入川保則 入川保則の概要

入川保則

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/20 16:47 UTC 版)

いりかわ やすのり
入川 保則
本名 鈴木 安則(すずき やすのり)[1]
生年月日 (1939-11-10) 1939年11月10日
没年月日 (2011-12-24) 2011年12月24日(72歳没)
出生地 日本兵庫県神戸市東灘区
死没地 日本神奈川県
身長 171cm
血液型 A型
職業 俳優司会声優
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1959年 - 2011年
配偶者 ホーン・ユキ1979年 - 2004年
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来歴・人物

兵庫県神戸市東灘区出身。関西学院高等部卒業。関西学院大学中退。身長は171cm。体重は70kg。

学生時代から俳優活動を在阪のテレビにて開始。数年後に活躍の場を広げるために上京した。現代劇時代劇の両方で、主に脇役として活躍。刑事ドラマや時代劇の悪役、男性的な役どころが多かったが、喜劇的な役も洒脱にこなしていた。初期と中期は地元関西でのタレント・俳優活動が多かった。

3度の離婚歴があり、2度目の妻との間には娘が2人、3度目の妻であるホーン・ユキとの間には3人の息子がいる。2004年にホーンと離婚。その後は子供に頼ることもなく、TVの密着取材によると神奈川県のアパートで一人暮らしだった。[2]

闘病と死

2010年7月、鼠径ヘルニアになり、病院で手術を受けた際に精密検査をして、直腸にがんが見付かった。医師の説明によると、すでに全身に転移していたとのことで、2011年2月の時点で余命半年(早ければ8月、遅ければ12月まで)と宣告されたことを公表した(本人談)[3]。本人は自分の死期を少しも恐れず従容として受け入れ、手術や延命治療などはせず、自分の葬儀の手続も生前に済ませていたという。

同年5月上旬から主演映画『ビター・コーヒーライフ』の撮影に入ることを宣言し、「怖がっても死ぬんだから怖がらない方がいい。最後まで撮り続ける」と語っていた。

一切の手術や延命治療を拒否し、限られた余命を自然のままに終える道を選んで社会の注目を集め、同年6月には、自らの遺言をまとめた著書『その時は、笑ってさよなら 俳優・入川保則 余命半年の生き方』を出版した。また、同年10月には『自主葬のすすめ』と題する著書も出版した。

その後、最初の余命宣告を受けてから9か月が経過した2011年11月10日、入川は72歳の誕生日を迎えた。医師によると、当初の予想よりもがんの進行が遅く、この時点では2012年の正月まで生きられる可能性もあったという。「誕生日を迎えられるとは思っていなかった」という入川は、「今までの誕生日で一番嬉しい。この感動を皆さんに味わってほしい」と、本来ならすでに旅立っているであろうはずの自分がなお生き長らえている喜びを素直に語った。ただ、本人は夏の間に最期を迎える心積もりでいて、秋冬物の服をすべて処分してしまったため、慌ててまた買いに行かなければならないハプニングもあったという。また、彼が住んでいたアパートは2011年11月から建て替えのため住めなくなり、その後は神奈川県厚木市にある知り合いの病院で生活していた。

入川が“遺作”として取り組んだ主演映画『ビター・コーヒーライフ』の公開日は2012年5月12日に決まり、本人は「5月の封切のときまでは何とか頑張りたいけど、ちょっと無理かなという気持ちもあります」と、新たに生きる目標が生じた旨を語っていた[4]が、その目標は果たせずに終わった。ただし、72歳の誕生日に先立つ2011年10月31日、余命の少ない入川本人の希望により、BGMがまだ録音されていない未完成の映像ながらも特別に『ビター・コーヒーライフ』の試写会が実施され、入川は車椅子でこの試写会に出席した。これが公の場に姿を見せた最後であった。

2011年12月8日、入院先の病院の廊下で転倒し、左脚の大腿骨を骨折した。当初は手術も検討されていたが、本人の体力が著しく衰えていた事情から手術は断念された。このことが入川の残り少ない体力と気力をさらに低下させ、余命を縮める一因になったともされている。この骨折から14日後の12月22日、長男が病院に見舞いに来て、長男が帰り際に「帰るよ」と入川に向かって呼びかけると、入川は「ありがとう」と返事をした。これが生前最後の言葉になったとのことである。翌12月23日に意識がなくなり、容態が急変。12月24日午後3時20分、急を聞いて駆け付けた長男に看取られながら、入院先の神奈川県内の病院で死去した[5]。72歳没。最初の余命宣告から10か月後の死であった。本人が生前に定めていた手続に従い、2012年1月4日から1月5日にかけて通夜と葬儀が行われ、式場では本人が生前に録音しておいた肉声によるメッセージが流された。なお、同年1月30日には関係者らによる「お別れの会」が開かれた。




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