応神天皇 后妃・皇子女

応神天皇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/09 22:06 UTC 版)

后妃・皇子女

天皇系図 15~26代
  • 皇后仲姫命(なかつひめのみこと、中日売命) - 品陀真若王(五百城入彦皇子王子)女
    • 荒田皇女(あらたのひめみこ、木之荒田郎女)
    • 大鷦鷯尊(おおさざきのみこと、大雀命・仁徳天皇
    • 根鳥皇子(ねとりのみこ) - 大田君祖
  • 妃:高城入姫命(たかきのいりびめ、高木之入日売命) - 品陀真若王女、仲姫命同母姉
    • 額田大中彦皇子(ぬかたのおおなかつひこのみこ)
    • 大山守皇子(おおやまもりのみこ) - 土形君・榛原君祖
    • 去来真稚皇子(いざのまわかのみこ、伊奢之真若命) - 深河別祖
    • 大原皇女(おおはらのひめみこ) - 『先代旧事本紀』は弟姫命の所生とする。
    • 澇来田皇女(こむくたのひめみこ、高目郎女)
  • 妃:弟姫命(おとひめ、弟日売命) - 品陀真若王女、仲姫命同母妹
    • 阿倍皇女(あへのひめみこ)
    • 淡路御原皇女(あわじのみはらのひめみこ、阿具知能三腹郎女) - 根鳥皇子妃
    • 紀菟野皇女(きのうののひめみこ、木之菟野郎女)
    • 滋原皇女(しげはらのひめみこ) - 記紀に見えず、『先代旧事本紀』より補う。
    • 三野郎女(みののいらつめ)
  • 妃:宮主宅媛(みやぬしやかひめ、宮主矢河枝比売) - 和珥日触使主女。『先代旧事本紀』には物部多遅摩連女の山無媛とある。
    • 菟道稚郎子皇子(うじのわきいらつこのみこ、宇遅能和紀郎子) - 応神天皇皇太子
    • 矢田皇女(やたのひめみこ、八田皇女・八田若郎女) - 仁徳天皇皇后(仁徳は異母兄)
    • 雌鳥皇女(めとりのひめみこ、女鳥王) - 隼総別皇子妃(隼総別は異母弟)。仁徳に求婚されたが隼総別と結婚し、のちに仁徳に反逆したことにより夫婦とも殺害される[6]
  • 妃:小甂媛(おなべひめ) - 和珥日触使主女、宮主宅媛妹。『先代旧事本紀』には物部多遅摩連女の香室媛とある。
    • 菟道稚郎女皇女(うじのわきいらつめのひめみこ、宇遅能若郎女) - 仁徳天皇妃(仁徳は異母兄)
  • 妃:息長真若中比売(おきながまわかなかつひめ、弟媛) - 河派仲彦王(息長田別王子、日本武尊孫)女
  • 妃:糸媛(いとひめ、糸井比売) - 桜井田部連島垂根女、男鉏妹
    • 隼総別皇子(はやぶさわけのみこ、隼別皇子、速総別命)
  • 妃:日向泉長媛(ひむかのいずみのながひめ)
    • 大葉枝皇子(おおはえのみこ、大羽江王)
    • 小葉枝皇子(おはえのみこ、小羽江王)
    • 幡日之若郎女(はたびのわかいらつめ) - 履中天皇皇后
  • 妃:迦具漏比売(かぐろひめ) - 須売伊呂大中日子王(稚武彦王王子、日本武尊孫)王女[注釈 1]
  • 妃:葛城野伊呂売(かつらぎののいろめ、怒能伊呂比売?) - 武内宿禰女?
    • (伊奢能麻和迦王) - 去来真稚皇子の重複か。
  • 妃:兄媛(えひめ) - 吉備武彦命稚武彦命子)女、吉備御友別

