正覚寺 (福岡市) 歴史

正覚寺 (福岡市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/20 09:37 UTC 版)

歴史

伝承によれば、正覚寺は、天平年間(729年749年)西域(中央アジア)の僧清賀上人が白椿千手観音像を刻み一庵を結んだことが始まりと云われる。清賀上人が椿の実から油を搾る燈油製法を伝えたとされることから油山、油山観音の語の由来ともなった。当初は泉福寺と号した。

その後は勅によって720坊、七堂伽藍、付近一帯12万石余の寺禄という興隆をみたとも伝えられるが、戦国時代天正年間(1573年1592年)に龍造寺隆信の兵火にあい焼失する。その後元禄期に観音堂・客殿・鐘楼堂・庫裏などの諸堂宇が再建され、それに伴い元禄7年(1694年)に正覚寺と改められた。前述のとおり、宗教法人名は油山観音となっている。

本堂に安置された木造聖観音坐像は山岳信仰の対象で、1906年(明治39年)に重要文化財(旧国宝)に指定された。2009年(平成21年)10月4日に盗難に遭ったが[2]、3か月後の2009年12月に発見された。福岡県内の重要文化財が盗まれたのはこれが初めてである。残された靴跡から犯人は複数であり、本堂の南京錠を切断して盗み出したと推定されている[3]

境内には1994年(平成6年)に建立された「ひばり観音堂」があり、これは歌手の美空ひばりをまつったものである。

毎年2月1日には「油山粥開き」が行なわれている。小正月から15日間、本堂に放置された小豆粥の状態により、その年の気象や作柄を占う行事である[4]

文化財

重要文化財(国指定)

木造聖観音坐像
  • 木造聖観音坐像 - 像高約78cm、漆箔 南北朝時代作と推定

交通アクセス

  • 地下鉄七隈線福大前駅下車、徒歩30分
  • バス:西鉄バス 油山団地口バス停下車、徒歩20分
  • 自動車:福岡市天神より、車で30分(無料駐車場あり)

脚注

[脚注の使い方]

  1. ^ 油山観音(正覚寺)(福岡市の文化財)”. 福岡市経済観光文化局. 2019年12月8日閲覧。
  2. ^ 国重文の仏像盗難 福岡市の油山観音 扉の錠 工具で切断か”. 西日本新聞 (2009年10月5日). 2009年10月13日閲覧。
  3. ^ 福岡の観音像盗難現場に2人分足跡、複数犯か”. YOMIURI ONLINE(読売新聞) (2009年10月9日). 2009年10月13日閲覧。
  4. ^ 今年の作柄は「上の中」 福岡の油山観音で伝統行事「粥開き」”. 中外日報 (2008年2月5日). 2009年10月13日閲覧。


「正覚寺 (福岡市)」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「正覚寺 (福岡市)」の関連用語

正覚寺 (福岡市)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



正覚寺 (福岡市)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの正覚寺 (福岡市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS