四日市公害と環境未来館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/08 13:55 UTC 版)
歴史
環境学習センターから環境未来館設置へ
1996年(平成8年)、四日市市環境学習センターが開館した[6][25]。同年には四日市市立博物館で「公害展」が開催されたが、四日市公害に関する記録や資料を残す運動を続けてきた澤井余志郎は、公害展だけでは事足りるものでなく、他の四大公害病発生地と同様に常設の公害資料館を設置するよう求めた[6]。
本町プラザ4階に設置された四日市市環境学習センターは、環境問題に関する触れられる展示を行い、イベントも多く開催していた[26]。環境学習センターでは創設当時から「公害資料コーナー」を設けていたが、わずか15m2しかなく、1996年(平成8年)の公害展の展示パネルと市民団体の機関誌を数十冊所蔵するのみであった[25]。その後、2005年(平成17年)1月に「公害資料室」へと発展し、四日市市史編纂のために収集された資料などを受け入れ四日市公害の重要資料の集積地となった[25]。また「四日市公害資料館」という市営のウェブサイトが開設されたが、情報量は不十分であった[27]。
四日市市では2011年(平成23年)度から環境未来館の設置に向けた「あり方検討会」を設け、基本計画等の策定を進めた[16]。同時に公害の関係者の証言を集め、散逸した関連資料の収集も行われた[16]。当初市は公害の被害が大きかった塩浜地区に設置する計画であったが、地元自治会からの反対で頓挫し、四日市市立博物館内に整備することになった[28]。また環境未来館の名称は2012年(平成24年)8月18日に決定したものだったが、公害病患者の遺族らからは「四日市公害資料館」とするよう求める声も強かった[28]。
開館を前に、市は「四日市学」と称する環境科学を実践してきた三重大学と2014年(平成26年)10月に協定を締結し、持続可能な開発のための教育(ESD)や環境教育分野で協力することを決し[7]、また市は環境未来館の解説員養成講座を開講し、解説員の育成を図った[21]。
開館後
2015年(平成27年)3月19日、関係者向けに内覧会が開催された[12]。そして同年3月21日に開館した[4][5][7][8][9][10]。澤井余志郎の公害資料館設置の提起から19年の歳月を経ての開設であり、公害反対運動を続けてきた人々にとって待望の施設であった[29]。開館式典では多くの資料や写真を環境未来館に提供した功績から、澤井に感謝状が贈られた[30]。同時に四日市市立博物館とプラネタリウムもリニューアル工事を終え、再開館した[8][10]。
開館初年度の入館者数の目標は55,000人とされたが、開館から半年で45,030人の来館者を集め、ベトナムや東南アジア諸国連合からの視察もあった[16]。そして同年10月29日に5万人を達成した[31]。
2015年(平成27年)10月、環境未来館と博物館、プラネタリウムの3施設の総称が「そらんぽ四日市」に決定したと四日市市が発表した[11]。
2016年(平成28年)4月より、インターネット上で館内を疑似体験するバーチャルツアーの公開を開始した[18]。同年4月23日、第42回先進国首脳会議(伊勢志摩サミット)の関連行事として開催された「ジュニア・サミット」において、高校生らが環境未来館を視察に訪れた[32]。2021年(令和3年)4月7日には、東京オリンピックの聖火リレーの三重県および四日市市のスタート地点となった[33]。出発式で三重県知事・鈴木英敬から聖火の点火を受け、最初の走者を務めたのは[33]、かつて当地にあった三重県立四日市工業高等学校の卒業生である瀬古利彦であった[34]。
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- ^ 古里(2015):47ページ
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