伊能忠敬 人物

伊能忠敬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/15 08:20 UTC 版)

人物

伊能忠敬の銅像(富岡八幡宮

性格

厳格な性格だった。測量期間中は隊員に禁酒を命じ、規律を重んじていた[360]。また、能力の低い隊員に対しては評価が厳しく、測量中に娘の妙薫にあてた手紙にも、隊員についての愚痴がいくつも綴られている[361]。身内でも特別扱いせず、息子の秀蔵も1人の内弟子として扱い、そして最終的には破門している[360][362]

また、根気強く、几帳面であった。測量中に合わせて51冊の日記(『伊能忠敬先生日記』)を残し、のちにそれを清書して28巻の『測量日記』としてまとめた[363]。測量作業においても、技術の革新はなかったが、根気強い観測とさまざまな工夫でそれを補った[364]

商売人であったことから金銭には厳しく、家人に宛てた手紙にも、「野菜や薪など買わなくてすむものに金を使うな」「ためることが第一」などと書かれている[365]。また飯炊きが毎日少しずつ米をくすねていたことに忠敬が気づき、咎めたとの記録もある。晩年、自身が病気になって江戸の自宅で玉子酒を飲んで治療をしているときも、「卵は江戸より佐原の方が安いから佐原で多めに買って江戸まで送るように」と指示を出している[366]。一方で天明の飢饉のときには貧民に米などを分け与えたりしており、また九州測量中にも、利根川の洪水で被害を受けた人々に施しを与えるよう指示している。ただしこのとき、食べていける者にも分け与えることは名聞を求めるのにあたるから慎むべきだとしている[367]。これらのことから、忠敬は意味のあることについては大金を投じることも惜しまないが、そうでないことには出さないという、合理的な考えの持ち主だったことがうかがえる[368][369]

嗜好

全国測量の旅に出かける際は、安全祈願のために富岡八幡宮に必ず参拝に来ていた[360]。2001年、境内に銅像が建てられた。近くの江東区門前仲町には、伊能忠敬宅跡を示す石碑が建てられている[370]

測量中も近くの寺社や名所旧跡を多く訪れており、その門前までの測量記録を残している[360]。また、詩歌にも関心が強かった[371]

食べ物に関しては、測量中に毛利家徳山藩が調べたところによると、かぶら、大根、人参、せり、鳥、卵、長いも、蓮根、くわい、豆腐、菜、菜類、椎茸鰹節といったものを好んだという[372]。本人が妙薫などに宛てて書いた手紙では、「しそ巻唐辛子を毎日食べていて、残りが少なくなったからあれば送ってほしい」「蕎麦を1日か2日置きに食べている」などの記述があり、さらに豆類も好物とされている[373]。また、「歯が時々痛み奈良漬も食べられない」と書かれた手紙も残っている[374][375]

身体

忠敬の体格は、着物の丈が135cmであることから、身長は160cm前後、体重は55kg程度と推定されている[376]

若い頃から体は弱い方で、病気で寝込むこともしばしばあった[377][378]。加えて四国測量の頃からは「痰咳の病」にかかるようになっていった[379]。これは現代でいう慢性気管支炎のことであり、冬になる度に痰に悩まされていた[379]。そのため、とりわけ食事に気をつけ咳痰の予防のため、食事療法として鶏卵を用いていた[380]。特に70歳を過ぎた頃から、卵湯療法を続けている。鶏肉も滋養食として食事療法の対象としていた[381]。忠敬の死因も、慢性気管支炎が悪化して起こる急性肺炎(老人性肺炎)とみられている[382]

幕府との関係

忠敬と幕府との関係については様々な説がある。幕府との関係の証拠は

  1. 完成したら国家機密となる[注釈 6]沿海部を測量した
  2. オランダ風説書』(文化5年(1808年)10月)の正確な抜粋を残していること
  3. ゴローニンの尋問の様子を記した手紙
  4. 北方警備のための出兵の正確な人数を書いた手紙

などが挙げられており、単なる引退した商人の測量技師ではなかったことを示している[383]


注釈

  1. ^ 地元などでは親しみと尊敬の念をこめて「いのう ちゅうけい」とも称されている[1]
  2. ^ 本段落の内容については当時の複数の文献でも多少の差異がある。詳しくは渡辺編(2003) pp.76-81を参照
  3. ^ 忠敬の分家としては、子孫に金沢工業大学土木工学科客員教授の伊能忠敏らがいる(伊能(1991))。
  4. ^ 清宮家は伊能家とは直接の血縁はないものの、清宮家の初代当主は伊能三郎右衛門家2代目である景常の後妻の連れ子であり、継父の支援で清宮家を興したと伝えられ、両家はそれ以来の深い関係を有していた(千葉県(2008) p.346-347)。
  5. ^ 海保景文に伊能景晴(茂左衛門家当主、楫取魚彦の曾孫にあたる)の次女を娶せて、三郎右衛門家の祭祀を継がせた(『千葉縣香取郡誌』(1921年刊行の復刻版)、崙書房、1972年、P782-783.「伊能景晴」)。
  6. ^ シーボルト事件」において、紅葉山文庫にある伊能図を写させたことが原因で、何人か罪に問われ死亡している。
  7. ^ 作者は忠敬本人という説もあるが、小島一仁はこれに反論し、息子の景敬によるものではないかと述べている。

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