水木襄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/24 03:30 UTC 版)
みずき じょう 水木 襄 | |||||
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本名 | 石川 良昭 | ||||
生年月日 | 1938年3月11日 | ||||
没年月日 | 1991年 | ||||
出生地 | 日本・東京府東京市(現・東京都) | ||||
身長 | 170 cm[1] | ||||
職業 | 俳優・歌手 | ||||
ジャンル | 映画・テレビドラマ | ||||
主な作品 | |||||
映画 『母子草』 『スピード狂時代 命を賭けて』 『故郷は緑なりき』 『真田風雲録』 テレビドラマ 『忍者部隊月光』 『特別機動捜査隊』 『緊急指令10-4・10-10』 『魔人ハンター ミツルギ』 | |||||
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東京市生まれ[2][4]。明治学院大学卒業[1]。エヌ・エー・シーに所属していた[1]。
来歴
大学時代の友人が女優の木暮実千代の親戚である関係から、木暮と知り合いとなり[4][5]、1958年に木暮の推薦で東映ニューフェイス4期生として東映へ入社[6][4]。同期には佐久間良子・室田日出男・曽根晴美・花園ひろみ・山口洋子・山城新伍らがいた。
同年、本名のまま、中村賀津雄(現・中村嘉葎雄)主演、マキノ雅弘監督による『不敵なる反抗』に、チンピラ・ゴンチャン役でデビュー[5]。以後、中村主演の一連の社会派不良少年物に助演した後、芸名を「水木 襄」と改め、山村聰監督の『母子草』に田中絹代の息子役で出演。純真で気性のしっかりした少年を演じる。また、『スピード狂時代 命を賭けて』で、木暮実千代の息子に扮し、オートバイにとりつかれた高校生の役で主演、1959年度エランドール賞 新人賞を受賞[2]。
その後はアクション映画に愚連隊やチンピラ役で主演する一方、佐久間良子とのコンビで純愛映画に主演[2]。60年代半ばからはスクリーンから遠ざかり、1964年テレビ映画『忍者部隊月光』に主演、同年に東映を退社する[4]。
『月光』以降は、テレビを中心に活動し、特撮ドラマ『緊急指令10-4・10-10』『魔人ハンター ミツルギ』や、長寿ドラマ『特別機動捜査隊』に水木刑事役(主に三船班)としてレギュラー出演した後、第一線から姿を消す。また、歌手として数枚のシングルをリリースしていた。
引退後は、八戸市内の高級クラブ『貴族院』の支配人[6]、東映が経営するホテルの支配人、不動産会社の営業部長、スナック経営をしていたが、1991年に自殺を図り、53歳で死去。遺体の発見された自宅には、自身の出演した作品のポスター等が所狭しと飾られていたという[3][6]。
人物
デビュー当時の紹介記事では「親戚が日活に所属していたことがあるので、大変であることは知っていました。こんなに早くデビューできるとは思ってませんでした」と述べている[5]。
『月光』出演当時のプロフィールでは、「子供の夢を壊さないことを心がけており、普段のマナーに気を付けています」と述べている[4]。
『月光』に第111話よりレギュラー出演した山本正明とは、行きつけのとんかつ店が一緒だったことから『月光』で共演する前から親交があった。山本は、水木について「スターだったけど、すごく人柄もよくてスタッフから慕われていた。その一方で俳優としての努力も怠らなかった」と述懐している[7]。
注釈
出典
- ^ a b c d e f 『日本タレント名鑑'73』VIPタイムズ社、1972年、128頁。
- ^ a b c d e 『日本映画俳優全集・男優編』キネマ旬報社、1979年、556頁。
- ^ a b 『デーリー東北新聞』2010年9月14日(火)付
- ^ a b c d e f g 『福島民報』1966年8月9日付朝刊、10面。
- ^ a b c 『福島民報』1958年4月6日付朝刊、3面。
- ^ a b c 石橋春海「水木襄 再録インタビューとその後(ミリオン出版「ズームイン」1985年4月号より再録)」『'60年代 蘇る昭和特撮ヒーロー』コスミック出版〈COSMIC MOOK〉、2013年12月5日、84-85頁。ISBN 978-4-7747-5853-4。
- ^ 『宇宙船』Vol.131、ホビージャパン、2011年1月11日、117頁、ISBN 978-4798601724。
- ^ “安寿と厨子王丸”. メディア芸術データベース. 2016年10月29日閲覧。
- ^ 『福島民報』1976年8月22日付朝刊、10面。
固有名詞の分類
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