延辺朝鮮族自治州
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/18 10:57 UTC 版)
地理
自治州の南西部に白頭山が聳え、この山から流れ出る豆満江を境にして(朝鮮民主主義人民共和国)北朝鮮咸鏡北道と接する。東はロシアの沿海地方、北は黒竜江省牡丹江市と接する。西は同じ吉林省の吉林市と白山市と接している。面積は42,700平方kmで九州よりやや広い。
白頭山は満州民族にとっても朝鮮族にとっても聖なる山とされている火山である。全体に山がちの地形で、豆満江流域にわずかに平地が開けている。
歴史
古代の高句麗・渤海の故地であり、とくに敦化市には渤海初期の都城の東牟山があった。渤海の壁画古墳として名高い六頂山貞恵公主墓(敦化市)はこの時代の遺跡である。渤海の都はその後、上京龍泉府(黒竜江省牡丹江市)に遷ったが、自治州内には東京龍原府(琿春市)・中京顕徳府(和竜市)が置かれていた。渤海滅亡後は女真の領域となり、明代には建州衛が置かれた。
19世紀には、朝鮮からの移民が大量に朝鮮半島から中国に移住した。清代後期に延吉庁と琿春庁が置かれ、満州国時代には間島省が設置された。
中華人民共和国が成立すると、1949年に吉林省延辺専区が設けられ、1952年に「延辺朝鮮族自治区」となり、1955年には「延辺朝鮮族自治州」となった。1958年に敦化県(当時)が併合された。文化大革命時期には州長であった朱徳海(朝鮮族)が「地方民族主義の金持ち」として紅衛兵に迫害され死亡した。
近年は韓国への人口流出に加え、少子高齢化と過疎化の問題が深刻である[2]。
行政区画
6県級市・2県を管轄する。
延辺朝鮮族自治州の地図 |
---|
年表
この節の出典[3]
延辺専区
延辺朝鮮族自治区
- 1953年5月4日 - 延吉県の一部が分立し、延吉市が発足。(1市5県)
- 1955年8月30日 - 延辺朝鮮族自治区が延辺朝鮮族自治州に降格。
延辺朝鮮族自治州
- 1958年10月 - 延吉県の一部が延吉市に編入。(1市5県)
- 1958年10月23日 - 敦化県を編入。(1市6県)
- 1960年3月15日 - 延吉県の一部が延吉市に編入。(1市6県)
- 1960年8月27日 - 琿春県の一部が黒龍江省牡丹江専区東寧県に編入。(1市6県)
- 1965年3月27日 - 延吉県・汪清県のそれぞれ一部が合併し、図們市が発足。(2市6県)
- 1982年12月9日 - 延吉県の一部が延吉市・図們市に分割編入。(2市6県)
- 1983年3月24日 - 延吉県が竜井県に改称。(2市6県)
- 1985年2月11日 - 敦化県が市制施行し、敦化市となる。(3市5県)
- 1988年4月2日 - 竜井県の一部が図們市に編入。(3市5県)
- 1988年5月25日 (5市3県)
- 1991年4月29日 - 琿春市の一部が図們市に編入。(5市3県)
- 1991年10月25日 - 図們市の一部が汪清県に編入。(5市3県)
- 1993年7月5日 - 和竜県が市制施行し、和竜市となる。(6市2県)
- 2009年1月4日 - 竜井市の一部が延吉市に編入。(6市2県)
経済
延吉市は木材の生産地で、鉱物資源が豊富なことでも知られる。ロシアと北朝鮮国境に近い琿春市は国境開放都市に指定されている。
1992年の中国と大韓民国(韓国)の国交樹立以降は、自治州には韓国からの直接投資が急増し、中国の辺境地域としては最も高い経済成長を達成している。
2003年の生産総額(GDP)は対前年比10.1%増の171.5億人民元、一人当たり生産総額は7841元であった。産業構造は第一次産業14.2%、第二次産業46.5%、第三次産業39.3%となっている。対外貿易輸出は対前年比28.8%増の2.8億米ドル、輸入は5.3%増の1.3億米ドルであった。 韓国、日本等へ出稼ぎに出ている人が多くいる。1980年以後に生まれた人(80後)の中にはエリートが多く、3言語が話せる人が多くいる。
- ^ “中国の中のハングルの世界――延辺朝鮮族自治州へ”. 中国網. (2009年7月20日) 2017年12月30日閲覧。
- ^ 綛谷智雄「延辺朝鮮族の社会学的考察 : エスニシティに対する接近を中心に」『アジア研究』第48巻第2号、アジア政経学会、2002年、106-127頁、CRID 1390282680492676096、doi:10.11479/asianstudies.48.2_106、ISSN 0044-9237。
- ^ 吉林省 - 区划地名网
固有名詞の分類
- 延辺朝鮮族自治州のページへのリンク