小田急7000形電車
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沿革
登場当初
1980年に製造された1次車(7001×11)では新宿方の6両を日本車輌製造で、小田原方の5両を川崎重工で分担して製造した[1]。川崎重工兵庫工場で完成した5両を一旦日本車輌豊川製作所に輸送し[38]、日本車輌で11両編成に組成した[29]上で小田原まで輸送することになったが、このときは連接車専用の控え車を製作・連結した[38]上で、兵庫から豊川まで輸送を行った。こうして、同年12月7日に7001×11が入線し[8]、12月9日に竣功[1]、整備や試運転を実施した後の12月25日には新宿駅で完成記念式典が行われ[39]、12月27日から営業運行を開始した[8]。
1981年9月13日には、鉄道友の会より第24回ブルーリボン賞を授与され[8]、新宿駅地下ホームで式典が行われた[40]。この年には2次車(7002×11)が製造されたが、2次車ではデハ7002・7102・7702・7802・サハ7052の5両が日本車輌で、残りの6両が川崎重工で製造された[1]ため、先に完成した日本車輌の製造分をいったん豊川から兵庫まで5両連接にした状態で輸送し[38][注 3]、川崎重工で11両編成に組成してから小田急に納入されている。1982年11月には3次車として7003×11が入線した[1]。
国鉄線上での試験
この当時、国鉄では新形特急用車両の開発を進めていた[41]が、その一環として、通常のボギー車と連接車の比較試験を1982年の11月から12月にかけて行うことになった[41]。国鉄には試験に使用できるような連接車がなかった[注 4]ため、国鉄の申し入れにより小田急からLSE車を貸し出すことになった[29]。ボギー車の試験では183系が使用された[41]が、この車種選定の理由は「重心の高さや輪重などの数値が似通っていたから」と説明されている[42]。
試験車両には7002×11が使用されることになり、試験に際して、デハ7002の先頭台車と連接台車のそれぞれ新宿方の車軸を測定軸とし[32]、大野工場で輪軸交換や測定機器の搭載を行った[32]上で国鉄に貸し出され、1982年12月10日から15日にかけて東海道本線の大船駅~熱海駅間(一部回送では来宮駅まで入線)で最高速度130km/hの走行試験が行われた[43]。この試験では、指定した箇所を本則-5km/hから本則+15km/hまでの速度段で走行する際に、輪重・横圧・振動・変位・騒音などを地上と車内で測定する内容であった[32]。私鉄の特急形車両が国鉄の路線上で走行試験を行ったのはSE車(1957年9月の高速度試験の際に実施)とLSE車だけで[44]、沿線には多くの鉄道ファンが撮影に訪れた[43][注 5]。
この試験により、連接車の特性が定量的に把握された[32]が、試験の結果は「ボギー車と連接車で乗り心地の差は見られず、同程度の性能」という結論であった[45]。ただし、「台車構造の差が測定結果に強く認められたため、十分に違いを把握したとはいえない」ともしており、曲線の通過性能については「今後さらに検討を要する」としている[46]。唯一、車両ごとの振動の差が少ない点について「連接構造による車両間の拘束が強いため」と認めている[46]。このため、その後国鉄では連接車の導入は見送られることとなり[47]、その後国鉄からJRになってからも、本格的な連接車の導入はされていない[43][注 6]。
リニューアルと廃車
1983年12月に4次車として7004×11が入線し[1]、これでLSE車の増備は終了となった。この時期は、輸送力増強と老朽車両の置き換えを進めていたことから、年に1編成ずつの導入しかできなかった[29]。しかし、4次にわたるLSE車の導入により、11両編成の特急車の運用に余裕ができたことから、車両検査時に箱根特急にSE車を投入することによって輸送力が不足していた事例は解消された[18]。1985年10月には、小田急で初めての車内公衆電話が設置された[19]。
