神吉宏充 棋歴

神吉宏充

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/23 09:11 UTC 版)

棋歴

小学生の頃に将棋を覚え、中学生のときに本格的に指し始める[2]。そのきっかけは、おじさんに「ヨワ将」と呼ばれたこと[2]

1977年のアマチュア名人戦で兵庫県代表[2]となる。全国大会では最年少の18歳であったが、ベスト4進出[1]角頭歩戦法を用いた勝局もあったという[1]

そして、1978年、内藤門下で奨励会に入会。入門前の約3年間は会社員だった[3]。1級での入会は1961年の若松政和(アマ名人戦優勝歴あり)以来17年ぶり[1]。それから4年8か月経った1983年、四段昇段(プロ入り)を果たす。

オールスター勝ち抜き戦での本戦進出も数回あるが、最も活躍した棋戦は、一般の将棋ファンに対する露出度が最も高いNHK杯戦である。たびたび予選を通過し本戦出場した。

第44回(1994年度)NHK杯戦では、先崎学加藤一二三らを破り準々決勝進出(準々決勝で米長邦雄に敗れる)。対・加藤戦では解説役で師匠の内藤も加えて局後の感想戦を行ったが、そのとき、謙虚ながらも偉大なる先輩に勝ったという感動を露わにした。加藤に「今日は強かった」と言われ喜んでいる姿を見た内藤に「対戦相手に強いと言われて喜ぶとアマチュアみたいだ」と指摘されるが、「今日はそれでもいいです」と言った[4]

第49回(1999年度)NHK杯戦では、青野照市森内俊之に勝つ(この回の優勝者となる鈴木大介に3回戦で当たり、先手で持将棋となり先後入替の指し直し局で敗れる)。森内との対局の序盤では、神吉は定番の振り飛車穴熊にするが、それに対して森内は自分の飛車も振って、意表の相振り飛車戦に持ち込んだ。サービス精神旺盛な神吉は森内に勝った後の感想戦ではガッツポーズを決めていた[5]

順位戦での通算成績は、81勝89敗である。C級2組からC級1組に昇級することはなかった。17年間(第43期・1984年度 - 第59期・2000年度)の中で最終局まで昇級争い絡むことはなく、最高成績は3度の7勝3敗である(第43期・第49期・第55期)。うち、第55期の勝ち越しは降級点を2つから1つに減らしたものであった。しかし、第59期(2000年度)で降級点を累積3点としてしまい、フリークラスに降級した。

2005年8月、瀬川晶司のプロ編入試験第2局の試験官(対戦相手)を務める。対局前に「振り飛車穴熊戦法」と戦法予告をし、全身ピンクのスーツ姿で対局に臨み、対局前に瀬川に「(目が)チカチカするやろ」と言っておどけてみせる。また、対局中に(対局当事者であるにもかかわらず)大盤解説場に登場して情勢についてコメントするなどのパフォーマンスを見せた。結果は瀬川の勝利。対局終了後、「プロ棋士になれる」と瀬川を励まし、勇気づけた[6]。後に瀬川の自伝を映画化した『泣き虫しょったんの奇跡』に、瀬川の編入試験の対戦相手である「神宏充六段」役として出演した際にも、当時と同じピンクのスーツ姿を見せた。

第18期(2009年度 - 2010年度)銀河戦で、ブロック戦で4連勝し、決勝トーナメント進出(1回戦で丸山忠久に敗れる)。

2010年度をもってフリークラス降級から10年を迎え、引退が決まった[7]。そして、2011年6月1日、第24期竜王戦6組昇級者決定戦1回戦で牧野光則に敗れたのが最終対局となり、同日付で引退した[8]

2018年、姫路市の商店街に将棋教室「プロ棋士神吉七段の大逆転将棋倶楽部」をオープン[9][10]。(2019年8月に姫路城射楯兵主神社近くに移転)


  1. ^ a b c d e f 将棋世界」2000年1月号付録
  2. ^ a b c 平成10年版「将棋年鑑」(日本将棋連盟
  3. ^ a b 思い出シネマ 私の一本(神戸新聞)
  4. ^ 将棋世界 1994年8月号 p.46 - 48
  5. ^ 将棋世界 1999年8月号 p.30 - 31
  6. ^ サンケイスポーツ 2005年8月15日 13面(将棋面)
  7. ^ 引退棋士のお知らせ|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月26日閲覧。
  8. ^ 神吉宏充七段が引退|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月26日閲覧。
  9. ^ 神戸新聞NEXT|姫路|プロ棋士が指導する将棋教室オープン 姫路で初”. www.kobe-np.co.jp. 2018年9月11日閲覧。
  10. ^ プロ棋士神吉七段の大逆転将棋倶楽部|日本将棋連盟」『』。2018年9月11日閲覧。
  11. ^ 先崎学著「フフフの歩」中の「おそろしくも優雅な日々」より
  12. ^ 2001年5月「神吉宏充六段、結婚」(日本将棋連盟)
  13. ^ 2001年11月「神吉宏充六段に長男誕生」(日本将棋連盟)
  14. ^ a b 酎ハイを55杯も…神吉宏充七段「将棋と酒は生活の両輪」 - 日刊ゲンダイ・2017年1月16日
  15. ^ 田丸昇公式ブログ と金横歩き 2011年8月20日付の記事による。
  16. ^ 「将棋の日・次の一手名人戦」で優勝してしまった棋士 - 将棋ペンクラブログ・2016年12月25日
  17. ^ 将棋世界 1988年5月号 p.104
  18. ^ 2010年4月1日付昇段・昇級者|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月26日閲覧。
  19. ^ 【叡王戦記念特番】東西対抗 詰将棋カラオケ”. ニコニコ生放送 (2019年3月30日). 2020年3月21日閲覧。






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