寺澤敏行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/14 01:51 UTC 版)
てらざわ としゆき 寺澤 敏行 | |
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プロフィール | |
愛称 | きれジャイ・きれいなジャイアン |
出身地 | 日本 愛知県名古屋市 |
生年月日 | 1971年12月1日(51歳) |
最終学歴 | 明治大学卒業 |
勤務局 | NHKラジオセンター |
部署 | ディレクター |
職歴 | 富山(1995年6月 - 2000年7月)→名古屋(2000年8月 - 2005年3月)→東京アナウンス室→報道局国際部記者→アジア総局記者(バンコク)→東京アナウンス室(2005年3月 - 2017年3月)→大分(2017年3月 - 2021年7月)→ラジオセンター(ディレクター)(2021年7月 - ) |
活動期間 | 1995年 - |
ジャンル | 地域 |
公式サイト | NHK |
出演番組・活動 | |
出演中 | 本文参照 |
出演経歴 | 本文参照 |
備考 2007年8月から2013年6月まで記者。血液型はAB型 |
人物
名古屋市立菊里高等学校[1]を経て明治大学卒業後、1995年にNHK入局。ニックネームは「きれジャイ」(『ドラえもん』の「きれいなジャイアン」を略したもの)。
嗜好・挿話
- 新人時代は芸能・司会の仕事が多かったため、「ゆくゆくは紅白の司会やりたい」と思っていたが、その後報道の仕事が増え、ニュースキャスターがメインとなる[2]。取材好きで時間を見つけてはスタジオを飛び出していたという。早朝のニュースキャスターをしていた頃は、出社が深夜1時だったため、取材が長引くと寝る時間がないほど多忙であった[2]。
- 2007年8月より、東京勤務の時に自ら志願して国際部に異動。東南アジア特派員として国際部記者となる。タイのバンコク勤務を希望し、その後念願叶って2010年8月バンコク特派員になる。タイには3年滞在した[2]。
- 2008年11月にムンバイ同時多発テロが発生したとき、寺澤は24日から26日まで行われていた第19回インド原子力学会年次総会を取材するため、各国メディアの一員として会場となっていたムンバイに滞在。このためテロ発生後、27日放送の『NHKニュースおはよう日本』での電話リポートを皮切りに、危険な状況の中で急遽活動をその取材に切り替え、緊迫する現地の状況を報告し続けた[3]。アジア総局時代はアウンサンスーチー解放の速報などを現地より伝えたほか、2011年秋にはタイを襲った大洪水の状況を伝え続けた。
- 2013年7月に帰国し、6年ぶりにアナウンス職に復帰した。ジョギングコースは多摩川河川敷[4]。
- NHK大分在籍中は大分のスタッフブログを更新し続け、800回更新した。大分で市民農園の畑を借りていた[5]。2021年7月付でアナウンス職を再度離れ、ラジオセンターでプロデューサーを務めることになった。
現在の担当番組
- ^ 出典不明 NHKアナウンサーの柘植恵水、TBSテレビプロデューサーの今井夏木は高校時代の同級生。
- ^ a b c “自分流泰的生活web477号・寺澤敏行”. web(ウェブ)ナムジャイ・Communication Service & Support (Thailand) Co.,Ltd.. 2014年3月4日閲覧。
- ^ a b “NHKアナウンスルーム”. NHK. 2014年3月4日閲覧。
- ^ “NHKアナウンスルーム”. NHK. 2014年3月4日閲覧。
- ^ 公式ホームページ
- ^ “ありがとうございました!”. てらブロ. 日本放送協会. 2021年7月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月2日閲覧。
固有名詞の分類
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