1996年から1998年にかけて、日本車輌において全編成のリニューアル工事が実施された。外部カラーリングはHiSE車と同様のホワイト■ベースに濃淡ワインレッド■■の帯が入るデザインに変更され[48]、「前面展望室のある車両」のイメージ統一を行った[34]。座席モケットの変更[34]の他、車いす対応座席の設置[34]とそれに伴う出入口幅の拡張(700mm→1,000mm)[34]や客室内のカラースキームもブラウン系濃淡を基調としたものとなった[34]ことが挙げられる。加えてトイレの汚物処理方式も循環式から真空式へ変更されている[34]。また、室内の号車番号や座席番号表示などはEXE車と共通の書体が用いられた。なお、リニューアル車で最後に出場した7004×11については、電動発電機をIGBT素子式の静止形インバータ (IGBT-SIV) に置き換えている[48]。2005年から2006年にかけて集電装置を順次菱形パンタグラフからシングルアーム式パンタグラフに変更した[34]。
これより少し前の2003年4月から7月にかけては、VSE車の導入に先駆けた車体傾斜制御の試験として[49]、サハ7052の両端台車を交換した上で連接部の間隔を広げ[50]、更に新宿方にパンタグラフを仮設して[50]性能確認試験を行った。
2007年で小田急開業から80周年・SE車登場から50周年を迎えるのを記念し、同年7月6日から7004×11を1999年以来8年ぶりの旧塗装に復元して営業運転に就くこととなった[51][50]。旧塗装での営業運転は2008年3月31日までの予定であったが、それ以降も継続して使用している[50]。なお、実際に走っていた1999年ごろまでの旧塗装との違いとして、先頭部分の窓枠が銀色ではなく黒色となっていたこと[50]や、パンタグラフがシングルアーム式であること、2008年3月以降は側面に小田急グループブランドマークが貼付された[50]ことなどが挙げられる。また各先頭車の一部座席の撤去が行われ定員が8人減っている。
2010年1月中旬より、LSE車とHiSE車は部品の一部に不具合が見つかったことを理由として[52]長野電鉄に譲渡されたHiSEの2編成に関しても全面的に運用から離脱し、点検を行った。同年4月1日から営業運行に復帰している[53]。
なお、この不具合とは無関係に[54]、同年1月4日に7002×11が廃車解体された[55]。
2012年2月には、1編成を登場当時の塗装デザインに復元し、1編成が廃車となることが小田急から発表された[56][57]。これによって、HiSE車に準じた塗装デザインの車両による運行は同年2月19日限りで終了し[58]、同年2月20日以降は旧塗装車両のみでの運行となる[59]。これに伴い、7003×11については旧塗装へ復元され[60]、7001×11については2月19日をもって運用を終了した[58]。旧塗装への復元が行われた編成については、D-ATS-Pの設置工事が日本車輌で実施され[57]、この際に前面の窓枠は銀色のものに戻されている[57]。
70000形GSE車導入後の2018年3月15日、7003×11を同年6月までに廃車することと、7004×11についても2018年度内に引退予定であることが発表された[61]。5月29日には定期運行終了日が発表され[62]、7月10日に新宿駅および箱根湯本駅で記念式典を行った後、同日の「ホームウェイ83号」[注 7]をもって定期運行を終了した[63]。その後、団体専用の臨時列車にいくつか充当されたのち、同年10月13日に新宿 → 小田原 → 秦野間で運行されたさよならツアーをもって営業運転を終了した[64]。
注釈
- ^ 生方 (2005) p.37に掲載の図面上では、連結部は小田原方が240mm、新宿方が160mmとなっているため、差異が生じる。
- ^ 1・2号車の間と、10・11号車の間。
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻491号 p.32の写真では、牽引機としてEF58形電気機関車の1号機が写っている。
- ^ 国鉄の連接車は、試作車両で591系とキハ391系気動車が当時存在していたが、591系は廃車・解体済み、キハ391系は車籍はあったが休車状態であった。
- ^ 特急形以外では、2019年に登場した相鉄12000系電車が根府川駅まで入線している。
- ^ JRになってから製造された車両における連接車は、新幹線の952形・953形、在来線のE993系・E331系で、いずれも東日本旅客鉄道(JR東日本)の車両である。E331系以外は営業運転には使用されておらず、同車においても同年代に導入された他のボギー車よりも早く運用を離脱している。
- ^ この日に限り片瀬江ノ島まで延長運転(通常は藤沢行)[62]。
出典
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