華川郡 華川郡の概要

華川郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/03 07:41 UTC 版)

江原特別自治道 華川郡
位置
各種表記
ハングル: 화천군
漢字: 華川郡
日本語読み仮名: かせんぐん
片仮名転写: ファチョン=グン
ローマ字転写 (RR): Hwacheon-gun
統計(2023年
面積: 909.5 km2
総人口: 23,007[1]
男子人口: 12,321 人
女子人口: 10,686 人
行政
国:  大韓民国
上位自治体: 江原特別自治道
下位行政区画: 1邑4面
華川郡の木: ミズキ
華川郡の花: ツツジ
華川郡の鳥: コウライウグイス
自治体公式サイト: 華川郡
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歴史

  • 高句麗時代 - 牲川郡または也尸買と呼ばれた。
  • 685年新羅神文王6年) - 狼川と呼ばれた。
  • 995年高麗成宗16年) - 朔方道の管轄となる。
  • 1178年高麗明宗8年) - 朔方道を廃して春州道が設置され、春州道の管轄となった。[2]
  • 1413年朝鮮太宗13年) - 県監を設置した。
  • 1645年朝鮮仁祖23年) - 県を廃止して今の金化郡にあった都護府管轄となったが、後に再び県に戻った。
  • 1869年朝鮮高宗6年) - 華川に改称。
  • 1895年 - 狼川郡に改称。
  • 1902年 - 華川郡に改称。
  • 1914年4月1日 - 郡面併合により、華川郡に以下の面が成立。[3](4面)
    • 下南面・看東面・郡内面・上西面
  • 1917年 - 郡内面が華川面に改称。
  • 1945年8月15日 - ソ連軍管理下に置かれる。(4面)
  • 1946年12月 - ソ連軍管理下の京畿道加平郡北面と春川郡史内面・史北面・北山面(38度線以北の地域)を編入。(5面)
    • 北面・史内面が合併し、史内面を設置。
    • 史北面・下南面が合併し、下南面を設置。
    • 北山面・看東面が合併し、看東面を設置。
  • 1953年7月27日 - 朝鮮戦争の結果、全域が韓国が収復。
  • 1954年
    • 10月21日 - 春城郡史内面を編入。[4](5面)
    • 11月17日 - 収復地区臨時行政措置法により、華川郡に対する施政権が回復し、一部を春城郡・加平郡にそれぞれ返還。下記の5面で再出発。[5]
      • 華川面・看東面・下南面・上西面・史内面
  • 1979年5月1日 - 華川面が華川邑に昇格。[6](1邑4面)

行政

警察

消防


  1. ^ 주민등록 인구통계 - 행정안전부”. 行政安全部. 2024年1月3日閲覧。
  2. ^ 화천군의 연혁 アーカイブ 2013年6月28日 - ウェイバックマシン, 2012년 3월 31일 확인
  3. ^ 朝鮮総督府令第111号(1913年12月29日)
  4. ^ 화천군 연혁 アーカイブ 2017年5月20日 - ウェイバックマシン 화천군 홈페이지, 2017년 7월 4일 확인.
  5. ^ 法律第350号 수복지구임시행정조치법(1954年10月21日)
  6. ^ 大統領令第9409号 미금읍등53개읍설치에관한규정(1979年4月7日)


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