野崎啓造 野崎啓造の概要

野崎啓造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/18 00:46 UTC 版)

野崎啓造

経歴

広島藩士の子として、広島城下に生まれた。広島藩学問所(現:修道中学校・高等学校)にて学ぶ[3]1875年(明治8年)より司法省に出仕し、検事補を経て、1881年(明治14年)に検事に昇進した。1889年(明治22年)、ドイツフランスへ司法事務の視察に赴いた。帰国後、横浜地方裁判所検事正、東京地方裁判所検事正を歴任し、1893年(明治26年)、大審院検事となった。その後また地方に転出し、大阪地方裁判所検事正を経て、1894年(明治27年)に広島控訴院検事長、1898年(明治31年)に東京控訴院検事長に就任した。同年、検事総長に抜擢され、1904年(明治37年)まで務めた[4]

その後、1905年(明治38年)12月13日に貴族院議員に勅選され[5]、死去するまで在職した[6]

栄典

脚注

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関連項目

参考文献

公職
先代
野村維章
東京控訴院検事長
1898年
次代
波多野敬直
先代
奥山政敬
広島控訴院検事長
1894年 - 1898年
次代
一瀬勇三郎

注釈

  1. ^ 『人事興信録 初版』660頁では2月4日生。

出典

  1. ^ 『官報』第8225号、明治43年11月19日
  2. ^ 『官報』第8226号、明治40年11月21日
  3. ^ 修道中学校編「修道中学校史」1931年 28頁
  4. ^ 『官報』第6228号、明治37年4月8日
  5. ^ 『官報』第6738号、明治38年12月14日
  6. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』151頁。
  7. ^ 『官報』第3901号「叙任及辞令」1896年7月1日。
  8. ^ 『官報』第4949号「叙任及辞令」1899年12月28日。


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