下野電気鉄道デハニ101形電車 概要

下野電気鉄道デハニ101形電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/21 14:19 UTC 版)

概要

下野電気鉄道藤原線(後の東武鬼怒川線)は、762mm軌間の架線電圧600V電化路線として新今市 - 藤原(現・新藤原)間において営業を行っていた。その後、同社の親会社である東武鉄道の日光方面への路線延長計画に関連して、円滑な連絡運輸を目的として東武の保有路線との軌間統一が実施されることとなり、1929年(昭和4年)4月と翌1930年(昭和5年)5月の二度にわたって1,067mm軌間への改軌工事が実施された[注釈 1]

翌1931年(昭和6年)2月には架線電圧の1,500V昇圧が実施され、同時に東武との直通運転が開始された。しかし、昇圧完成に合わせて発注した3両の電車、すなわち本形式の竣功が遅れたことから、昇圧完成当初は東武より借入した大正13年系デハ1形6 - 8によって列車を運行した。昇圧より約5ヶ月を経過した1931年(昭和6年)7月に本形式3両、デハニ101 - 103が製造元の川崎車輌(現・川崎重工業)より到着し、同月より運用を開始した。

本形式は下野電気鉄道の東武への吸収合併後も引き続き藤原線改め鬼怒川線で運用されたが、後年2両が館林地区のローカル線へ転属し、残る1両は荷物電車(荷電)化改造を施工され、ともに1972年(昭和47年)12月まで運用された。

車体

前述のように、当時の下野電気鉄道は東武鉄道の傘下事業者であるのみならず、保有する路線も東武の一支線的性格を備えており、本形式の設計に際しても東武側の意向が強く反映された可能性が示唆されている[1]。事実本形式は深く取られた屋根構造・車体裾部の外板が切り上げられて台枠が露出した構体設計・腰高な窓配置・小ぶりな一段窓・車内天井櫛桁部にはめ込まれた駅名案内図といった、当時の東武形車両、特に昭和2年 - 4年系と共通する外観・装備上の特徴を有する。

車体は半鋼製両運転台構造で、車体長は14,796mmと東武形車両よりも一回り小さく、昭和2年 - 4年系と比較すると1,000mmほど短い。前面は両側妻面とも非貫通構造であり、東武形車両における流儀に則って運転台は中央に設置されている。運転室は開放構造で、乗務員扉は下今市寄りの運転室にのみ設置された。新藤原寄りの運転室直後には荷物室が設けられ、直後の側窓1つ分までを荷物室とし、それより後部を客室とした客荷合造構造であった。客用扉は760mm幅の片開扉を片側2ヶ所ずつ備え、ホームとの段差を考慮して各客用扉直下にステップを有する。窓配置は1B1D10D2d(d:乗務員扉、D:客用扉、B:荷物積卸用扉)である。屋根上ベンチレーターお碗形で、屋根上左右に4個ずつ、計8個を二列配置で搭載した。

車内はロングシート仕様で、トイレは設置されていない。

主要機器

主制御器

東洋電機製造ES-156電動カム軸式制御器を採用した。同主制御器は昭和2年 - 4年系において採用されたものと同様イングリッシュ・エレクトリック (E.E.) 社デッカーシステムの系譜に属する主制御器であり、東武形車両とも併結可能であった。

主電動機

東洋電機製造TDK-571/A(端子電圧750V時定格出力59.9kW)を1両当たり4基搭載する。本形式は単行運転を基本とし、付随車牽引を考慮しない設計であったことから、昭和2年 - 4年系において採用されたE.E.社DK-91(同定格出力97kW)と比較すると低出力特性を備えたものとなっている。歯車比は3.53 (67:19) 、駆動方式は吊り掛け式である。

台車

住友金属工業製の鋳鋼組立型釣り合い梁式台車KS31L(固定軸間距離2,135mm)を装着する。軸受は平軸受(プレーンベアリング)仕様である。

同系の台車は東武形車両においても広く使用されていたが、本形式の装着するKS31L台車はそれらと比較して固定軸間距離が短いことが特徴であった[注釈 2]

制動装置

単行運転する目的で設計したため直通ブレーキの一種であるD型非常弁付直通空気ブレーキ(SME)と手ブレーキを備えた。その後、沿線の発達にともない輸送量が増加し東武本線(伊勢崎線・日光線系統)の車両と連結する必要が生じたため、1951年(昭和26年)3月9日付でAMM元空気溜管式自動空気ブレーキ(直通ブレーキに切り替え可能)に改造する認可を受け、同年5月14日付で竣功届を提出した。

のちには日本エヤーブレーキ社(現・ナブテスコ)が開発したA動作弁を用いるAMA自動空気ブレーキへ改造された。制動筒(ブレーキシリンダー)を車体側に1両当たり1基搭載し、制動筒に接続された制動引棒(ブレーキロッド)によって前後台車計4軸の制動を動作させる制動機構が採用されている。

その他

パンタグラフは東武形車両が電動車1両当たり2基搭載が標準仕様であったこととは異なり、新藤原寄りに1基のみ搭載する。ただし、パンタグラフ台座は下今市寄り屋根上にも設置されていた。


注釈

  1. ^ この段階において藤原線は1,067mm軌間の架線電圧600V電化路線となったが、後述のように翌年には架線電圧1,500V昇圧を控えていたことから改軌に伴う車両の新製は行わず、東武日光軌道線より車両を借入し昇圧までの繋ぎとした。
  2. ^ 昭和2年 - 4年系の電動車各形式においては、固定軸間距離2,450mmのKS31L台車が装着されていた。
  3. ^ 1970年(昭和45年)10月に花崎駅付近の踏切において発生した衝突事故(通称「花崎事故」)で被災した7800系モハ7808-クハ708が同年12月に廃車となっている。
  4. ^ 戦後の東武の鉄道線における旅客用電車で除籍処分となったものは、前掲の計5両に加えて、国鉄63系割り当て車(東武6300系)導入に伴う地方私鉄への車両供出目的で1947年(昭和22年)から翌1948年(昭和23年)にかけて除籍された13両と、1951年(昭和26年)8月に発生した浅草工場火災で被災焼失し同年11月に廃車となった6両がある。これらを総計しても本形式が廃車となった1972年(昭和47年)12月以前に除籍処分となった電車(電車改造の客車を含む)はわずか24両に留まる。

出典

  1. ^ 『鉄道ピクトリアル』1972年9月号 p.122






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