朝鮮文学 日本統治終了後の朝鮮文学

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朝鮮文学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/04 03:51 UTC 版)

日本統治終了後の朝鮮文学

韓国の文学

1970年代は若い新人たちの輝かしい活動が断然脚光を浴びるようになった。小説分野では崔仁浩黄晳暎趙海一趙善作など多くの若い作家たちが続々と登場した。いわゆる70年代作家と呼ばれる人々は多数の読者を得る新聞小説も席捲した。このようにして出た崔仁浩の『星たちの故郷』、趙海一の『冬の女』などは空前のベストセラーになって一種の小説黄金時代を謳歌した。

しかしこのような作品傾向に対してその商業主義文学としての病幤を指摘する批判の声が高まり、一方では産業社会の到来とともにその病理的な面を作品を通じて表現した趙世煕の短編集が珍しく多くの読者を得るベストセラーになった。また黄晳暎は工事現場の労使関係を扱った『客地』や南北分断の悲劇を作品化した『韓氏年代記』などを発表した。

金芝河

1970年代の詩界では維新体制と暗い政治状況の下で詩人金芝河が発表した『五賊』が筆禍事件となって国際的な議論を投げかけた。この外にも詩人としては鄭鎭圭鄭玄宗・朴利道・李昇薫などを挙げることができる。これらの作品は現代詩の新しい変貌を示す先駆的な役割を果たした。1980年代に入って小説のなかで大きな流れを形成するようになったのはそれまでほとんど見られなかった大河小説の登場だ。これが読者にも大きい反響を得るようになったが、その代表的な作品として黄晳暎の歴史小説『張吉山』と趙廷来の『太白山脈』などを挙げることができる。とくに『太白山脈』は韓国出版史上最大の売れ行きとなった。

この他、李文烈の長編『英雄時代』も文壇の注目を引き、その後彼は1990年代にかけて旺盛な作品活動をしている。詩の分野では李晟馥黄芝雨・崔勝子・金光圭などが注目を集める作品活動をした。1990年代に入って多くの商業主義的な小説が現われて読者を惑わす傾向もあったが、朴景利の大河小説『土地』が25年にも渡る執筆期間を経て完成されたことは意味深い。

さらに作家・洪盛原1960年代に登壇した後1990年代に至るまで『モンドング』『月と刀』などの大作を発表している。また申京淑孔枝泳などの若い女流作家たちの活動も著しい。70年代以後著しい作品活動をして来た高銀が「万人譜」「白頭山」などの長詩を完成し、1930年代に詩壇に出た徐廷柱が初詩集『花蛇集』以後引き続き作品を書いている。女流詩人たちも洪允淑金南祚・金芝郷・千良姫などが1950年代以降、詩作品のたゆまぬ発表を続けている。

1980年代には民主的で平等な国家を作るための闘争的な色合いの濃い作品が多く登場した。これは言うまでもなく386世代の登場と関連しており、日本でかつて流行した新左翼のムーヴメントと似た傾向を持っていたため、批評空間のような文芸批評誌が80年代の韓国文学に注目したことがある。朴労解のような、反権力的な詩が発展したのも韓国文学の一つの特徴である。(朴は1991年に国家保安法違反嫌疑で捕まったが、1998年特赦された。)

1990年代に入るとペ・スアのような村上春樹吉本ばななに影響を受けた若い作家達が登場した。他方、若い時代を民主化運動に費やしたことへの喪失感を表現する作品も多く発表された。90年代以降の韓国文学は日本文学の影響を大きく受けており、今後、日本文化開放と共に一気に韓国に流入してきた在日朝鮮人文学ライトノベルからの影響も無視できない。

なお、純文学ではないが、1990年代のベストセラーとしては李恩成(1937年~1988年)の『小説・東医宝鑑』(1990年)が300万部発売で『太白山脈』を上回る史上最高記録を更新し、金辰明(1957年~)の『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』(1993年)も200万部以上を売った。これらはいずれも日本語訳が出ている。

北朝鮮の文学

1945年8月、朝鮮が日本統治終了を迎えると、38度線以北では金日成を中心とする抗日パルチザン闘士達が政権を形作る。文学もまた彼ら「抗日パルチザン」を形象化していくことを第一とした。

日本統治終了直後から自然発生的に文学・芸術団体が各地域で結成されていたのを、1946年2月、朝鮮労働党は「北朝鮮文学芸術総同盟」として単一組織にまとめた。その綱領の中で帝国主義、資本主義を排斥すると同時に人民民衆の啓蒙とソ連を中心とする西側諸国との文化の交流を目的とすることを定め、文士のプロレタリア主義思想を養成する。

日本統治終了後の詩文学では趙基天の「白頭山」、小説では李箕永の「蘇える大地 ()」が代表的である。その他にも「KAPF」の同人である朴世永朴八陽、宋影、また中国から帰国した金史良などが作品を執筆している。1950年6月25日朝鮮戦争が勃発しても文士の筆は止まることなく、地下印刷工場が作られて雑誌や文庫が発行され、その作品の数は3千を越えるとも言われている。金朝奎、崔石斗、李秉哲、閔丙均、朴雄杰、千世鳳、尹世重、李北鳴などはこの時期に執筆した文士である。その作品の多くはルポルタージュであった。こうした文壇の流れの中で、朝鮮戦争のさなか、日本統治終了前の作家達の多くが死亡、若い作家達が台頭し、北朝鮮文壇は大きな転換をする。

朝鮮戦争が休戦を迎え政治が落ち着くと、文壇にも優れた文学が登場するようになる。李箕永の長篇『豆満江』が1954年にその第1部が発表されたことは北朝鮮文学の真の始まりを印象付けるものである。その他に千世鳳の『ソッケウルの新春 (석개울의 새 봄)』(1958-65年)、尹世重の『試練の中で (시련 속에서)』(1957年)、黄健の『ケマ高原 (개마고원)』(1956年)などがこの時期の代表作である。

1960年代後半に入ると、北朝鮮文壇に変化が起きる。それ以前からも文学の中に登場していた金日成がこの時期以降から文学作品の中に頻繁に登場しだした。祖国解放闘争の指導者として、または社会主義朝鮮建設の指導者として金日成の形象化が成されはじめたのだ。よってこの時期より北朝鮮文学を「主体文学」とも呼ぶようになる。だが一方で、女性問題、社会問題、恋愛を主題とした作品が80年代以降顕著になっていることも事実である。 白南龍の小説『友』は、北朝鮮の芸術団で声楽家として活動している若い女性が離婚訴訟を起こすストーリーを描いたもので、1988年の発表後、北朝鮮でベストセラーになり、ドラマ化もされています[2]







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