南伊勢線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/25 17:32 UTC 版)
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計画では津市高茶屋で四日市 - 津間の新線(国鉄伊勢線)と参宮線伊勢市駅を結び、津市、松阪市、伊勢市等の臨海部を経由する約35km[1]の路線としている[2][3]。鉄道敷設法別表第75号の3に規定される予定線。
1962年(昭和37年)4月に行われた衆議院運輸委員会および参議院運輸委員会での運輸省説明では「この地方には近畿日本鉄道がほぼ並行して営業しているが、標準軌に統一したため、(狭軌である)国鉄との貨車の受授が不可能となり、貨物営業を廃止したので、周辺の工業地帯に出入する貨物に対する輸送対策として重要な路線となる。」としている[4]。
沿革
1962年(昭和37年)に開かれた鉄道建設審議会で「南伊勢線」が予定線に編入される(同時に伊勢線が予定線から建設線に昇格、南島線が予定線に編入されている。当時、三重県選出の参議院議員斎藤昇が運輸大臣に就任していたことが影響したといわれている。)[2][3]。
これを受けて、津市、松阪市、伊勢市、三雲村、明和町、小俣町、御薗村の3市4町などで「国鉄南伊勢線建設促進期成同盟会」を発足させ、早期の建設着手を中央に働きかけることを決議した[5][6]。
しかし、伊勢線沿線の工業開発計画は四日市ぜんそくに端を発して猛反対に遭い、第1次オイルショックもあってやがて頓挫してしまい、南伊勢線の建設自体も凍結されてしまった。これが後に伊勢線の利用者数低迷、特定地方交通線指定による第三セクター鉄道への転換の遠因となる[7]。
年表
- 1962年(昭和37年)3月28日、29日 - 東京で開催された鉄道建設審議会で「南伊勢線」が予定線に編入される[2][3]。
- 1962年(昭和37年)5月12日 - 鉄道敷設法別表に「七十五ノ三 三重県津附近ヨリ松阪ヲ経テ伊勢ニ至ル鉄道」(南伊勢線)が追加される[8]。
- 1962年(昭和37年)6月5日 - 国鉄南伊勢線建設促進期成同盟会が松阪市で発足する[5][6]。
- 1967年(昭和42年)11月24日 - 国鉄南島線新設促進期成同盟会と合同で「国鉄南島線・南伊勢線早期建設促進大会」を伊勢市で開催する[9][10]。
参考文献
- 日本法令索引(国立国会図書館ホームページ内)
- 『三重県史 資料編 現代2 産業・経済』(1992年発行、三重県)
- 『伊勢年鑑 1963年版』(1962年発行、伊勢新聞社)
- 『伊勢年鑑 1969年版』(1968年発行、伊勢新聞社)
- 「国鉄『伊勢線』38年度着工決まる 臨海線、南島線も予定線に 審議会、異例の格上げ 県の産業開発に拍車」伊勢新聞 1962年3月30日付 1面
- 「きょう発会式 国鉄南伊勢線建設促進期成同盟」伊勢新聞 1962年6月5日付 1面
- 「会長に田中知事 国鉄伊勢線 建設促進協連が発足 南伊勢線建設促進期成同盟会も発足」伊勢新聞 1962年6月6日付 1面
- 「南伊勢線 南島線 調査線昇格へ猛運動 きょう伊勢で促進大会 自民国鉄調査会長ら迎え」伊勢新聞 1967年11月24日付 1面
- 「早期実現を強く陳情 来県の自民国鉄調査会長に 南島線・南伊勢線建設促進大会」伊勢新聞 1967年11月25日付 1面
脚注
- ^ 1962年(昭和37年)4月に行われた衆議院運輸委員会および参議院運輸委員会での運輸省説明では約36kmとしている。
- ^ a b c 『伊勢年鑑 1963年版』
- ^ a b c 伊勢新聞 1962年3月30日付
- ^ 日本法令索引サイトより
- ^ a b 伊勢新聞 1962年6月5日付
- ^ a b 伊勢新聞 1962年6月6日付
- ^ 川島令三『全国鉄道事情大研究 名古屋都心部・三重篇』草思社、p.93 - 94 (ISBN 479420700X / ISBN 978-4794207005) 1996年6月26日第1刷発行
- ^ 鉄道敷設法の一部を改正する法律(昭和37年5月12日法律第131号)
- ^ 伊勢新聞 1967年11月24日付
- ^ 伊勢新聞 1967年11月25日付
固有名詞の分類
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