宇能鴻一郎 人物と作風

宇能鴻一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/09 12:55 UTC 版)

人物と作風

東京府士族の鵜野二弥と、佐賀県士族の綾(旧姓:徳久)の間に長男として出生。軍事会社の工場の副所長[1] であった父の転勤に従い各地を転々とし、奉天から敗戦で引き揚げ[2]。満州時代、小学校5~6年のころ、盗みを働いて捕まり、ロシアの司令官の邸宅で全裸のまま給仕をさせられたことがある、という[1]

1955年福岡県立修猷館高等学校から東京大学文科II類に進学。1959年同学文学部国文学卒、同学大学院に進学。1961年学位論文『原始古代日本文化の研究』で文学修士。1968年同学大学院博士課程満期退学。

大学在学中に『半世界』の同人[3] になり、1961年に自らの同人誌『螺旋』を創刊。同誌に発表した短篇『光の飢え』が『文学界』に転載され、芥川賞候補作となった。翌1962年、『鯨神』で第46回芥川賞受賞。同作は直ちに大映で映画化された(監督:田中徳三、主演:本郷功次郎勝新太郎)。この時の原作料として、大映から100万円を示される。

濃厚なエロティシズムを湛えた文体と、評論や紀行文等で見せる博覧強記ぶりも知られていたが、純文学の筆を折り、官能小説の世界に本格的に身を投じた。

「あたし〜なんです」等、ヒロインのモノローグを活用した独特の語調は、夕刊紙スポーツ新聞への連載で一時代を築き、金子修介の劇場公開初監督作品『宇能鴻一郎の濡れて打つ』など、数十本が日活ロマンポルノなどで映画化されている。

1972年以降、嵯峨島 昭(さがしま あきら)の別名で推理小説も執筆。当初は覆面作家だったため、音読みすると「(正体を)探しましょう」と読めるペンネームを用いた。警視庁の酒島章警視を探偵役に、当初はシリアス路線で・途中からグルメや旅行をテーマにしたドタバタ調に転じて、多くの作品を発表している。なお、グルメ知識に関しては官能小説による多額の収入を投入して蓄積した本格的なもので、これらの後書きでは、文壇のグルメ批判(食の薀蓄を語ることは卑しい行為であるなど)に強く反論している。

1990年代半ば以降寡作化し、2005年に初期傑作集『べろべろの、母ちゃんは…』を刊行、2006年に『日刊ゲンダイ』の連載を終了して後は新作の発表がなかったが、2014年『夢十夜 双面神ヤヌスの谷崎・三島変化』で、純文学作家として復活。鎌倉を自宅とし、軽井沢にも別邸を持ち、横浜市金沢八景の敷地600坪の洋館で老秘書を従え、社交ダンスのパーティを開くなどの貴族的な暮らしぶりが伝えられる[1][4]


  1. ^ a b c 平松洋子「宇能鴻一郎と会って」(『オール読物』2011年10月号)
  2. ^ 『味な旅舌の旅』の自著年譜に依る
  3. ^ 他に水上勉北杜夫
  4. ^ "作家・宇能鴻一郎さん「戦争に正義などない、信用できるのは飢えと官能です」". 日刊ゲンダイDIGITAL. 日刊ゲンダイ. 25 April 2022. 2022年4月25日閲覧
  5. ^ ハーマン・メルヴィル長編小説白鯨』との共通点、相違点については渡辺利雄『アメリカ文学に触発された日本の小説』(研究社2014年)pp.55-77。






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