経王寺 (札幌市) 概要

経王寺 (札幌市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 14:35 UTC 版)

概要

1875年明治8年)開山[1]。開祖は紀伊藩出身で東京深川浄心寺の役僧であった松井寬義[1][2]。松井は明治初年に北海道布教を志して渡道し、函館江差石狩を経て札幌近郊・元村の妙見山本龍寺に留錫(滞留)した[1]。その後、何れも熱心な日蓮宗信者であった、開拓御用請負師・大岡助右衛門、開拓御用料理屋(旧東京庵)店主・後藤彦右衛門、素封家・中村甚五兵衛らと相計り、1875年に大岡が寄進した札幌郡豊平村(現札幌市豊平区豊平)の現在地に一堂寺を建立した[1][2]。開山当時の檀家は45軒であったが、徐々に増加し、5年後の1880年本堂が創建された[1][2]。同年正式に許可を受け、「経王寺」と寺号を公称した[1]。その後、当寺は道内を2分する西部録所(宗務所)の指定を受け、道内内陸部や樺太方面への布教の本拠となり、さらには総本山直末・身延山北海道弘通所の栄誉を受けるに至った[1][2]

また松井は、地元豊平村の有力者であった阿部仁太郎・阿部代之助ら有志と相計り、1881年に境内寺にある建物を利用して寺子屋(現在の札幌市立豊平小学校の前身)を開設、地域子女の教育にも尽くした[3]。さらに境内には行政機関や治安維持等の機関も設置され、開拓間もない豊平地区の文化・教育の中心的な役割も果たした[4]

第二次世界大戦後の1951年、札幌郊外の手稲山麓に「奥の院大平和寺」を建立し、緇素(出家者と在家)の参詣の浄地と定めた[5]1955年には、総本山(身延山)第84世法主・深見日円の来山を期して、総本山より「北海身延」の称号を允許された[5]

『札幌市史 文化社会編』(札幌市史編集委員会編、1958年)では、当寺が創立年代が早くまた檀信徒も多く、教化力の大きな寺院であることから、似たような経緯や特色を持つ真宗大谷派札幌別院中央寺曹洞宗)、本願寺札幌別院真宗本願寺派)、新善光寺浄土宗)と並ぶ、「札幌五大寺」の一つであるとしている[6]


  1. ^ a b c d e f g 『郷土史豊平地区の140年 1857-1997』、274頁。
  2. ^ a b c d 『札幌市史 文化社会編』、341頁。
  3. ^ 『郷土史豊平地区の140年 1857-1997』、274-275頁。
  4. ^ 経王寺の歴史 - 経王寺 日蓮宗 北海身延 妙法華山
  5. ^ a b c d 『郷土史豊平地区の140年 1857-1997』、276頁。
  6. ^ 『札幌市史 文化社会編』、338頁。


「経王寺 (札幌市)」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「経王寺 (札幌市)」の関連用語

経王寺 (札幌市)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



経王寺 (札幌市)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの経王寺 (札幌市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS