木村庄之助 (29代) 軍配

木村庄之助 (29代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/19 23:47 UTC 版)

軍配

  • 幕内格初期の頃までは木目基調の軍配を使用、9代式守錦太夫を襲名後、黒漆塗りの「中道実相」と記された軍配を使用。(この軍配は後に式守錦太夫の譲り団扇となる。)他にも黒漆無地の軍配を時々使用。
  • 28代式守伊之助昇格直前に、「平常心」と記された軍配を用いるようになり、その後、立行司在任中、東京場所では主に千秋楽のみ(譲り団扇を使うため使用しないこともあった)、地方場所では15日間通しで使用していた(地方場所では、時々別の軍配を使用することもあった)。また、ほんの一時期ではあるが軍配の表面「平常心」が書かれた面を裏面として使用していた時期もあった。
  • 29代木村庄之助昇格後は、東京場所で代々庄之助に伝わる譲り団扇を交互に使用していた(期間は特にきまっていない)。

その他

  • 入門後すぐにホームシックで故郷に逃げ帰ったが、近所の人に連れ戻され、実家へ帰りつくことはできなかった[2]
  • 武双山が勝った取り組みにおいて、勝ち名乗りをあげる際に誤って「武蔵丸」と言ってしまい、直後に気づいて「武双山」と言い直したことがある。
  • 立行司昇格レースで3代善之輔改め29代伊之助を抜いた形になったが、29代庄之助の方が1年先輩であり、元々は番付も29代庄之助の方が上位だった。学年は本来ならば29代庄之助と29代伊之助とは同学年だったが、義務教育の終了が29代庄之助は本来より1年遅れた為にまだ幕下以下の行司だった時に29代伊之助(他にも十両格昇格前後で廃業した行司が3、4人いた)と番付が入れ替わることになり、以降は三役格での立行司昇格レースまで29代伊之助の方が上位となっていた。その為、正確には29代伊之助を抜いたというよりは新弟子時代の元の序列に戻ったというのが正しい。また、29代庄之助は29代伊之助が序列が上位になった際に協会から「資格者になったら元に戻す」と言われた様だが、結局は29代庄之助が伊之助に昇格するまで約40年元には戻らなかった。
  • 郷土は相撲処として有名で29代庄之助自身も強力な後援会に恵まれていたため、下手な幕内力士よりも経済的には恵まれていた。

履歴


  1. ^ 中村豊(1995) 「第一項 桜井 春芳」 『宇多の松原 岸本小学校創立百二十周年記念誌』、pp.181-184、香我美町立岸本小学校。
  2. ^ 櫻井春芳(1995)「岸本小学校と高井先生との出会い」 『宇多の松原 岸本小学校創立百二十周年記念誌』、pp.269-270、香我美町立岸本小学校。





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