王政復古
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/25 03:54 UTC 版)
旧王族が権威・権力を再度得た例
政体としての王政復古に至らないが、旧王族が権威または権力を再度得た事例に、以下がある。
- ルーマニア国王 ミハイ1世
- 1927年に即位、王位継承権を放棄していた父の帰国により、1930年に退位。1940年に復位したが実権を行使できず、第二次世界大戦には枢軸国側で参戦したため、ソ連の占領を免れず、ルーマニア社会主義共和国の成立に際し、1947年12月に退位し亡命した。亡命中にブルボン=パルマ家のアンヌ・アントワネットと婚姻し、個人的に西側諸国王室との人脈を築く。共産党政権崩壊後の1997年に市民権を得、2001年からは共和国政府により住居や生活費の保証を受けるとともに、公式に「陛下」の敬称で呼ばれた。2017年に逝去。
- ブルガリア国王 シメオン2世
- 第二次世界大戦中の1943年に即位、1946年にブルガリア人民共和国成立に際し、国外へ亡命。共産党政権崩壊後の1996年に帰国し、2001年から2005年までブルガリア共和国首相に就任した。
王政復古の動き
ポルトガル
ジョアン4世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アフォンソ6世 | ペドロ2世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジョアン5世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジョゼ1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マリア1世 | ペドロ3世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジョアン6世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ペドロ4世 (ブラジル皇帝ペドロ1世) | ミゲル1世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(ザクセン=コーブルク=ゴータ家) フェルナンド2世 | マリア2世 | (ブラジル皇帝) ペドロ2世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
ペドロ5世 | ルイス1世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
カルロス1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ルイス・フィリペ | マヌエル2世 | マリア・フランシスカ | ドゥアルテ・ヌノ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
ドゥアルテ・ピオ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ポルトガル王国(ブラガンサ王朝)では、1826年にジョアン6世が崩御すると、実質的な長男であったブラジル皇帝ペドロ1世が継承権を持ったが、彼は王位を辞退し、娘のマリア王女を王位につけようとした。そのため、ペドロ1世の弟であるミゲル1世と対立し、1828年にポルトガル内戦が勃発した。最終的にミゲル1世が敗北し1834年に追放された。以後、女王マリア2世の子孫が王位に就いていたが、1910年に王政が廃止され、追放された。最後の国王マヌエル2世には、子孫はいない。
こうした経緯から、王政復古支持者もミゲル1世の子孫を支持するミゲリスタと、ブラジル皇帝ペドロ1世の子孫を支持する立憲派に分裂していた。しかし、ミゲル1世の孫ドゥアルテ・ヌノ・デ・ブラガンサは、マヌエル2世から立憲派王位請求者の地位を引き継ぎ、さらにブラジル皇帝ペドロ1世の子孫であるマリア・フランシスカと婚姻したことから、ブラガンサ家の王位請求者はドゥアルテ・ヌノ次いで、その子であるドゥアルテ・ピオ・デ・ブラガンサに一本化されている。
1950年になって、ポルトガル共和国は1834年と1910年の追放令を撤回し、ドゥアルテ・ピオの帰国が叶った。2019年、ポルトガル議会に、ドゥアルテ・ピオに国家の儀礼的代表の地位を与える法律案が提出された[4] 。
ブラジル
ブラジルは、過去、帝国だった。最後の皇帝ペドロ2世の子孫は、今でもブラジル国内に住んでおり、ブラジル国民の中には、ペドロ2世の子孫の皇位復活運動を展開している者もいる。保守傾向の社会民主党議員の中にも、帝政復活を支持する議員がいる。1993年、ブラジルでは統治形態に関する国民投票が行われ、3分の2が共和制を選択する一方、13.2%は君主制を選択した[5]。2018年現在のブラジル帝室の長はペドロ・カルルシュである。
脚注
- ^ a b 世界大百科事典 王政復古 (コトバンク)
- ^ 百科事典マイペディア 建武新政 (コトバンク)
- ^ a b c 百科事典マイペディア 王政復古 (日本) (コトバンク)
- ^ Espada, Maria Henrique (2019年6月19日). “D. Duarte tem direito a lugar no protocolo de Estado? Ainda falta muito… [Does Dom Duarte have the right to a place in the protocol of the state? Still a long way to go...]” (ポルトガル語). Sábado 2020年11月23日閲覧。
- ^ PAUL KIERNAN (2016年6月26日). “ブラジル、混乱解決の切り札は「王制復活」?”. ウォール・ストリート・ジャーナル 2020年10月12日閲覧。
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