視をするだけではなく、地方官に業績の優れた者がいればこれを褒賞した。

登場作品

東方朔姿の雍正帝(東方朔偸桃)

雍正帝の生涯を描いたものとして、全44回の連続テレビドラマ『雍正王朝』(1999年)がある。出演:唐国強焦晃王絵春中国語版王輝中国語版

他に関連した作品として、雍正帝の“三大模範”(鄂爾泰中国語版田文鏡中国語版李衛中国語版)の一人である李衛を扱った作品『李衛當官』(全30回、日本未公開)でも冷徹な人物として登場している。『雍正王朝』と同様、雍正帝を唐国強、十三皇子を王輝が演じた。

また、雍正帝によって造られたと言われている諜報・暗殺などの秘密工作を請け負う秘密組織「血滴子中国語版」は、武侠小説香港映画の題材としてたびたび使われている。映画『空とぶギロチン』(原題:血滴子、1975年)、『続・空とぶギロチン 〜戦慄のダブル・ギロチン〜』(原題:清宮大刺殺、1978年)などがその代表作。

映画

  • 『少林寺への道2』(DVD邦題:少林寺への道 十八銅人の逆襲、原題:雍正大破十八銅人、1976年)
  • カンフーエンペラー中国語版』(原題:功夫皇帝、1981年)
  • 『少林寺炎上』(原題:火焼少林寺、1976年)

テレビドラマ

演劇

  • 『君子無朋~中国史上最も孤独な「暴君」雍正帝~』(2021年 演:佐々木蔵之介

注釈

  1. ^ 参考:「禛」は「示+眞」。
  2. ^ 実際の満洲語で犬は「indahūn」、豚は「ulgiyan」であり、また満洲人は動物の名称を名前に使用することは珍しくないこともありアキナを、サスヘをとしたのは後世での何らかの意訳と思われる。康熙帝九男の息子たちは長男:フシフン fusihūn(卑しい者)、次男:フェチュフン fecuhun(後ろめたい人)、三男:ウビヤダ ubiyada(憎むべき者)、四男:エイメデ eimede(嫌なヤツ)、五男:ハイラン hairan(残念な人)、六男:ドゥンキ dungki(愚か者)、七男:ドゥシヒイェン dusihiyen(馬鹿)、八男:エイフン eihun(愚鈍蒙昧)と改名させられている。
  3. ^ a b c d 即位前に没した側室たちと思われる。

出典

  1. ^ "daicing gurun i šidzung temgetulehe hūwangdi i enduringge tacihiyan (大清世宗憲皇帝聖訓)"1740. [1]
  2. ^ 黄錫惠「清世宗諡宝之満文篆字研究」
  3. ^ 宮崎(1950)(宮崎(1996)pp.36、44-46、55-56)
  4. ^ “文字の獄”. 日本大百科全書(ニッポニカ). 小学館. https://kotobank.jp/word/文字の獄-142337#:~:text=もんじ【文字】%20の%20獄,もじのごく%E3%80%82 
  5. ^ a b c “第13章 大義覚迷録 (文字の獄)”. 紫禁城の栄光明・清全史. 講談社学術文庫. pp. 269-272 
  6. ^ “六. 忠義は民族を超越する”. 雍正帝中国の独裁君主. 中公文庫. pp. 155-157 
  7. ^ “六. 忠義は民族を超越する”. 雍正帝中国の独裁君主. 中公文庫. pp. 157-159 
  8. ^ a b “六. 忠義は民族を超越する”. 雍正帝中国の独裁君主. 中公文庫. pp. 159-166 
  9. ^ “七. 独裁政治の限界”. 雍正帝中国の独裁君主. 中公文庫. pp. 177-178 
  10. ^ 雑誌「中央公論」1989年8月「中国を叱る」より


「雍正帝」の続きの解説一覧




雍正帝と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「雍正帝」の関連用語

雍正帝のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



雍正帝のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの雍正帝 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS