姫路駐屯地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/02 23:48 UTC 版)
過去の駐屯部隊
- 第63連隊:1954年(昭和29年)7月1日第3特科連隊に改編。
- 第6特科連隊第2大隊:1954年(昭和29年)10月29日秋田駐屯地に移駐。
- 第10特科連隊:1957年(昭和32年)3月5日大久保駐屯地に移駐。
- 第110特科大隊:1958年(昭和33年)3月25日南仙台駐屯地に移駐。
- 第3特科連隊第5大隊:1965年(昭和40年)7月8日今津駐屯地に移駐。
- 第13特科連隊:1971年(昭和46年)3月25日日本原駐屯地に移駐。
- 第3特科連隊:2006年(平成18年)3月27日廃止。第3特科隊へ縮小改編。
- 第3特科隊:2024年(令和6年)3月21日廃止。中部方面特科連隊へ編合改編。
最寄の幹線交通
- 高速道路:山陽自動車道山陽姫路東IC、播但連絡道路花田IC
- 一般道:国道2号、国道312号、国道372号、花田野里線、姫路環状線、砥堀本町線
- 鉄道:JR西日本播但線野里駅
- 港湾:姫路港(特定重要港湾)、東播磨港(重要港湾)
展示品
駐屯地には屋外展示品として以下のものがある。
- 75式130mm自走多連装ロケット弾発射機
- 75式自走地上風測定装置
- 35mm2連装高射機関砲 L-90
- 74式自走105mmりゅう弾砲
- 75式自走155mm榴弾砲
- 58式105mm榴弾砲
- 58式155mm榴弾砲
かつて存在した以下の展示物は2011年頃に撤去された模様。
また、資料館があり旧日本帝国陸軍第10師団に属していた歩兵第39連隊[16]や沿革の節で触れた諸連隊に関連する資料、三十一年式速射砲、警察予備隊から自衛隊に至る関連資料などが展示されている。駐屯地敷地はかつての陸軍兵営地であり、敷地内には旧陸軍時代の衛兵詰所や兵舎など、多数の当時の建物が現存している。歩兵第39連隊の軍旗の一部が持ち帰られ1965年(昭和40年)より当駐屯地資料館内に安置され、軍旗奉賛会による軍旗祭も行われていたが、同会解散を機に1998年(平成10年)に靖国神社の遊就館へ移されている[17]。
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屋外展示されるF-86Fセイバージェット戦闘機(2011年に撤去)
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敷地内に残る旧陸軍時代の衛兵詰所
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資料館前に展示される三一式速射野砲
行事
- 毎年8月前半に盆踊り大会が開催される。隊員有志による和太鼓演奏と花火大会などが開催される。
- 毎年11月前半に駐屯地創立記念行事が開催される。FH-70と74式戦車などによる一斉射撃などが展示される。またレンジャー部隊有志による展示訓練が披露されるがコミカルな寸劇仕立ての内容が近年人気を博している。
- 毎年12月中旬に隊員によって姫路城の大規模清掃が行われる。訓練の一環としてボートやロープ、車両などを用いて通常では清掃が困難な石垣や堀などのを清掃を手がけている。
- ^ a b 角川地名 1988, p. 1287.
- ^ 「かち染め」「かっちん染め」とも。熊太郎なる者が人見塚に見張りを立たせ、見つけた旅人を長者屋敷に泊めて殺害しその血で染め物をしたという伝説。
- ^ 姫路と駐屯地の歩み 2022, p. 32.
- ^ ふるさと白国 1987, p. 91.
- ^ ふるさと白国 1987, p. 75-77.
- ^ 姫路と駐屯地の歩み 2022, p. 21-26.
- ^ a b 第3師団だより 第12号 ウンチク駐屯地 ~姫路駐屯地~2010年5月号
- ^ 姫路市史第6巻 2016, p. 311-318.
- ^ “沿革”. 姫路市立増位中学校. 2024年3月11日閲覧。
- ^ 角川地名 1988, p. 501.
- ^ 朝雲新聞社編集局 編『陸上自衛隊20年年表』朝雲新聞社、1971年9月20日。
- ^ 姫路と駐屯地の歩み 2022, p. 30-31.
- ^ 『北の駐屯地 その歩み 第20回 函館駐屯地』あかしや 第720号、2015年8月24日。
- ^ 防衛庁発令(1佐人事)2006年3月27日付2024年5月3日閲覧。
- ^ 防衛省発令(1佐職人事)2024年3月21日付
- ^ 歩兵第39連隊の兵営地は姫路城中曲輪内であった。
- ^ “姫路・歩兵第39聯隊軍旗を靖國神社に奉納”. 偕行 (偕行社) 平成11年1月通巻577号: 17-18. (1999).
- 1 姫路駐屯地とは
- 2 姫路駐屯地の概要
- 3 過去の駐屯部隊
- 4 重要施設
- 5 外部リンク
固有名詞の分類
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