陳寿 陳寿への非難

陳寿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/11 12:47 UTC 版)

陳 寿(ちん じゅ、建興11年〈233年〉? - 元康7年〈297年〉?[注釈 1])は、中国三国時代蜀漢西晋に仕えた官僚。字は承祚(しょうそ)。『三国志』の著者として知られる。は陳符・陳蒞・陳階[注釈 2]


注釈

  1. ^ 『晋書』陳寿伝と『華陽国志』では没年が異なり、『華陽国志』では「張華が没した300年以降」と記録されている。
  2. ^ 陳符と陳蒞は陳寿のの子、陳階は陳蒞の従弟[1]。また『三国志演義』のうち李卓吾本では、第100回の総評に「陳寿が後に史書を編むと知っていたなら、この時陳式を殺さないほうがかえって良かった」とあり、陳寿が陳式の縁戚であるかのように書かれている[2]
  3. ^ 津田資久は、陳寿は卑官とはいえ中央の官職である秘書郎まで昇進しているため、黄皓との対立自体が疑わしいとしている[5]
  4. ^ これは儒教の礼教において、親が死ぬと子は嘆き悲しみ、飲食も碌に摂らず痩せさらばえ、杖無しでは歩けぬ程に成るのが「孝」とされた為であり、親の服喪中に我が身を労わるのは以ての外とされていたからである。
  5. ^ 『華陽国志』によると、その理由は『三国志』魏志の記述が荀勗の意に沿わなかったためだというが、同書には荀勗が『三国志』を絶賛したという記載もある[10]。田中靖彦は、記述が気に入らなかったというのは口実にすぎず、司馬炎による伐呉の実施について意見が紛糾した際に、陳寿が出兵賛成派の張華についたことで政敵と見なされたのが真の原因だと論じている[11]
  6. ^ 正史『晋書』は648年刊。
  7. ^ 裴松之は本件について、「蜀漢正統論」を唱えた最初の歴史書として知られる習鑿歯漢晋春秋』を注に引くことで補っている。
  8. ^ 王鳴盛『十七史商榷』の陳寿擁護にはいくつかの事実誤認(丁儀らは単なる巧佞の臣で伝を立てられるはずがない、諸葛亮は6度も祁山に出征し、一勝も収めなかったなど)があり、反論を受けている。丁儀は曹操に高く評価され、その死を世に惜しまれたとされ、『魏略』にはその伝が立てられている。また陳寿の記した『三国志』本文によれば、諸葛亮が祁山に出たのは2度であり、北伐全体も5度で、第三次北伐では勝利も挙げている。
  9. ^ 陳寿同様に蜀漢の旧臣で西晋に仕えた李密(『文選』などに採録された、『陳情事表』で知られる文人)に対しても、同様の非難が浴びせられている。

