吉川元浩 (競艇選手)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/22 02:23 UTC 版)
吉川元浩 | |
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戸田競艇場2007年グランドチャンピオン決定戦 準優勝戦11R・2マーク付近を競走中の吉川 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 兵庫県 |
生年月日 | 1972年9月7日(50歳) |
身長 | 164cm |
体重 | 50kg |
血液型 | O型 |
選手情報 | |
所属 | 兵庫支部 |
登録番号 | 3854 |
登録期 | 79期 |
級別 | A1級 |
特徴 | 自在 |
選手実績 | |
デビュー日 | 1996年11月17日 |
SG優勝 | 4 |
GI/PGI優勝 | 19 |
GII優勝 | 2 |
GIII優勝 | 3(いずれも企業杯) |
一般戦優勝 | 59 |
通算優勝 | 85 |
全国24場制覇(2017年) | |
主要獲得タイトル | |
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来歴
兵庫県立兵庫工業高等学校を卒業後、兵庫県内の建築会社に勤務していたが、阪神・淡路大震災に被災。会社の同僚から競艇選手への道を勧められ、全国モーターボート競走会連合会本栖研修所(現在は、ボートレーサー養成所に移転)に受験。1回で合格。受験時の年齢は22歳。当時の年齢制限の上限だった。本栖リーグ戦勝率は7.63。79期第1位。初出走は1996年11月17日の地元尼崎競艇場で開催された「一般競走」2R、1走目でいきなり初1着[1]。1997年4月に早くも初優出。1999年1月に丸亀競艇場でデビュー初優勝。2000年2月の近畿地区選手権でGI初優出。2001年5月の笹川賞競走(浜名湖競艇場)でSG初優出し、優勝戦1号艇で臨むものの5着。以降2007年までSGで8優出。
2007年、福岡競艇場において開催された第22回賞金王決定戦に初出場。トライアル初日から好走し、優勝戦では1号艇を獲得。断然の1番人気とSG初制覇の重圧の中、インから1マークを先マイ。8回目の優出にして、遂に悲願そして涙のSG初戴冠を果たした(賞金王決定戦初出場での初優勝は第1回大会の彦坂郁雄以来21年ぶり2人目)。この優勝で1億円を獲得、この年の賞金ランキングでも同郷の魚谷智之に次いで2位となった。
2017年4月16日、芦屋競艇場において開催された第8回芦屋町長杯争奪戦で通算70回目の優勝。この優勝により史上17人目の24場全場制覇を果たしている。
2018年7月24日開幕の地元尼崎競艇場で開催されたGI尼崎センプルカップに出場、予選道中1勝ながら得点率7位で準優出し、準優勝戦では予選首位通過の菊地孝平に次ぐ2着で29日の優勝戦進出を決める。優勝戦では5コースからのまくり差しを決め、地元周年初タイトル(同大会の地元兵庫支部制覇は9回ぶり15人目[2][リンク切れ])となった。
2019年3月21日、戸田競艇場において開催された平成最後となるSGの第54回総理大臣杯で2つ目のSGを獲得。さらに5月26日には、福岡競艇場において開催された令和初となるSGの第46回笹川賞も制し、SG2連続優勝を飾っている。
2020年3月22日、前年度覇者枠で出場したSG第55回総理大臣杯で優勝。同競走22年ぶり(1997年~1998年の西島義則以来)の連覇となった。
新型コロナウイルスの感染拡大に伴い無観客での開催を余儀なくされた同節、吉川は開催場である平和島のエースモーターと呼ばれる13号機を引き当て、ドリーム戦2号艇で5着に敗れるも、予選得点率4位の活躍。準優勝戦(21日)10Rでは2号艇ながら1着に入り、その後の準優勝戦において1号艇が優出出来ず、優勝戦1号艇をゲットしての優勝であった。
人物
- ^ BOAT RACE Official WEB 1996年11月17日1R尼崎競艇場(デビュー)
- ^ [1]
- ^ 2010年8月28日 - THE フィッシング(テレビ大阪)
- ^ 大阪湾タチウオKINGバトル(2016年11月19日)
- ^ 大阪湾タチウオKINGバトル2018セミファイナル!!~決勝進出者速報~ - タチウオマニア・2018年11月17日
- 1 吉川元浩 (競艇選手)とは
- 2 吉川元浩 (競艇選手)の概要
- 3 SG・GI・GII戦績
- 4 関連項目
- 吉川元浩 (競艇選手)のページへのリンク