秋山好古 秋山好古の概要

秋山好古

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/02 12:13 UTC 版)

秋山あきやま 好古よしふる
渾名 日本騎兵の父
鼻信
生誕 1859年2月9日安政6年1月7日
日本伊予国松山(現・愛媛県松山市
死没 (1930-11-04) 1930年11月4日(71歳没)
日本東京府
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1879年 - 1923年
最終階級 陸軍大将
除隊後 北予中学校校長
墓所

青山霊園

鷲谷墓地(松山市)
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陸軍騎兵学校を参観に来たフランス軍人に「秋山好古の生涯の意味は、満州の野で世界最強の騎兵集団を破るというただ一点に尽きている」と賞され、日本騎兵の父とも呼ばれている[3]

連合艦隊先任参謀として日本海海戦の勝利に貢献した秋山真之は実弟。


注釈

  1. ^ 大阪師範学校を卒業して教員となった秋山は、愛知県立名古屋師範学校付属小学校訓導として、わずか19歳で月給30円を給されていた[3]が、それから1年経たないうちに教職を辞して陸士に入校し、陸軍将校に転身した[3]。秋山が教育者から軍人に転じた理由や動機は不詳[3]
  2. ^ 秋山は修業年限2年の師範学校を進級試験制度を使って1年で卒業していることから、本当に薄給のために教師を辞したのか、それともそもそも軍人になるために官立師範学校進学者と卒業者に対する特典(教職に就いて所定年数奉職するか、陸軍士官学校などに進学するかのどちらかで学費全免除とされた。)を求めて官立師範学校に進んだだけであるのかが謎とされ、長年にわたって後者であろうと考えられ、軍人としての評価のみ、北予中学校への赴任も退役職業軍人のいわゆる天下りとして考えられ(軍事教練等が義務付けられていた当時の中学校(男子校)の校長職は退役職業軍人に頼ることが多かったため。)、その教育実践内容と矛盾するところが多かったが(秋山は21世紀現在にも通用する普通教育を考案して実践しており、当時としてはいわゆる反政府的な内容が多く、あまりにも退役職業軍人らしくなかった。)、当時、町村との個別直接契約(2018年現在でのいわゆる非正規雇用)のために、進学希望の師範学校卒業者が選ばなかった一般の小学校、すなわち現在の寝屋川市立南小学校を選んでいた、愛知県からの招聘に応じ、現在の愛知教育大学附属名古屋小学校に赴任していたことから、明確に当初から教員志望であり、教職に就くことによって学費免除を受けようとしたことがわかり、教育者としても学術的研究と評価の対象になり、これによって新たに多くの史料が発見された。なお、20歳から受検資格を得られるとされていた官立師範学校になぜ16歳にして入学できたのかなど、2024年現在も不明な点が多く残されている。
  3. ^ ゆえに井上要は秋山に名前だけでもと請っている。なお2018年現在でも制度上、これは残されており、高等学校長は必ずしも教育職員免許状所有者でなくてもよく、学校常駐の義務もない。
  4. ^ その他、秋山は校長在任中も将軍として常に新聞社などの取材対象であり、特にそれらによる記録は明らかに誇張や捏造と考えられるところが多く、2018年現在も新たな史料の発掘作業が続けられている。
  5. ^ 当時の旧制中学校の教員は旧制大学修了者、高等師範学校修了者、無資格者などによる構成で、大学のスタイル(高等教育のスタイル)の多くがそのまま中学校に持ち込まれていたためである。秋山も、高等教育は学問、自由闊達なものでなければならないが、中等教育はまだ学問とはならないとして指摘している。

