森永ヒ素ミルク中毒事件 裁判関係書類の遺失

森永ヒ素ミルク中毒事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/27 18:01 UTC 版)

裁判関係書類の遺失

2013年2月20日、厚生労働省職員が帰宅途中に、事件に関連する裁判資料を、東京メトロ丸ノ内線内で遺失した[16]。原告等3名と被告関係者10名の氏名・住所等の他、被害者13,432名のうち1979年に森永ひ素ミルク飲用者証明書を交付された455名について、当時の氏名と居住市町村が記載されたリストが含まれていた[16]。同省は当該職員と上司に対して文書による厳重注意等を行い、被害者らに謝罪した[16]

他の事件への波及

グリコ・森永事件
1984年グリコ・森永事件では、読売新聞社週刊読売編集部)への挑戦状で、森永乳業と関係が深い森永製菓をターゲットにした理由が「森永 まえに ひそで どくの こわさ よお わかっとるや ないか」と記載されており、ヒ素ミルク事件が遠因になったことを示唆している。

脚注

参考文献

  • 第24回自治体に働く保健婦のつどい実行委員会編『私憤から公憤への軌跡に学ぶ 森永ひ素ミルク中毒事件に見る公衆衛生の原点』せせらぎ出版、1993年1月、ISBN 4915655415
  • 滝川恵清、1972、『十七年目の訪問 森永ヒ素ミルク中毒の子どもたち 滝川恵清写真集』、柏樹社 NCID BN12995882
  • 田中昌人、北条博厚、山下節義編『森永ヒ素ミルク中毒事件 京都からの報告』ミネルヴァ書房、1973年
  • 長谷川集平『はせがわくんきらいや』すばる書房、1984年3月 / ブッキング、2003年7月、ISBN 4835440587、(絵本)
  • ひかり協会編 編『ひかり協会10年の歩み : 恒久救済の道を求めて』ひかり協会、1985年3月。 NCID BN05458409 (非売品)
    • 協会前史年表・協会史年表: p291 - 324
  • 森永ミルク中毒事後調査の会編『14年目の訪問 森永ひ素ミルク中毒追跡調査の記録』(復刻版)、せせらぎ出版、1988年6月、ISBN 4915655164
  • 森永砒素ミルク闘争二十年史編集委員会編『森永砒素ミルク闘争二十年史』医事薬業新報社、1977年2月
    • 森永砒素ミルク中毒事件関係資料・森永砒素ミルク闘争二十年史年表: p.343 - 380
  • 森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会編『守る会運動の歴史から「三者会談方式」を学ぶ 守る会運動の歴史学習版』森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会、1991年6月、(非売品)
    • 事件史年表: p123 - 164
  • 森永ヒ素ミルク中毒「被害者」の会編『太陽の会の歩み17年 事業と運動の発展をめざして 解散記念文集』太陽の会、1988年10月、(非売品)
  • 吉田一法著『エンゼルの青春 森永ヒ素ミルク中毒事件被災児の記録 吉田一法写真集』草土文化、1973年

関連項目


注釈

  1. ^
    「大阪の府庁を通じてこの松野製薬なるものを調べたわけでございます。そうしましたら、その返事といたしまして、これは医薬品の製造会社ではない。工業薬品のメーカーであるという返事が参ったわけでございます。」 — 昭和45年8月11日、参議院社会労働委員会で藤原道子の質問に厚生省の加藤成二が答弁

出典

  1. ^ a b c 朝日新聞1955年8月28日『徳島工場だけで使用 森永発表』森永乳業徳島工場での粉ミルク製造過程のヒ素混入の経緯は、粉ミルクの品質安定に「第二燐酸ソーダ」を使用していたが、外部業者が、食用に適さない粗悪な「第二燐酸ソーダ」を徳島工場に納入し、その中に不純物のヒ素が混入していた。そして、徳島工場は、適切な「第二燐酸ソーダ」であるかを検査をせずに使用し、このずさんな安全管理が事件を招いた。
  2. ^ 『森永乳業五十年史』森永乳業、1967年9月。 
  3. ^ 中島貴子(2013), 科学技術のリスク評価における非専門家の役割 -森永ヒ素粉乳中毒事件を中心に-, 政策研究大学院大学博士論文”. 2022年5月8日閲覧。
  4. ^ a b c d 47NEWS (2022年5月25日). “「あの時、ヒ素入りミルクを飲まなかったらどんな人生が...」 夢も幸せも奪われた私は、こうして67年越しの提訴に踏み切った | 47NEWS”. 47NEWS. 2024年4月7日閲覧。
  5. ^ 岡崎哲夫著「民事訴訟の展開と不売買運動─たたかいの実情─」『森永砒素ミルク闘争二十年史』医事薬業新報社、1977年2月 p148-153
  6. ^ 岡崎哲夫著「三者会談の開始と財団法人ひかり協会の設立─ひかり協会の設立をめぐる諸状況─」『森永砒素ミルク闘争二十年史』医事薬業新報社、1977年2月 p156-157
  7. ^ 東海林吉郎/菅井益郎著「砒素ミルク中毒事件」『技術と産業公害』宇井純編、国際連合大学、1985年
  8. ^ “森永ヒ素ミルク事件の徳島工場、閉鎖へ”. 読売新聞. (2011年1月26日). http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110126-OYT1T00819.htm 2011年1月26日閲覧。 
  9. ^ 朝日新聞2011年10月01日朝刊 工場は閉じる。教訓は残す 乳児130人死亡、森永ヒ素ミルク事件
  10. ^ 2003.6.25付山陽新聞報道
  11. ^ 2003年6月24日の岡山県における人権救済申し立て事件(岡弁庶第33-1号)及び、2003年7月8日の広島県における人権救済申し立て事件(広弁第57号)
    2003年6月25日付読売新聞岡山版報道
  12. ^ ヒ素ミルクで森永乳業提訴 慰謝料求め、脳性まひの女性―大阪地裁時事通信]”. jiji.com. 時事通信 (2022年5月25日). 2022年5月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月22日閲覧。
  13. ^ ヒ素ミルク 未開封缶とカルテ現存 岡山大保管 教訓伝える貴重な史料”. 山陽新聞デジタル. 山陽新聞 (2023年3月21日). 2023年3月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。20230-03-22閲覧。
  14. ^ 森永ヒ素ミルク事件の「未開封缶」を全国初確認 17日から一般公開 岡山大学」『瀬戸内海放送』、2023年4月14日。2023年4月25日閲覧。
  15. ^ 瀬戸内海放送 (14 April 2023). 森永ヒ素ミルク事件の「未開封缶」を全国初確認 17日から一般公開 岡山大学. YouTube. 2023年4月25日閲覧
  16. ^ a b c 森永ひ素ミルク中毒事件について 厚生労働省


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