森永ヒ素ミルク中毒事件
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外部リンク
- 森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会
- 森永ヒ素ミルク中毒事件 資料館(※本記事の内容が森永に都合よく改竄されていると主張しており、内容も記録している)
- 公益財団法人ひかり協会
- 森永ヒ素ミルク中毒事件 - NHK放送史
- ひかり協会救済事業監視塔 - 閉鎖(2013年10月30日時点のアーカイブ)
- “森永ひ素ミルク中毒事件について”. 厚生労働省. 2016年3月31日閲覧。
- 森永ヒ素ミルク事件50年(山陽新聞)
- 森永牛乳・森永乳業株式会社 <4>砒素ミルク事件・堕天使時代の森永/都下学校給食の撤退
- 『ヒ素ミルク事件』 - コトバンク
- 『森永砒素ミルク事件』 - コトバンク
注釈
出典
- ^ a b c 朝日新聞1955年8月28日『徳島工場だけで使用 森永発表』森永乳業徳島工場での粉ミルク製造過程のヒ素混入の経緯は、粉ミルクの品質安定に「第二燐酸ソーダ」を使用していたが、外部業者が、食用に適さない粗悪な「第二燐酸ソーダ」を徳島工場に納入し、その中に不純物のヒ素が混入していた。そして、徳島工場は、適切な「第二燐酸ソーダ」であるかを検査をせずに使用し、このずさんな安全管理が事件を招いた。
- ^ 『森永乳業五十年史』森永乳業、1967年9月。
- ^ “中島貴子(2013), 科学技術のリスク評価における非専門家の役割 -森永ヒ素粉乳中毒事件を中心に-, 政策研究大学院大学博士論文”. 2022年5月8日閲覧。
- ^ a b c d 47NEWS (2022年5月25日). “「あの時、ヒ素入りミルクを飲まなかったらどんな人生が...」 夢も幸せも奪われた私は、こうして67年越しの提訴に踏み切った | 47NEWS”. 47NEWS. 2024年4月7日閲覧。
- ^ 岡崎哲夫著「民事訴訟の展開と不売買運動─たたかいの実情─」『森永砒素ミルク闘争二十年史』医事薬業新報社、1977年2月 p148-153
- ^ 岡崎哲夫著「三者会談の開始と財団法人ひかり協会の設立─ひかり協会の設立をめぐる諸状況─」『森永砒素ミルク闘争二十年史』医事薬業新報社、1977年2月 p156-157
- ^ 東海林吉郎/菅井益郎著「砒素ミルク中毒事件」『技術と産業公害』宇井純編、国際連合大学、1985年
- ^ “森永ヒ素ミルク事件の徳島工場、閉鎖へ”. 読売新聞. (2011年1月26日) 2011年1月26日閲覧。
- ^ 朝日新聞2011年10月01日朝刊 工場は閉じる。教訓は残す 乳児130人死亡、森永ヒ素ミルク事件
- ^ 2003.6.25付山陽新聞報道
- ^ 2003年6月24日の岡山県における人権救済申し立て事件(岡弁庶第33-1号)及び、2003年7月8日の広島県における人権救済申し立て事件(広弁第57号)
2003年6月25日付読売新聞岡山版報道 - ^ “ヒ素ミルクで森永乳業提訴 慰謝料求め、脳性まひの女性―大阪地裁時事通信]”. jiji.com. 時事通信 (2022年5月25日). 2022年5月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月22日閲覧。
- ^ “ヒ素ミルク 未開封缶とカルテ現存 岡山大保管 教訓伝える貴重な史料”. 山陽新聞デジタル. 山陽新聞 (2023年3月21日). 2023年3月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。20230-03-22閲覧。
- ^ 「森永ヒ素ミルク事件の「未開封缶」を全国初確認 17日から一般公開 岡山大学」『瀬戸内海放送』、2023年4月14日。2023年4月25日閲覧。
- ^ 瀬戸内海放送 (14 April 2023). 森永ヒ素ミルク事件の「未開封缶」を全国初確認 17日から一般公開 岡山大学. YouTube. 2023年4月25日閲覧。
- ^ a b c 森永ひ素ミルク中毒事件について 厚生労働省
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