原爆資料館停留場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/01 17:16 UTC 版)
利用状況
長崎電軌の調査によると1日の乗降客数は以下の通り。
周辺
停留場のすぐそばに複合商業施設の長崎西洋館があり[3]、隣の平和公園停留場との間で本線の軌道は建物の中をトンネル(西洋館トンネル[24])にてくぐり抜ける[20]。なお、長崎西洋館は2023年5月31日に閉館した[25][26]。長崎電気軌道は土地建物の売却も検討しているが、建物内を通過する路面電車の軌道変更の予定はないとしている(建物の取り壊しや改装をする場合には安全運行の維持が前提となるとしている)[27]。
停留場の旧称は浜口町であったが所在地は川口町[23]。浜口町の町域は国道206号を挟んで向かい側に広がる。
- 長崎原爆資料館
- 国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館
- 長崎市平和会館
- 長崎市歴史民俗資料館
- 長崎大学医学部・歯学部・附属病院
- 浜口町商店街
- プラットモール長崎
隣の停留場
- 長崎電気軌道
- 本線(■1号系統・□2号系統・■3号系統)
脚注
参考文献
- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 12 九州沖縄、新潮社、2009年。ISBN 978-4-10-790030-2。
- 小川裕夫『路面電車で広がる鉄の世界 チンチン電車と都市計画がわかる本』秀和システム、2012年。ISBN 978-4-79-803498-0。
- 川島令三『全国鉄道事情大研究』 九州篇 2、草思社、2007年。ISBN 978-4-7942-1562-8。
- 川島令三『四国・九州ライン 全線・全駅・全配線』 第5巻 長崎・佐賀エリア、講談社〈【図説】 日本の鉄道〉、2013年。ISBN 978-4-06-295161-6。
- 田栗優一『長崎「電車」が走る街今昔』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年。ISBN 4-533-05987-2。
- 田栗優一、宮川浩一『長崎のチンチン電車』葦書房、2000年。ISBN 4-7512-0764-4。
- 長崎電気軌道株式会社『長崎電気軌道100年史』2016年。
関連項目
- ^ a b c 田栗 2005, p. 47.
- ^ a b c d e f 今尾 2009, p. 57.
- ^ a b c d 田栗 & 宮川 2000, p. 50.
- ^ a b 100年史, p. 129.
- ^ 田栗 & 宮川 2000, p. 96.
- ^ 田栗 & 宮川 2000, p. 98.
- ^ a b 100年史, p. 115.
- ^ もともと軌道は国道206号沿いにあったが、都市計画道路浦上川線の建設に伴い移設された結果、社有地を横切るようになっていた。長崎西洋館はその土地を有効活用するために建設されたものである。
- ^ 100年史, p. 26.
- ^ a b 田栗 & 宮川 2000, p. 51.
- ^ a b “電停名称変更のお知らせ”. 長崎電気軌道 (2018年3月30日). 2018年4月4日閲覧。
- ^ a b 田栗 2005, p. 157.
- ^ 100年史, p. 196.
- ^ 100年史, p. 197.
- ^ 100年史, p. 199.
- ^ 田栗 2005, p. 156.
- ^ a b 100年史, p. 200.
- ^ 浅野孝仁 (2018年7月31日). “長崎電気軌道:13カ所停留場、新名称に 35年ぶり、あすから”. 毎日新聞(地方版・長崎) (毎日新聞西部本社): p. 23
- ^ a b c 100年史, p. 130.
- ^ a b c d 川島 2013, p. 47.
- ^ 川島 2007, p. 119.
- ^ 小川 2012, p. 258.
- ^ a b 100年史, p. 124.
- ^ 100年史, p. 96.
- ^ 長崎西洋館「閉館のご案内」
- ^ “建物の中を路面電車が走る「長崎西洋館」 33年の歴史に幕”. 朝日新聞 (2023年6月1日). 2023年6月2日閲覧。
- ^ 来年5月閉鎖「西洋館」長崎電気軌道、売却含め検討 路面電車軌道は維持 長崎新聞 2022年6月5日閲覧
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