出典

  1. ^   (中国語) 『華陽国志』巻11陳寿伝, ウィキソースより閲覧, "[陳壽]兄子符,字長信,亦有文才,繼壽著作佐郎,上廉令。符弟蒞,字叔度,梁州別駕,驃騎將軍齊王辟掾,卒洛下。蒞従弟階,字達之,州主簿,察孝廉,褒中令,永昌西部都尉,建寧、興古太守。皆辭章粲麗,馳名當世。凡壽所述作二百餘篇,符、蒞、階各數十篇。二州先達及華夏文士多為作傳,大較如此。" 
  2. ^ 『李卓吾先生批評三国志』第100回 (PDF) . 羅貫中李贄李卓吾先生批評三国志』(緑蔭堂本). 古典籍総合データベース. 早稲田大学図書館. 2024年5月27日閲覧, "早知陳壽後來編史,此時不殺陳式倒好。"
  3. ^ a b 田中 2011, p. 70.
  4. ^   (中国語) 『晋書』巻82陳寿伝, ウィキソースより閲覧, "宦人黃皓專弄威權,大臣皆曲意附之,[]壽獨不為之屈,由是屢被譴黜。" 
  5. ^ 田中 2011, p. 83。- 津田(2001)の孫引き、頁数不明
  6. ^   (中国語) 『晋書』巻82陳寿伝, ウィキソースより閲覧, "[陳壽]遭父喪,有疾,使婢丸藥,客往見之,鄉黨以為貶議。" 
  7. ^   (中国語) 『晋書』巻82陳寿伝, ウィキソースより閲覧, "[陳壽]撰《蜀相諸葛亮集》,奏之。[...]壽又撰《古國志》五十篇、《益都耆舊傳》十篇,餘文章傳於世。" 
  8. ^   (中国語) 『晋書』巻82陳寿伝, ウィキソースより閲覧, "[陳壽]撰魏、吳、蜀《三國志》,凡六十五篇。時人稱其善敘事,有良史之才。張華深善之,謂壽曰:「當以《晉書》相付耳。」" 
  9. ^   (中国語) 『華陽国志』巻11陳寿伝, ウィキソースより閲覧, "吳平後,[]壽乃鳩合三國史,著魏、吳、蜀三書六十五篇,號《三國志》;又著《古國志》五十篇;品藻典雅。中書監荀勗、令張華深愛之,以班固、史遷不足方也。" 
  10. ^   (中国語) 『華陽国志』巻11陳寿伝, ウィキソースより閲覧, "[]華表令兼中書郎。而[]壽《魏志》有失[]勗意,勗不欲其處內,表為長廣太守。" 
  11. ^ 田中 2011, pp. 85–86.
  12. ^   (中国語) 『華陽国志』巻11陳寿伝, ウィキソースより閲覧, "太子廢徙後,再兼散騎常侍。惠帝謂司空張華曰:「壽才宜真,不足久兼也。」華表欲登九卿,會受誅,忠賢排擯。" 
  13. ^   (中国語) 『華陽国志』巻11陳寿伝, ウィキソースより閲覧, "[]壽遂卒洛下,位望不充其才,當時冤之。" 
  14. ^   (中国語) 『華陽国志』巻11陳寿伝, ウィキソースより閲覧, "時梓潼李驤叔龍,亦雋逸器,知名當世。舉秀才,尚書郎。拜建平太守,以疾辭不就,意在州里。除廣漢太守。初與[]壽齊望,又相昵友。後與壽情好攜隙,還相誣攻。有識以是短之。" 
  15. ^   (中国語) 『晋書』巻82陳寿伝, ウィキソースより閲覧, "初,譙周嘗謂[]壽曰:「卿必以才學成名,當被損折,亦非不幸也。宜深慎之。」壽至此,再致廢辱,皆如周言。" 
  16. ^   (中国語) 『晋書』巻82陳寿伝, ウィキソースより閲覧, "[陳壽]撰魏、吳、蜀《三國志》,凡六十五篇。時人稱其善敘事,有良史之才。夏侯湛時著《魏書》,見壽所作,便壞己書而罷。" 
  17. ^   (中国語) 『文心雕龍』巻4史伝第十六, ウィキソースより閲覧, "至於《後漢》紀傳,發源《東觀》。袁張所製,偏駁不倫。薛謝之作,疎謬少信。若司馬彪之詳實,華嶠之準當,則其冠也。及魏代三雄,記傳互出。《陽秋》《魏略》之屬,《江表》《吳錄》之類,或激抗難徵,或疎闊寡要。唯陳壽《三志》,文質辨洽,荀張比之於遷固,非妄譽也。" 
  18. ^   (中国語) 『重答魏收書』, ウィキソースより閲覧, "漢獻帝死,劉備自尊崇。陳壽蜀人,以魏為漢賊。寗肯蜀主未立,已云魏武受命乎。" 
  19. ^   (中国語) 『晋書』巻82陳寿伝, ウィキソースより閲覧, "梁州大中正、尚書郎范頵等上表曰:「昔漢武帝詔曰:『司馬相如病甚,可遣悉取其書。』使者得其遺書,言封禪事,天子異焉。臣等案:故治書侍御史陳壽作《三國志》,辭多勸誡,明乎得失,有益風化,雖文豔不若相如,而質直過之,願垂採錄。」於是詔下河南尹、洛陽令,就家寫其書。" 
  20. ^   (中国語) 『晋書』巻82陳寿伝, ウィキソースより閲覧, "或云丁儀、丁暠有盛名于魏,[]壽謂其子曰:「可覓千斛米見與,當為尊公作佳傳。」丁不與之,竟不為立傳。" 
  21. ^   (中国語) 『晋書』巻82陳寿伝, ウィキソースより閲覧, "[]壽父為馬謖參軍,謖為諸葛亮所誅,壽父亦坐被髡,諸葛瞻又輕壽。壽為亮立傳,謂亮將略非長,無應敵之才,言瞻惟工書,名過其實。" 
  22. ^ 『三国志』巻35董厥伝注引孫盛『異同記』
  23. ^ 田中 2011, p. 78.
  24. ^   (中国語) 『史通』巻7曲筆第二十五, ウィキソースより閲覧, "若王沈《魏錄》濫述貶甄之詔,陸機《晉史》虛張拒葛之鋒,班固受金而始書,陳壽借米而方傳。此又記言之奸賊,載筆之兇人,雖肆諸市朝,投畀豺虎可也。" 
  25. ^   (中国語) 『史通』巻7曲筆第二十五, ウィキソースより閲覧, "陳氏《國志.劉后主傳》云:「蜀無史職,故災祥靡聞。」案黃氣見于姊歸,群鳥墮于江水;成都言有景星出,益州言無宰相氣;若史官不置,此事從何而書?蓋由父辱受髡,故加茲謗議者也。" 
  26. ^ 『読史商語』巻2. 中国哲学書電子化計画, 2024年5月27日閲覧, "自古用兵,未有不出奇冒險而能有功者。 諸葛孔明用兵,病在不能出竒。[...]陳壽稱孔明為管、蕭之亞,又曰用兵非其所長,此皆確論。 世謂壽稱挾私致貶,其殆不然。"
  27. ^ 田中 2011, p. 87.
  28. ^ 田中 2011, p. 76.
  29. ^   (中国語) 『史通』巻7探賾第二十七, ウィキソースより閲覧, "隋內史李德林著論,稱陳壽蜀人,其撰《國志》,黨蜀而抑魏。刊之國史,以為格言。案曹公之創工業也,賊殺母后,幽逼主上,罪百田常,禍千王莽;文帝臨戎不武,為國好奢,忍害賢良,疏忌骨肉。而[]壽評皆依違其事,無所措言。是未嘗抑魏者。劉主地謂門地,居漢宗,仗順而起,夷險不撓,終始無瑕。方諸帝王,可比少康、光武;以宗室言。譬以侯伯,宜輩秦繆、楚莊。以功烈言。而壽評抑其所長,攻其所短。亦不似黨蜀者。是則壽之意。以魏為正朔之國,典午攸承;蜀乃僭偽之君,中朝所嫉。故曲稱曹美,而虛說劉非,安有背曹而向劉,疏魏而親蜀也?此下舊有注,引陳壽《上諸葛集表》語,殊無取義,去之。夫無其文而有其說,不亦憑虛亡是者耶?" 
  30. ^ 田中 2011, p. 83.
  31. ^ 田中 2011, p. 78-80.
  32. ^ 田中 2011, p. 81.
  33. ^ 田中 2011, pp. 78, 88.
  34. ^ 渡邉義浩『「古典中国」における史學と儒教』汲古書院、2022年、p. 107-113。


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