宇治川嘉左衛門 生涯

宇治川嘉左衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/27 05:39 UTC 版)

生涯

生い立ち

宮津藩が治める丹後国与謝郡日ケ谷村(現・宮津市)厚垣の豪農の家に長男として生まれる。父は宇治川武兵衛、母はうえであった。父の武兵衛は宮津藩主の松平宗秀に重用され、苗字を許されていた。

宮津藩家臣時代

嘉左衛門は宗秀の嫡男の松平宗武に仕えた。1866年慶応2年)に宗武が家督を相続したが、長州藩薩摩藩などによる倒幕運動により、2年後に明治維新を迎えた。

1869年7月27日(明治2年6月19日)、松平宗武は版籍奉還により宮津藩知事に任じられる。1871年8月30日(明治4年7月15日)の廃藩置県で宗武は知藩事職を免職された。その後宗武は北海道に渡り開拓使での任務に就くが、嘉左衛門は宗武に同行せず丹後に残った。

この時期に嘉左衛門は結婚した。1874年(明治7年)12月7日には長男の真一郎が生まれている。

村長就任後

1889年(明治22年)町村制による日ケ谷村が発足し、嘉左衛門は学問に長けていたことから6月6日に村長に抜擢される。1891年(明治24年)1月23日、村長を辞任。

1902年(明治35年)5月15日に死去。享年59(満58歳没)。家督は長男の真一郎が継いだ。

墓は京都府与謝郡四辻の高山墓地にある。




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