出典

  1. ^ 秋山好古 | 近代日本人の肖像
  2. ^ a b c 半藤 2013, 位置No. 3820-3837, 陸軍大将略歴[大正期] - 秋山好古(旧3)
  3. ^ a b c d e 半藤 2013, 位置No. 860-1058, 第一章 世界大戦と日独戦争-秋山好古 日本騎兵の父
  4. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 19頁。
  5. ^ 100文銭として発行され、明治維新後は新貨8厘に通用した。『新訂 貨幣手帳』/株式会社ボナンザ/1982年→同書・pp150-151およびp178による。
  6. ^ a b c d e f g h i j 「愛媛の偉人たち」愛媛県生涯学習センター 愛媛人物博物館 秋山好古の展示。
  7. ^ 『官報』第3818号 明治29年3月25日 敍任及辭令
  8. ^ 編成としては旅団であったが、実際は歩兵砲兵を編入していたので戦闘単位としては「支隊」であり秋山支隊と言った。編成は支隊主力、三岳支隊、豊辺支隊、種田支隊の4個支隊からなる。
  9. ^ 『官報』第3199号、大正12年4月2日。
  10. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション 秋山好古。
  11. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション 秋山好古、373-377頁
  12. ^ 坂の上の雲 校長の六年間
  13. ^ 坂の上の雲を見上げて
  14. ^ イラスト図解 日清・日露戦争 (イラスト図解シリーズ) 111P
  15. ^ 学習指導要領「生きる力」現行学習指導要領の基本的な考え方 文部科学省。2018年1月閲覧。
  16. ^ 学習指導要領「生きる力」次期学習指導要領 文部科学省。2018年1月閲覧。この中で後述の秋山の実践は2018年現在実施されている現行学習指導要領よりもさらに明確に明文化された
  17. ^ 「我が国の学校教育制度の歴史について」平成24年1月 国立教育政策研究所。
  18. ^ 北予中学・松山高商楽屋ばなし』「松山に於ける私人秋山翁」 井上要著 1933年 国立国会図書館所蔵。
  19. ^ 秋山好古と秋山真之: 日露戦争を勝利に導いた兄弟
  20. ^ 北予中学・松山高商楽屋ばなし』「俄かに光る北予中学」「松山に於ける私人秋山翁」井上要 著 1933年 国立国会図書館所蔵。
  21. ^ 北予中学・松山高商楽屋ばなし』「無言の教、無為の化」「徹底せる私学観」「松山に於ける私人秋山翁」井上要 著 1933年 国立国会図書館所蔵。
  22. ^ a b c d 北予中学・松山高商楽屋ばなし』「超教育家の識見」井上要 著 1933年 国立国会図書館所蔵。
  23. ^ 愛媛県立松山北高等学校公式サイト
  24. ^ 秋山好古の言葉”. 秋山兄弟生誕地. 公益財団法人常盤同郷会. 2017年8月19日閲覧。
  25. ^ https://serai.jp/living/380212
  26. ^ a b c d e f g h i j k 陸軍大将秋山好古外二名特旨叙位ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A11113166400 
  27. ^ 『官報』第1033号「叙任」1886年12月8日。
  28. ^ 『官報』第2858号「叙任及辞令」1893年1月11日。
  29. ^ 『官報』第3818号「叙任及辞令」1896年3月25日。
  30. ^ 『官報』第4302号「叙任及辞令」1897年11月1日。
  31. ^ 『官報』第5790号「叙任及辞令」1902年10月21日。
  32. ^ 『官報』第7313号「叙任及辞令」1907年11月12日。
  33. ^ 『官報』第126号「叙任及辞令」1912年12月29日。
  34. ^ 『官報』第1048号「叙任及辞令」1916年2月1日。
  35. ^ 『官報』第1979号「叙任及辞令」1919年3月11日。
  36. ^ 『官報』第3223号「叙任及辞令」1923年5月1日。
  37. ^ 『官報』第3578号、明治28年6月5日。
  38. ^ 『官報』第3671号「叙任及辞令」1895年9月21日。
  39. ^ 『官報』第3862号・付録「辞令」1896年5月16日。
  40. ^ 『官報』第5072号「叙任及辞令」1900年6月1日。
  41. ^ 『官報』第5487号「叙任及辞令」1901年10月15日。
  42. ^ 『官報』第6727号「叙任及辞令」1905年12月1日。
  43. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月30日。
  44. ^ 『官報』第402号 大正2年11月29日 敍任及辭令
  45. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
  46. ^ 『官報』第1898号 大正7年11月30日 敍任及辭令
  47. ^ 『官報』第2612号「叙任及辞令」1921年4月19日。
  48. ^ 『官報』第1157号 昭和15年11月6日 敍任及辭令
  49. ^ 中隊長は秋山好古のひ孫 北恵庭駐屯地に着任:苫小牧民報社
  50. ^ 秋山好古のひ孫は陸自指揮官 研究重ね「信頼されたい」 - 47NEWS
  51. ^ 秋山兄弟生誕地 好古の曾孫・秋山純一氏がご来館


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