日本の陣形史 近世における研究

日本の陣形史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/25 20:35 UTC 版)

近世における研究

江戸時代に太平の世となったことで実戦で陣形が用いられることはなかったが、机上の学問である軍学において研究されるようになる[32]。脚色された軍記物の記述を参考にしていたり、魚鱗や鶴翼にしても、諸流によって形が異なっているなど、統一的なものでなかった[33]上、軍学の資料によっては、合戦で用いられた陣形が異なる記述もみられる[34]

陣形図が記された書

  • 甲陽軍鑑
  • 『侍用集』
  • 『鈐録』
  • 『武教全書』
  • 『兵法雌鑑』
  • 『訓閲集』

西洋式戦術との衝突

幕末になり、江戸幕府が長州征討(1864 - 1866年)に出た際、長州藩側は西洋式戦術で対応している(後述)。

高杉晋作吉田松陰の『西洋歩兵論』の影響を受け、1863年に奇兵隊を組織し、幕軍に対し、西洋式の編成と戦術を用いている[35]。奇兵隊は「武士と庶民の混成部隊」として強調されるが、庶民の割合は約30パーセントであり[36]、決して多い訳ではない。

大村益次郎も洋式兵術の原書を読んで学んでおり[37]フランス式軍制を用いた[38]。第二次長州征討時、幕府側は戦国期以来の井伊の赤備えで交戦したが敗れており、彦根兵側の証言として、「変な兵だった。紙屑拾いみたいな格好をして、向こう側からバラバラやって来たと思うと、背後に回り込まれていた」とあり[39]、笛袖姿の密集体形で、時に応じて鐘太鼓を打ち鳴らしながら進軍し、散兵戦術によって、敵の横や背後から射撃した[39]。『西洋歩兵論』にも「短兵隊、あるいは集まり、あるいは散り、(中略)敵の横を突き、敵の後を破る」とあり、戦場でこれを実践したといえる。統制が取れた柔軟な兵の集散が、伝統的な軍団編成の井伊の赤備えには不可解に映った証言ともいえる。ただし勝因は銃器兵装差による最大射程の差からくるアウトレンジ戦法による(詳細は「赤備え#井伊の赤備え」を参照)。

なお幕府側も長州征伐以前から西洋式軍制は採用しており、文久の改革による幕政改革の一環として、洋式陸軍を設置し(幕府陸軍)、歩兵・騎兵・砲兵から成る三兵戦術を導入、これを陸軍奉行が統轄した[40]ため、部分的には西洋戦術と西洋戦術による戦いと言える。長州征伐敗退後には顧問としてフランス人を用いているなど(「幕府陸軍」を参照)、この時期はフランスの影響がある。


  1. ^ 乃至政彦 『戦国の陣形』 2016年 p.35.
  2. ^ 乃至政彦 『戦国の陣形』 pp.50 - 51.
  3. ^ 乃至政彦 『戦国の陣形』 p.51.
  4. ^ a b 乃至政彦 『戦国の陣形』 p.43.
  5. ^ a b 乃至政彦 『戦国の陣形』 p.194.
  6. ^ a b 乃至政彦 『戦国の陣形』 p.195.
  7. ^ 「上泉信綱伝 新陰流軍学『訓閲集』」 スキージャーナル株式会社 2008年
  8. ^ 乃至政彦 『戦国の陣形』 p.56.
  9. ^ 乃至政彦 『戦国の陣形』 p.56.これは武士の原型が、律令軍団ではなく、対散兵の健児の方にあるためとされる。
  10. ^ 乃至政彦 『戦国の陣形』 pp.69 - 70.
  11. ^ 乃至政彦 『戦国の陣形』 p.90.
  12. ^ 乃至政彦 『戦国の陣形』 p.91.
  13. ^ 乃至政彦 『戦国の陣形』 p.100.
  14. ^ 乃至政彦 『戦国の陣形』 p.99.
  15. ^ 乃至政彦 『戦国の陣形』 p.101.
  16. ^ 乃至政彦 『戦国の陣形』 pp.104 - 105.それまでは諸々の武士が台頭したため、まとめるのが難しかった。
  17. ^ 乃至政彦 『戦国の陣形』 p.125.
  18. ^ 『甲斐志料集成九』202頁。NDLJP:1240963/109
  19. ^ 乃至政彦 『戦国の陣形』 p.114.
  20. ^ 乃至政彦 『戦国の陣形』 p.117.
  21. ^ 乃至政彦 『戦国の陣形』 pp.117 - 118.
  22. ^ 乃至政彦 『戦国の陣形』 pp.118 - 121.
  23. ^ a b 乃至政彦 『戦国の陣形』 p.197.
  24. ^ 乃至政彦 『戦国の陣形』 p.133.
  25. ^ 乃至政彦 『戦国の陣形』 p.129.
  26. ^ 乃至政彦 『戦国の陣形』 p.130.
  27. ^ 乃至政彦 『戦国の陣形』 pp.131 - 132.
  28. ^ a b 乃至政彦 『戦国の陣形』 p.132.
  29. ^ 乃至政彦 『戦国の陣形』 p.134.
  30. ^ 乃至政彦 『戦国の陣形』 p.137.
  31. ^ 乃至政彦 『戦国の陣形』 pp.139 - 140.
  32. ^ 乃至政彦 『戦国の陣形』 p.202.
  33. ^ 『侍用集』『武教全書』『兵法雌鑑』など鶴翼の図がそれぞれ異なる。
  34. ^ 例として、川中島の戦いを記した『 越後軍記』では武田軍は魚鱗を用いたとしているが、『北越軍談』では魚鱗から鶴翼を用いたと記述されている。
  35. ^ 『軍師日本史人物列伝』 日本文芸社 2013年 p.8.
  36. ^ 全国歴史教育研究協議会編 『日本史Ⓑ用語集』 山川出版社 16刷1998年(1刷1995年) p.172.
  37. ^ 磯田道史 『素顔の西郷隆盛』 新潮新書 2018年 p.127.
  38. ^ 『日本史Ⓑ用語集』 山川出版社 p.176.「歩兵操典」も参照。
  39. ^ a b 磯田道史 『素顔の西郷隆盛』 p.127.
  40. ^ 『詳説日本史図録』 山川出版社第5版 2011年 p.197.
  41. ^ 『一個人 戦国武将の知略と生き様』 KKベストセラーズ 10刷2014年 pp.56 - 57.
  42. ^ 『歴史街道 2019年4月号』 PHP研究所 pp.36 - 37.


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