妙印尼とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 妙印尼の意味・解説 

妙印尼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/16 08:28 UTC 版)

妙印尼(みょういんに、永正11年(1514年[1] - 文禄3年11月6日1594年12月17日))は、上野国新田金山城城主・由良成繁の妻。諱は輝子(てるこ)。甲斐姫 の祖母にあたる(甲斐姫の母が妙印尼の娘)。

赤井重秀の娘[2]とも赤井家堅の娘[1][要ページ番号]ともされる。由良成繁に嫁いで由良国繁長尾顕長らを生む[1][2][要ページ番号]天正6年(1577年)の夫の没後に出家する[1][要ページ番号]天正11年(1583年)に北条氏由良氏が対立すると、豊臣秀吉徳川家康と連携しようとした[2][要ページ番号]。後に北条氏によって新田金山城を接収されるものの、その後も由良氏のために尽くした[2][要ページ番号]

天正18年(1590年)、豊臣秀吉が小田原征伐に乗り出すと、小田原城に籠城する由良国繁に代わって桐生城を守っていたが、同年6月7日前田利家を通じて豊臣軍に降伏する[2][要ページ番号]。その後、国繁の嫡男である貞繁とともに豊臣軍の松井田城攻略に従ったため[1][要ページ番号]8月になって妙印尼の堪忍分として常陸国牛久城に所領が与えられ[2][要ページ番号]、国繁は家名を保った。

文禄3年(1595年)、牛久にて死去。法名は得月院殿月海妙院大姉[2][要ページ番号]

脚注

  1. ^ a b c d e [要ページ番号]『日本人名大辞典』「妙印尼」
  2. ^ a b c d e f g [要ページ番号]『戦国人名辞典』「妙印尼」

参考文献

  • 高橋浩昭「妙印尼」(『戦国人名辞典』(吉川弘文館、2006年) ISBN 978-4-642-01348-2)P952
  • 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年 ISBN 978-4-06-210800-3 P1866「妙印尼」 

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「妙印尼」の関連用語

妙印尼のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



妙印尼のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの妙印尼 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS