志摩町御座
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地理
志摩市の南部、志摩半島最南端の先島半島(前島半島)西端に位置する[3]。北・南・西の三方を海に囲まれ、北から西にかけては英虞湾に、西から南にかけては太平洋(熊野灘)に面し、太平洋岸は海食崖を形成する[4]。岩場のわずかな風化土壌の上などに耐潮風性のハチジョウススキ・キノクニシオギク・アゼトウナ・ヒゲスゲ・ハマカンゾウ・ハマアザミ・テリハノイバラなどが混生する[5]。北西約2km先には海を挟んで浜島町浜島と向かい合う[4]。東は志摩町越賀と接する。
地形的には隆起海食台地上に展開し、水田はほとんど見られない[4]。黒森と金比羅山は互いに台地上に孤立した山である[6]。御座は山林面積率が6 - 7割を占め、耕地は少ない[7]。集落は御座港付近と小字小浦にある[4]>。御座の中心集落は海の荒れる東風を避けるように立地している[8]。
産業としては沿岸漁業が盛んで、海女漁業と真珠の養殖が特徴である[4]。志摩町の他の大字と同じく、真珠養殖が主で海女漁業が従となっている一方、海女の操業日数は志摩地方では多い方である[9]。農業面では、二期作や暖地農業の適地として普及・研究の対象となったことがある[2]。
- 山:黒森(96m)、金比羅山(99m)
- 岬:御座岬、岩井崎
- 島:矢摺島
山
黒森
黒森(くろもり)は、三重県志摩市志摩町御座にある、標高96mの山。正式な山名は見崎山[10]。熊野灘沿岸に位置し、森が作る影によって水面を覆って漁場を守る「魚付き林」の役割を果たす[11]。樹種はツブラジイを主とする常緑広葉樹である[10]。
黒森の名は、沖合から見た時に木々が生い茂って黒く見えることに由来する[10]。山頂付近には灯台が設置されている[10]。
金比羅山
金比羅山(こんぴらやま、こんぴらさん)は、三重県志摩市志摩町御座にある、標高99mの山[WEB 4]。英虞湾や熊野灘を望み[12]、鳥羽一郎の演歌『志摩半島』では「金比羅山は四面皆海(しめんみなうみ)」と歌われている[WEB 5]。毎年正月には初日の出を見に多くの人が集まる[WEB 4]。
山麓に空海ゆかりの不動明王があることから「聖が岳」と呼称されたが、後に金比羅権現を祀るようになったことから、金比羅山に改名したと伝わる[12]。
注釈
WEB
- ^ a b “志摩市の人口について”. 志摩市 (2019年7月31日). 2019年8月28日閲覧。
- ^ a b “志摩町御座の郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月15日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ a b 大口秀和. “2014年1月1日 京路山(きょうろうざん)”. 志摩市. 2014年1月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月8日閲覧。
- ^ 歌詞検索j-lyric.net"鳥羽一郎 志摩半島 歌詞"(2014年1月8日閲覧。)
- ^ a b 英虞湾自然再生協議会"英虞湾年表"<ウェブ魚拓>志摩市農林水産部里海推進室(2012年11月11日閲覧。)
- ^ a b “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ “学校通学区”. 志摩市. 2019年8月28日閲覧。
- ^ “学校通学区”. 志摩市教育委員会事務局学校人権教育課. 2014年3月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月6日閲覧。
- ^ a b c 三重県農林水産部水産基盤整備課"御座漁港"(2012年11月11日閲覧。)
- ^ 志摩マリンレジャー"あご湾定期船"(2012年11月11日閲覧。)
- ^ 『浜島〜御座〜賢島定期航路(浜島航路)の廃止について』(PDF)(プレスリリース)志摩マリンレジャー、2021年3月26日。 オリジナルの2021年3月27日時点におけるアーカイブ 。2021年3月27日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年6月10日閲覧。
出典・文献
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- ^ 南川(1990):70ページ
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- ^ a b 大島(1955):106ページ
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- ^ 淡野(1986):15ページ
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- ^ 中村精貮 1951, p. 50.
- ^ 中村精貮 1951, p. 51.
- ^ a b c d 志摩町役場企画課(2004):96ページ
- ^ 三重県教育委員会(2014):21ページ
- ^ 山田(1956):525ページ
- ^ 森ほか(2006):454ページ
- ^ 志摩町史編纂委員会編 2004, p. 249-250.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 491.
- ^ ワークス 編(1997):101ページ
- ^ a b 講談社MOOK 2011, p. 61.
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