米芾
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逸話
- ある時、米芾はコレクターから古典を借りて臨模し、模写が終わって真本と贋本をいっしょに返したところ、持主は両者の区別がつかず、「どちらが真本?」と米芾に聞くと、米芾は、「お好きな方をお取り下さい。」と言った。持主が迷いながら贋本を手にすると、「さすがはお目が高い。」と言って持主を欺き、かくして真本を手に入れてしまった[7][31]。
- 蔡京の子の蔡攸は、舟の上で王羲之の『王略帖』を米芾に自慢げに見せたところ、突然、米芾は『王略帖』を奪い取って、「この書が欲しい。くれなければ死んだほうがましだ。巻物もろとも水に飛び込む。」と言い、『王略帖』を懐に入れて水に飛び込もうとした。蔡攸は、「見せたのが失敗だった。」と後悔しながら『王略帖』を米芾に譲った[32][33]。
参考文献
書籍
- 江守賢治、1967年(新版2008年)、『字と書の歴史』、日本習字普及協会 ISBN 978-4-8195-0004-3
- 西川寧 ほか、1969、『書道辞典』、二玄社
- 木村卜堂、1971、『日本と中国の書史』、日本書作家協会
- 飯島春敬ほか、1975、『書道辞典』、東京堂出版
- 中田勇次郎、1977、『中国書論集』、二玄社
- 鈴木翠軒、1996、『新説和漢書道史』、日本習字普及協会 ISBN 978-4-8195-0145-3
- 魚住和晃、2004年(新版2008年)、『書の歴史(宋 - 民国)』、講談社 ISBN 4-06-213183-8
- 藤原鶴来、2005、『和漢書道史』、二玄社 ISBN 4-544-01008-X
- 比田井南谷、2008、『中国書道史事典 普及版』、天来書院 ISBN 978-4-88715-207-6
記事
- 中田勇次郎「中国書道史・宋」『書道藝術』別巻第3号、中央公論社、1977年2月、128-129頁。
- 西林昭一、石田肇「五代・宋・金」『ヴィジュアル書芸術全集』第7巻、雄山閣、1982年5月、79-85頁、ISBN 4-639-01036-2。
- 「米芾」『墨』第81号、芸術新聞社、1989年。
- 陳舜臣「米芾」『墨』第81号、6-7頁。
- 「米芾書跡名品選」同上、8-76頁
- 「資料室 米芾関係主要法帖一覧」同上、80頁
- 石田肇「図説中国書道史 - 名品鑑賞 宋・金・元」『墨スペシャル』第9号、芸術新聞社、1991年10月。
- 角井博(解説)、大野修作(釈文)「蜀素帖・尺牘 宋 米芾」『故宮法書選』第6巻、二玄社、2006年、2-38頁、ISBN 978-4-544-00776-3。
伝記・研究文献
- 古原宏伸編著 『米芾「画史」註解 〈上・下〉』(中央公論美術出版、2009-2010年)
- 古原宏伸「米芾『画史』札記」- 『中国画論の研究』(中央公論美術出版、2003年)
- 塘耕次 『米芾 宋代マルチタレントの実像』(大修館書店〈あじあブックス〉、1999年)、ISBN 4469231568
- L・レダローゼ、塘耕次訳 『米芾 人と芸術』(二玄社、1987年)
- 中田勇次郎 『米芾 研究篇』、『図版篇』(二玄社、1982年)
注釈
- ^ a b 生卒年に異説あり。『宋史』に「卒,年四十九。」とある[1]。
- ^ 黻(ふつ)は、意味も発音も「芾」と同じで、元祐6年(1091年、41歳)以後は「芾」を用いた。
- ^ 宝晋斎(ほうしんさい)とは、晋を宝とするという意味で、当時は顔真卿が主流の中、米芾は晋の王羲之を最上とした[2]。王羲之の『王略帖』、謝安の『八月五日帖』、王献之の『十二月帖』の3帖を入手して自ら宝晋斎と号し、晋人の天質自然な風韻を体得して自分の書を完成した[3]。
- ^ 文部省課長級に相当[2]。
- ^ この官職名がかつて南宮舎人といったので米南宮と呼称された。
- ^ a b 集古字(しゅうこじ)とは、古典の字をただ集めて書いたという意[13]。
- ^ a b 『英光堂帖』(えいこうどうじょう)は、米芾の専帖で、もとは南宋の岳珂が刻したものであるが、現在、完本は伝わらず、清代に徐渭仁が重刻した[14]。
- ^ 李瑋(りい)。当時の大コレクターである[7]。
- ^ 「巧」の下に「言」の字。
- ^ 頓首(とんしゅ)とは、手紙の最後に書く敬語[28]。
- ^ 文末に「監中岳祠」の官名があることによる[14]。
- ^ 朱長文の号を楽圃(らくほ)という。「兄」は親しい友人への敬称[28]。
出典
- ^ 宋史列伝(米芾)
- ^ a b 陳, p. 7.
- ^ 中田(書道史), p. 129.
- ^ a b 比田井, p. 238.
- ^ a b c d 陳, p. 6-7.
- ^ 西川, p. 114.
- ^ a b c 西林, p. 83.
- ^ 『宣和書譜』の原文(大抵書效羲之,詩追李白,篆宗史籀,隸法師宜官。)
- ^ 江守, p. 151.
- ^ “畫禪室隨筆/卷一 - 维基文库,自由的图书馆”. zh.wikisource.org. 2020年4月30日閲覧。
- ^ 石田, p. 129.
- ^ 魚住, p. 43.
- ^ a b c 比田井, p. 240.
- ^ a b c 墨81号, p. 50.
- ^ a b 蜀素帖, p. 31.
- ^ 西林, p. 84.
- ^ 西川, p. 68.
- ^ 蜀素帖, p. 14.
- ^ 墨81号, p. 80.
- ^ 魚住, p. 48.
- ^ a b 木村, p. 174.
- ^ 比田井, p. 239.
- ^ 西林, p. 87.
- ^ a b 飯島, p. 730.
- ^ 藤原, p. 135.
- ^ 鈴木, p. 71.
- ^ 墨81号, p. 72.
- ^ a b 新明解国語辞典
- ^ 魚住, p. 50.
- ^ a b 中田(書論集), p. 217.
- ^ 魚住, p. 47.
- ^ 西林, p. 85.
- ^ 魚住, p. 44.
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