伴善男
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/31 23:51 UTC 版)
系譜
子孫
伊豆市吉奈の善名寺には背銘に「伴氏二親生霊 善魚 善足」の文字が刻まれた仏像がある[9]。「石井系図」は善魚と善足は善男の子と記しており、子孫は伊豆国の国司である大掾や掾になっている[9]。善男の子孫は伊豆に土着し国衙に勤務する官人になったと推定されている[9]。
関連項目
- ^ 『日本三代実録』によると国道は延暦24年(805年)に恩赦により帰京したとされる。
- ^ 『宇治拾遺物語』など
- ^ 『続日本後紀』承和13年11月14日条
- ^ 『意見十二箇条』
- ^ 安田政彦『災害復興の日本史』(吉川弘文館、2013年2月1日発行) p29、全国書誌番号:22196456
- ^ 『日本文徳天皇実録』斉衡2年2月17日条
- ^ 『江談抄』によると、「伴中庸が自白した」と偽りを言って自白を迫ったところ、善男は観念して自白したという。
- ^ 実際は中庸単独の犯行で父の善男の知らぬところであったが、事件に激怒した清和天皇の意向で善男も連座したとする説もある(鈴木琢郎「摂関制成立史における「応天門の変」」『日本古代の大臣制』(塙書房、2018年) ISBN 978-4-8273-1298-0 (原論文:2015年))。
- ^ a b c d e “12 貴族が流された国伊豆”. 静岡県立中央図書館. 2022年1月4日閲覧。
- ^ a b c 『日本三代実録』貞観8年9月22日条
- ^ 佐伯有清『伴善男』(吉川弘文館、1986年)
- ^ a b c d e f g h i j k l 『公卿補任』
- ^ a b 「石井系図」『静岡県史』資料編4古代,1117頁
伴善男と同じ種類の言葉
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