朝鮮美術 陶芸

朝鮮美術

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/03 18:12 UTC 版)

陶芸

紀元前8000年から1500年頃に櫛目文土器、紀元前1500年から300年頃に無文土器が作られたが、日本の縄文土器のような美術的価値のあるものは存在しない[2]。10〜14世紀には中国のまねをして独自に発展させた高麗青磁が作られた。15世紀には儒教の影響から粉青沙器に変わり、16〜19世紀には李朝白磁に変わった。

中国の流行にやや遅れて忠実に踏襲することが多い[2]

金工

漆工

中国から螺鈿が伝わり、高麗で少数製作された。現存するのは盒と経箱で14例のみ。朝鮮半島には1つだけしか残っておらず、大部分が日本と欧米にある[2]

建築

世界遺産になっている仏国寺には、新羅時代の石塔である釈迦塔と多宝塔が残されている。現存する朝鮮最古の木造建築としては、浮石寺の無量寿殿[4]鳳停寺極楽殿[2]などがあげられており、いずれも建立年代ははっきりしないが13世紀頃と思われる。なお、仏教弾圧により廃寺となり荒廃していた仏国寺であるが、日本統治時代に再建された経緯がある。

美術館

朝鮮総督府は、1915年に総督府博物館を開館し、1926年に慶州分館、1939年に扶余分館、1940年に公州分館を設立した。これが現在の韓国国立中央博物館となっている。1931年には開城府立博物館、1933年には平壌府立博物館も開館した。民間でも1924年に浅川巧浅川伯教、柳宗悦ら日本人が朝鮮民族美術館を設立した。

日本

朝鮮民主主義人民共和国

大韓民国

美術展

日本統治時代の1922〜1944年に毎年、朝鮮総督府朝鮮美術展覧会を開き、新人芸術家の登竜門としての役割を果たした。これが大韓民国の大韓民国美術展覧会に受け継がれた。


  1. ^ a b 「美術」 朝鮮を知る事典 新訂増補版 平凡社 2000年
  2. ^ a b c d e 「高句麗・百済・新羅・高麗」(世界美術大全集 東洋編 第10巻) 小学館 1998年7月
  3. ^ 「単色のリズム・韓国の抽象」展~戦後の陰に生まれた独自性 朝日新聞 2017年10月24日
  4. ^ a b 朝鮮美術 日本大百科全書 小学館
  5. ^ 水野 2016, p. 1.
  6. ^ 水野 2016, p. 163.


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