山崎亮平 山崎亮平の概要

山崎亮平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/18 02:50 UTC 版)

山崎亮平
名前
愛称 ヤマ、ギュンギュン
カタカナ ヤマザキ リョウヘイ
ラテン文字 YAMAZAKI Ryohei
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1989-03-14) 1989年3月14日(34歳)
出身地 新潟県南魚沼市
(旧南魚沼郡大和町
身長 173cm
体重 76kg
選手情報
在籍チーム 栃木シティFC
ポジション FW
背番号 41
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2007-2014 ジュビロ磐田 115 (18)
2015-2017 アルビレックス新潟 92 (9)
2018-2020 柏レイソル 20 (0)
2021-2022 V・ファーレン長崎 52 (4)
2023 テゲバジャーロ宮崎 34 (4)
2024- 栃木シティFC
代表歴
 日本 U-20 10 (9)
 日本 U-21 7 (3)
1. 国内リーグ戦に限る。2023年12月5日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

来歴

プロ入り前

新潟県南魚沼郡大和町(現在南魚沼市)出身[1]千葉県で育ち、9歳からサッカーをはじめた[2]。中学時に在籍していたFC千葉なのはなジュニアユースでは、同学年の米倉恒貴らと高円宮杯全日本ユースサッカー選手権 (U-15)大会で全国ベスト4になった。千葉県立八千代高等学校に米倉とともに進学し、3年生の時、2006年第85回全国高等学校サッカー選手権大会で全国ベスト4に進出した。

ジュビロ磐田

高校卒業後の2007年ジュビロ磐田に入団。すぐにU-18日本代表に立ち上げから招集され、AFC U-19選手権2008 (予選)では5試合5得点と活躍した。翌2008年は、カタール国際ユーストーナメントでも得点王とMVPとなる活躍でU-19代表を優勝に導いた。北京五輪日本代表では、直前の合宿には呼ばれたものの落選した。その後左足を骨折し、AFC U-19選手権2008には選出されなかった。2009年は、再度の骨折により、リハビリを行なった。

2010年、復帰後は主に途中出場ながら徐々に出場機会を得、ナビスコカップ準決勝川崎フロンターレ戦ではチームを決勝へと導くアウェイでの逆転ゴール、決勝サンフレッチェ広島戦では結果的に決勝点となる4点目を挙げ(スコアは2-2から延長戦の末5-3)、優勝に大きく貢献した。またU-21日本代表にも選ばれ、ナビスコカップ直後の第16回広州アジア競技大会では第1戦での先制点など通算2得点を挙げ、代表の優勝にも大きく貢献した。

2012年は、背番号が25から9となり、磐田では2009年まで在籍した中山雅史以来の9番をつける選手で、2人目となった。2月5日に行われたロンドン五輪アジア最終予選第4戦のシリアとの試合にスタメン出場をしたが、相手選手との競り合いでの着地の際に、バランスを崩し、左橈骨(とうこつ)を骨折し、負傷退場となった。その後、全治2ヶ月との診断結果が出た[3]

アルビレックス新潟

2015年1月、アルビレックス新潟への完全移籍が発表された[4]

柏レイソル

2018年1月9日柏レイソルへの完全移籍が発表された[5]

V・ファーレン長崎

2021年1月26日V・ファーレン長崎への完全移籍が発表された[6]

テゲバジャーロ宮崎

2023年1月9日テゲバジャーロ宮崎への完全移籍が発表された。山崎にとってキャリア初のJ3挑戦となる。

同年12月5日、契約期間満了及び来季の契約更新を行わない事が発表された[7]

栃木シティFC

2024年1月5日、栃木シティFCへの加入が発表された[8]

人物

愛称は『ギュンギュン』。高校選手権出場時に磐田の先輩である中山雅史(山崎が出場した高校選手権のイメージキャラクターを務めていた)から命名された[9]

2020年6月27日にモデルの安藤やよいと結婚した[10]




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