兼高かおる世界の旅 ハイライト

兼高かおる世界の旅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/22 13:26 UTC 版)

ハイライト

番組では定期的にハイライトを放送した。これは今後放送する海外取材のフィルムを事前に簡単に紹介するものであり、一回分の放送枠を使って紹介するもの(いわゆる「予告編」)であった。以下、下記にある放送リストでは書ききれない各ハイライトの概要を簡単に記す。

  • 「第32次取材ハイライト その2」

洋風のセットで丸テーブルの前に座った兼高と芥川が冒頭で登場し、以降、各種ハイライト映像を解説を交えながら紹介した。

  • 「11周年ハイライト」

番組オープニング後、芥川が兼高の肩に腕を回した恰好で歩道橋を歩くシーンから始まる。その後、赤坂離宮等を見渡せる場所で、海外滞在中は既製品の服を買う程度しか時間がない、といったこぼれ話がでる。また、その赤坂離宮を見通す場所には首都高速が通り視界を遮っているのだが、その首都高速を題材に、番組制作の経緯が話された。いわく、首都高速が出来上がったのは東京オリンピックがきっかけだったが、この番組も、東京でオリンピックが開催されるのを見越して、また、番組開始当時の日本は欧米、特にアメリカのことを海外と考える、といったような、世界観の固定化や貧困化に対して別の側面を提供するという意味合いもあった、と兼高自身が説明している。 また番組内では、兼高が「和服も美しい」と発言したのに対し、芥川が「そうですね、(兼高かおるが)似合うか似合わないかは別として」と発言したのに対し、「あら、男性も和服が似合いますのよ。(芥川が)似合うか似合わないかは別として」と即座に応酬して見せた。なお、番組内では、兼高自身が芥川の額を示しながら「放送開始時はここまで(と言いながら額を指し示す)だったのが、今はここまで(と、放送当時の生え際を指し示す)変わりました」と、芥川の毛髪量も持ち出して、11年という長い年月を振り返った。

  • 「第33次取材ハイライト(アメリカ編)」

冒頭、ニット帽をかぶった芥川が訪れた部屋で、兼高は一人黙々とビューアを見ながらフィルムの編集をしているところから番組が始まる。このアメリカ編では、取材に2万3000フィート(7010.40メートル)の長さになるほどの撮影をしたという。だが、これらの膨大な映像を、わずか7本分、およそ30分未満(CMが含まれるため)の長さに整えなければならず、カットするフィルムが多いため、紹介できないことが大変もったいない、と兼高が話していた。なお、撮影に使われるカメラの種類が不明のため一概に言えないが、16mm映画用フィルム換算で10時間54分に相当する。


注釈

  1. ^ 大阪ABC、岡山RSKは6月26日に「トルコ」の回を放送している
  2. ^ 1966年7月10日放送の第311回「南へのいざない」および1967年7月16日放送の第357回「ナッソーの魅力」の時点でのクレジット
  3. ^ 『TBS50年史』では芥川の後輩・落合博一とされている。
  4. ^ スカンジナビア航空は兼高が世界一周取材旅行をするきっかけを作った1958年の「世界一周早回り」の協賛社でもあった。
  5. ^ 当時の新聞には当該回にカラーマークは付いておらず、実際にカラーで放送されたかは不明。1975年3月30日の再放送ではカラーで放送されている。
  6. ^ 岡山RSK、大阪ABCはカラーマーク付き、広島RCCはマークなし
  7. ^ 「ナッソーの魅力」(#357 1967年7月16日放送)、「スコットランドの想い出」(#362 1967年8月20日放送)、「第18次取材ハイライト U.S.A.」(1967年9月10日放送)はモノクロ
  8. ^ 1967年3月放送の第16次取材旅行ハイライトではコメントが別途挿入されていたため、TBSチャンネルの再放送ではBGMのみが流れる。
  9. ^ なお、日本人の海外旅行が自由化されたのは1964年からである。
  10. ^ 芥川は最終回まで番組に参加していたが、この頃には既に肺癌が大きく進行しており、ナレーションも本調子とは言えない状態だったという。
  11. ^ 番組開始当初の製作クレジットは、TBS東京放送だった。
  12. ^ 2022年3月限りで特任教授を退任。2023年3月時点では「放送大学名誉教授」の肩書きを有している[16][17]
  13. ^ 現在は放送大学が所蔵している[16]

出典

  1. ^ 講談社 編『TVグラフィティ : 1953年〜1970年ブラウン管のスター・ヒーロー・名場面1700』講談社、1978年4月3日、203頁。NDLJP:12275878/105 
  2. ^ 志賀信夫『テレビヒット番組のひみつ : 「ジェスチャー」から「おしん」まで』日本放送出版協会、1984年8月1日、65 - 67頁。NDLJP:12275392/36 
  3. ^ デンマークノルウェースウェーデン
  4. ^ 『20世紀放送史・上』(日本放送協会編・発行、2001年刊)より
  5. ^ NHK出版「放送文化」(発行時期不明)
  6. ^ 兼高かおるさん「旅の資料館」閉館 来館者から惜しむ声 淡路島」『産経新聞』、2020年2月28日。2023年4月2日閲覧。
  7. ^ 北國新聞 1977年10月2日付朝刊テレビ欄および、北日本新聞 1990年3月25日付朝刊テレビ欄より。
  8. ^ 北國新聞 1977年10月2日付朝刊テレビ欄より。
  9. ^ 産経新聞・岡山版、1964年2月9日・5月3日、各テレビ欄。
  10. ^ 産経新聞・岡山版、1964年5月10日、各テレビ欄。
  11. ^ 徳島新聞 1966年4月4日付 朝刊7面「午前のTVラインナップ」によると金曜10:30から遅れネット
  12. ^ 週刊TVガイド岡山・四国版1986年1月18日 - 24日号
  13. ^ 下記に記述の秋田放送分と合わせ、出典は1988年(昭和63年)9月付け東奥日報テレビ欄より。
  14. ^ 『北日本新聞』1990年9月30日付朝刊、テレビ欄。
  15. ^ a b c 稲村哲也(放送大学特任教授) (30 November 2021). 放送大学キャンパスガイド 2021年10月号②【キャンパスチェック】番組紹介 BSキャンパスex特集【キャンパスプロファイル】 石崎 克也 教授 (テレビ番組). 放送大学. YouTubeより2023年4月2日閲覧「キャンパスチェック」コーナー
  16. ^ a b c d e 稲村哲也(放送大学名誉教授) (9 March 2023). 放送大学キャンパスガイド 2022年3月号③【キャンパスチェック】番組紹介 BSキャンパスex特集「考古・歴史・文化の今昔」【コラムOUJ】島内 裕子 教授 (テレビ番組). 放送大学. YouTubeより2023年4月2日閲覧「キャンパスチェック」コーナー
  17. ^ 稲村哲也、小川正人、田中統治、森岡淸志、迫田章義 (3 March 2022). 放送大学キャンパスガイド 2022年3月号②【キャンパスチェック】退任教員からのメッセージ【キャンパスプロファイル】迫田章義 教授 (テレビ番組). 放送大学. YouTubeより2023年4月6日閲覧番組前半「キャンパスチェック"退任教員からのメッセージ"」より
  18. ^ 「兼高かおる世界の旅」貴重な映像を観光文化論で公開しました』(プレスリリース)横浜商科大学、2022年8月4日https://www.shodai.ac.jp/news-topics/269/2023年4月2日閲覧 
  19. ^ NAOKO ANDO「兼高かおる 未来へのバトンパス」『The New York Times Style Magazine:JAPAN』、2021年6月18日。2023年4月2日閲覧。






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