水野和敏 水野和敏の概要

水野和敏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/09 03:40 UTC 版)

代表作である日産・GT-R

来歴・人物

長野県に生まれる。長野工業高等専門学校を卒業した後1972年に日産自動車に入社し、1980年代に車体設計やパッケージング設計の面で901運動に関わり、その成果となるプリメーラ(P10)スカイライン(R32)の開発では車両のパッケージング設計を担当した[1]1989年にはNISMOに出向し、グループCカーの耐久レースのチーム監督兼チーフエンジニアに就任しデイトナ24時間レースル・マン24時間レースなどを戦い、特に1992年にはR91CPでデイトナ24時間レースを優勝、R92CPで出場したJSPC鈴鹿1000kmで全戦優勝(クラス優勝も含む)している。1993年に車両設計課長として車両開発センターに復帰し、1997年からFR-Lプラットフォームの開発責任者となり、2000年から車両開発主管(チーフ・ビークル・エンジニア、CVE)としてスカイライン(V35)フェアレディZ(Z33)FX(FX35)等の開発に携わった。

この頃の日産社内にはGT-Rを開発する方針があったが、社内では既存のFR-Lプラットフォームの延長でGT-Rを開発する意見が大勢を占めていたため、水野は「それでは日産のフラッグシップたり得ない」と開発責任者の就任を固辞していた。しかし2003年12月に社長のカルロス・ゴーンから「ミスターGT-R」としてGT-Rの開発と販売における全権が委任され、GT-Rのチーフ・ビークル・エンジニア(CVE、車両開発主管)兼チーフ・プロダクト・スペシャリスト(CPS、商品企画立案責任者)兼プログラム・ダイレクター(PD、収益・販売目標達成責任者)に任命された。GT-Rの開発と販売においてはゴーン就任以降に定着した従来の1車種3トップ制ではなく、例外的に水野に権限が集約する1トップ制が採られ、社長の直轄プロジェクトとしてゴーンと水野が直接繋がる異例の人事体制となった。そしてGT-Rには以前から水野が構想していたPMプラットフォームを採用することにした。GT-Rはイヤーモデル制を採っており、毎年新モデルが販売されるたびにニュルブルクリンクでのタイムアタックを行ってラップタイムを更新しており、テストドライバーには鈴木利男を起用していた。

ニュルブルクリンクでのテスト開発は日産社内から、水野への強烈なバッシングがあった。(日産社内の意向は国内の日産のサーキットでテストすることが当たり前だと言う古い風潮があったからである)

「R35」GT-Rから、長年、日本人に慕われた「スカイライン」のブランド名は外された。水野がGT-Rと言うブランドをグローバル展開するための表明、水野和敏のエンジニアとしての自信の表れである。

水野の明快で饒舌な自動車開発に対する語り口は、時には「水野節」や「水野劇場」と呼ばれることもあり[2]、例えば、車両の軽量化や静的な車両重量バランスにばかりにこだわる自動車ジャーナリストの評論を厳しく批判しており、自らが提唱する「最適重量理論」に基づいて競合他車と比べて車重の重いGT-Rを開発している[3]。またGT-Rの年次モデルの記者発表会では、最前列に座った記者に対し「なぜ車重が1.7tなのか?」「20インチのホイールを採用した理由は?」など質問攻めにするのが恒例だったという[4]

2012年3月末に日産を定年退職し、その後は1年毎に契約を更新する嘱託職員の立場で日産に勤務していたが、「後進に道を譲る」ことを社から求められ、2013年3月末に退職した[5]。水野によれば、自身の自動車エンジニアリングに関する構想を実現して、GT-Rに続く日本のナショナルブランドとなるような自動車を開発することを望んでおり、レクサスのような技術・資金力がある組織で、GT-Rと同じような体制で開発できるならば、3年で日本のナショナルブランドとなるスーパーカーの開発を実現できるという[6]

日産自動車退社後は、講談社が発行するベストカーのコーナー「水野和敏が最新車を斬る!!」において国内・海外メーカー各車の評価をする一方で、鈴木利男が運営するノルドリンク[7]をサポート。但し、GT-Rのサポート対象は水野と鈴木が開発に携わった2013モデルまでとしている[8]。また、フォレスト出版が主催する『生きる力』セミナーで講師を務めるなど、各所で講演を行っている。

2014年には台湾LUXGEN」ブランドの自動車の開発企業の華創車電技術中心(HAITEC、裕隆グループ傘下)の副社長に就任し、2019年11月に退社したが、就任~退職後もベストカーでの評価・掲載は続けている[9]

著書

  • 『プロジェクトGT‐R―知られざる成功の真実』(双葉社2009年2月)のち『プロジェクトGT-R 常識はずれの仕事術』へ改題、双葉新書
  • 『バカになれ! カリスマ・エンジニア「ゼロからの発想術」』(文藝春秋2014年11月



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