注釈

  1. ^ 『古事記』景行天皇段には景行天皇が娶ったとあるが、明らかに不合理である。応神天皇段には応神天皇が娶ったとあり、こちらは無理がない。二人の迦具漏比売を同名の別人とすれば筋は通る。また祖父は倭建命の子の若建王ではなく、『古事記』で景行天皇の后・伊那毘能大郎女とその妹・伊那毘能若郎女の父とされる若建吉備津日子であり、父は大郎女の弟で若郎女の兄だった可能性が考えられる。この場合、父の名前が須売伊呂で兄とも弟とも書かない理由が説明できる。
  2. ^ 以下の2皇女を応神天皇の娘とするのは『古事記』応神天皇段の冒頭のみで、『日本書紀』では稚野毛二派皇子女とする。また『古事記』応神段の末尾では忍坂大中津比売命を若野毛二俣王の娘とする。
  3. ^ 『日本書紀』応神天皇即位前紀には3歳と記されているが、仲哀天皇9年の誕生から数えて計算すると4歳となる。
  4. ^ 『日本書紀』には110歳と記されているが、仲哀天皇9年の誕生から数えて計算すると111歳となる。

出典

  1. ^ 『古事記』大安万侶。 
  2. ^ 小沢一雅「古事記崩年干支に関する数理的検討」『情報処理学会研究報告』2010年度第2号、情報処理学会、2010年8月、1-6頁、CRID 1520572359470131072ISSN 18840930NAID 1100080034882023年10月30日閲覧 
  3. ^ 山尾幸久『日本国家の形成』(岩波新書、1977年)
  4. ^ 飯沼賢司『八幡神とはなにか』角川学芸出版、2004年、p.98
  5. ^ 宇佐神宮|宇佐神宮について - ご祭神
  6. ^ 雌鳥皇女 めとりのおうじょKotobank
  7. ^ a b 『日本書紀(二)』岩波書店 ISBN 9784003000427
  8. ^ 『広開土王碑』
  9. ^ 『三国史記』
  10. ^ 岡田隆夫「軽島豊明宮」(『国史大辞典』吉川弘文館)
  11. ^ 外池昇『事典陵墓参考地 もうひとつの天皇陵』(吉川弘文館、2005年)pp. 49-52。
  12. ^ 宇佐神宮|宇佐神宮について - 由緒
  13. ^ 倭王讃については、仁徳天皇や17代履中天皇を比定する説もある。
  14. ^ 赤城 2006, p. 118.
  15. ^ 阿花王(デジタル版 日本人名大辞典+Plus)(朝日新聞社コトバンクより)。
  16. ^ 坂本太郎平野邦雄監修『日本古代氏族人名辞典 普及版』(吉川弘文館、2010年)阿花王項。
  17. ^ 田中俊明 2021.
  18. ^ 「ヤマト王権」 岩波新書 2010 93頁
  19. ^ 河内の研究によれば、「アフリカの無文字社会において、部族首長の継承は、事績や系譜的位置が詳しく語られている首長は傍系継承。名前と継承順位だけしか記憶が残っていない首長は直系継承であることが多い」という
  20. ^ 河内春人『倭の五王 王位継承と五世紀の東アジア』(中央公論新社、2018年)
  21. ^ 岡田 1977, p. 189-190.
  22. ^ 岡田 2009, p. 62-65.
  23. ^ 直木孝次郎『大和王権と河内王権』吉川弘文館〈直木孝次郎古代を語る 5〉、2009年、185-200頁。ISBN 9784642078863NCID BA88939264全国書誌番号:21542433 
  24. ^ 湯浅幸孫「<研究ノート>倭国王武の上表文について」史林 64 (1), 117-128, 1981-01-01論文のURL
  25. ^ 白石太一郎編『天皇陵古墳を考える』(学生社)、2012。同書第二章「誉田御廟山古墳(現応神陵)の被葬者」より。執筆者は白石太一郎。
  26. ^ 白石2012
  27. ^ 「応神天皇陵、前方部に方形土壇 血縁者ら重要人物を埋葬か」(日本経済新聞)
  28. ^ 白石太一郎編『天皇陵古墳を考える』(学生社)、2012及び『古墳の被葬者を推理する』 (中公叢書)、2018より。
  29. ^ MBSニュース"仁徳天皇の墓"とされる『大山古墳』...しかし出土品や没年などから「仁徳天皇の墓ではない」と専門家の間で論争が 一体誰の墓なのか?22/02/21 15:00。もっとも白石太一郎のように従来どおり仁徳天皇陵=大仙古墳とみる学者もニュースには登場しており、現時点では決着を見ていない。






応神天皇と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「応神天皇」の関連用語

応神天皇のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



応神天皇のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの応神天皇 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS