倭・倭人関連の中国文献
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/19 07:51 UTC 版)
『漢書』
- 然東夷天性柔順、異於三方之外、故孔子悼道不行、設浮於海、欲居九夷、有以也夫! 樂浪海中有倭人、分爲百餘國、以歳時來獻見云。
- 然して東夷は天性柔順、三方の外に異なる。故に孔子、道の行われざるを悼み、設(も)し海に浮かばば、九夷に居らんと欲す。それ、以(ゆゑ)有るかな! 楽浪海中に倭人有り、 分れて百余国を為し、 歳時をもつて来たりて献見すと云ふ。
- 一方、東夷は性質が柔順であり、他の三方(西戎・南蛮・北狄)と異なる。そのため、孔子は、中国の中原では正しい道理が行われていないことを残念に思い、(筏で)海を渡って九夷に行きたいと望んだ。それは理にかなっている! 楽浪郡の先の海の中に倭人がいて、百余国にわかれており、 定期的に贈り物を持ってやって来た、と言われている。
また、漢の南方にあった呉の地理を記す「呉地」の条に、東鯷人の記事がある。
- 會稽海外有東鯷人 分爲二十餘國 以歳時來獻見云
- 会稽の海の外に東鯷人有り。分ちて二十余国を為し、歳時をもつて来たりて献見すと云ふ。
- 会稽の海の外に東鯷人有り。二十数カ国にわかれており、定期的に贈り物を持ってやって来る国があった、と言われている。
「鯷(テイ)」には、ナマズ説と鮭説がある。記紀に年魚と記される。
東鯷人と倭人が同じ人々を指すのかどうかについては不詳であるが、谷川健一は、「わが列島の中に「東鯷人」の国を求めるとすれば、阿蘇山の周辺をおいてほかにないと私は考える」と記している[2]。
注釈
出典
- ^ 日本放送協会 (2023年3月2日). “発見!「空白の4世紀」の古墳から何が? | NHK | WEB特集”. NHKニュース. 2023年6月27日閲覧。
- ^ 『続・日本の地名』岩波新書 1998年 ISBN 4004305594 31頁
- ^ '양직공도'서 신라ㆍ고구려 제기 발견돼 聯合ニュース(2011年8月23日)2011年9月25日閲覧。2011年8月23日、韓国の仁川都市開発公社ユン・ヨング博士により、新しく見つかった『梁職貢図』の新羅に対する題記に、新羅が倭の属国であるという一節が見つかっている。
- ^ 續修四庫全書 子部 芸術類藝 NAVER(2011年8月23日)2011年9月25日閲覧。8行目から「斯羅國本東夷辰韓之小國也魏時曰新羅宋時日斯羅其實一也或属韓或属倭國王不能自通使聘」とあり、倭國の属国と見なされていたことがわかる。
- ^ a b “'양직공도'서 신라ㆍ고구려 제기 발견돼”. 聯合ニュース. (2011年8月23日). オリジナルの2021年5月11日時点におけるアーカイブ。
- ^ 三木太郎「中国正史倭(倭国・倭人)伝の史料系統について[1]」
- ^ 舊唐書東夷傳 - ウェイバックマシン(2017年5月21日アーカイブ分)
- ^ 舊唐書 卷一九九上 東夷伝 倭國 日本 - ウェイバックマシン(2005年1月7日アーカイブ分) < 古代史獺祭
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